だいぢのEasyBassing

初めはバス釣行記のブログだったんですが…。
関東を中心に釣りや散策に出掛けていましたが…。
熊本県民になりました。

埼玉県指定旧跡 「堀兼の井」(埼玉県狭山市)

2009年06月01日 | 散策記
今回は、狭山市・日高市を散策した。

まずは、狭山市堀兼にある、埼玉県指定旧跡「堀兼の井」へ行ってみた。
ここは、平安時代の井戸のようだが、現在は大部分が埋まっていて、水も枯れていた。



ただ、この井戸は古来より数々の歌人に歌を読まれているらしい。

武蔵野の 堀兼の井も あるものを うれしく水の 近づきにけり (千載集 藤原俊成)
あさからす 思へはこそは ほのめかせ 堀金の井の つつましき身を (俊頼集 源俊頼)
くみてしる 人もありなん 自づから 堀兼の井の そこのこころを (山家集 西行法師)
いまやわれ 浅き心を わすれみす いつ堀兼の 井筒なるらん (拾玉集 慈円) などである。

しかし、この辺りには「堀兼の井戸」と呼ばれた井戸がいくつもあったらしく、実際のところ、この井戸が歌人に詠まれた「堀兼の井戸」であるという証拠はないようだ。

【史跡データ】
名称:埼玉県指定旧跡「堀兼の井」
所在地:埼玉県狭山市堀兼
時代区分:平安時代
形態:井戸跡(堀兼神社内)


また、この井戸のある「堀兼神社」は、社伝によると、景行天皇の40年に日本武尊が東北の蝦夷征伐の際に、この地にに立ち寄り、土地の人々が干害によって苦しむ姿を見て、富士山に祈願したところ、清水が湧いてきたので、土地の人が浅間神社を創建したのが始まりだとしている。その後、江戸時代に至り、慶長3年(1598)に松平信綱が家臣に命じて再建させたと伝えられている。「随身門及び二神像」は江戸時代後期のものと推定され、狭山市指定有形文化財(建造物)になっている。



結構、雰囲気の良い神社であった。

【史跡データ】
名称:狭山市指定文化財(建造物)「堀兼神社境内 随身門及び二神像」
所在地:埼玉県狭山市堀兼
時代区分:江戸時代後期
形態:随身門及び二神像(堀兼神社内)
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