「さいたま市立浦和博物館」見学の後は、「人面画付土器」などが出土した「馬場小室山(ばんばおむろやま)遺跡」に訪れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/fc/86f2e3dc4b81ad9b69d31e6164b65578.jpg)
この遺跡は、縄文時代早期から晩期の集落跡であるが、「環状盛土遺構」や「人面画付土器」などの特殊な遺物が出土し、
「縄文文化の正倉院」と称され、国史跡候補遺跡とも言われている。
元々、遺跡のあった場所は氷川女体神社の神主を代々務めてきた武笠家の里山であり、深い雑木林となっていて、縄文時代の遺跡が良好な状態で保存されていたようである。
しかし、相続の際に物納された土地は競売にかけられ、開発業者の手に渡り、宅地開発されてしまった。
現在は、さいたま市が買い上げた一部地域が、市の指定史跡になっているが、
簡素な柵で囲まれた雑木林の足元に、遺跡を解説する小さなプレートが3つあるだけである。
【史跡データ】
名称:さいたま市指定史跡「馬場小室山遺跡」
所在地:埼玉県さいたま市緑区馬場1丁目(三室中学校の南側付近)
時代区分:縄文時代中期~晩期(約5500~2800年前)
形態:集落跡(環状盛土遺構)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/58/8e711f0675c2cf9b6a9e9d03f40b598e.jpg)
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この遺跡は、縄文時代早期から晩期の集落跡であるが、「環状盛土遺構」や「人面画付土器」などの特殊な遺物が出土し、
「縄文文化の正倉院」と称され、国史跡候補遺跡とも言われている。
元々、遺跡のあった場所は氷川女体神社の神主を代々務めてきた武笠家の里山であり、深い雑木林となっていて、縄文時代の遺跡が良好な状態で保存されていたようである。
しかし、相続の際に物納された土地は競売にかけられ、開発業者の手に渡り、宅地開発されてしまった。
現在は、さいたま市が買い上げた一部地域が、市の指定史跡になっているが、
簡素な柵で囲まれた雑木林の足元に、遺跡を解説する小さなプレートが3つあるだけである。
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【史跡データ】
名称:さいたま市指定史跡「馬場小室山遺跡」
所在地:埼玉県さいたま市緑区馬場1丁目(三室中学校の南側付近)
時代区分:縄文時代中期~晩期(約5500~2800年前)
形態:集落跡(環状盛土遺構)