先日、「A.I.」をTVでご覧になりましたか?
私は、家事もそっちのけで観ましたよ。
オスメント君は、うわさに違わず、天才でしたね。
彼以外に、あの役は出来なかったでしょう。
ジュード・ロウは田原俊彦でしたし(笑)。
予想に反して、あまり興行成績が振るわなかった映画だったとようですが、
それも仕方ないかなぁ。
あれだけ人間の見たくない部分を前面に押し出されると
拒否反応をしてしまうんじゃないでしょうか。
結局、デビットは人間ではなく、違う種族に安息をもたらされるわけですし、
とことん人間は悪いやつでしたね。
「A.I.」のデビットはロボットなのですが、ロボットという概念というか、言葉を確立したのが、この戯曲「ロボット(R.U.R)」なわけです。
ご存知の方、読んだ方も多いでしょう。
1920年に初版されているのですが、現在のSF作品にも劣ることのないものです。
R.U.Rというのはロッサム・ユニバーサル・ロボット社の略。
アシモフのUSロボット社を思い出しますね。
チャペックはロボットというものを作り上げましたが、それと同時に、ロボット+知能=人間への反乱という図式も印象づけてしまいました。
それほど、この作品が衝撃的だったということですね。
R.U.Rの社長、ドミンは、ロボットを人間の代わりに労働させ、人間をより高い段階に引き上げようという信念のもと、ロボットを作り、売り続けます。
ロボットは労働から戦争までなんでもこなし、需要は高まるばかり。
やがて、自分で考え、行動するロボットが現れ、
ロボットたちは団結して人間に対して反乱を起こします。
思考が出来るといっても、極端なので、人間を一人だけを残し、それ以外は殺してしまいます。
なぜ、一人が残されたかというと、彼は、趣味というか不安を抑えるためにレンガを積んで壁を作るという作業をしていたので、ロボットに同類だと思われたのです。
つまり、彼以外の人間は、働くことを止めていたのです。
ロボットたちは、R.U.Rで、新しく同族を増やそうとするのですが、生命の秘密ともいうべき物質の作り方がわからず、残された一人の人間にその物質の作り方を探させますが、建築家の彼が知るわけもありません。
このままでは、人間もロボットも死に絶えてしまうわけですが、実験的に作られていた2体の欠陥品の男女のロボットが、まるで人間のように考え、行動することを知った建築家は、2体のロボットに期待を抱きます。
新世界のアダムとイヴとなるように。
本書でも、「A,I.」と同じように、人間の愚かさや醜さが前面に押し出されています。
それと同時に、ロボットも自分たちが完全であると信じて疑いませんが、
人間の愚かなところまで真似しようとしています。
それに比べ、失敗作とされていた2体のロボットたちのお互いを庇いあう姿は、
なんと人間らしいんでしょうか。
ロボット+知能=人間への反乱という図式が強調されている物語だとばかり思っていたんですが、とんでもない思い違いでした。
戯曲であるので、強引な展開もなきにしもあらずですが、傑作であることは間違いありません。
人間には普遍的な問題点があり、
それを直視することが私たちのなすべきことではないでしょうか。
別に、それをしたところで何が変わるというものでもありませんが、心の片隅に置いておくことこそ重要なのだと思います。
ロボット岩波文庫
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私は、家事もそっちのけで観ましたよ。
オスメント君は、うわさに違わず、天才でしたね。
彼以外に、あの役は出来なかったでしょう。
ジュード・ロウは田原俊彦でしたし(笑)。
予想に反して、あまり興行成績が振るわなかった映画だったとようですが、
それも仕方ないかなぁ。
あれだけ人間の見たくない部分を前面に押し出されると
拒否反応をしてしまうんじゃないでしょうか。
結局、デビットは人間ではなく、違う種族に安息をもたらされるわけですし、
とことん人間は悪いやつでしたね。
「A.I.」のデビットはロボットなのですが、ロボットという概念というか、言葉を確立したのが、この戯曲「ロボット(R.U.R)」なわけです。
ご存知の方、読んだ方も多いでしょう。
1920年に初版されているのですが、現在のSF作品にも劣ることのないものです。
R.U.Rというのはロッサム・ユニバーサル・ロボット社の略。
アシモフのUSロボット社を思い出しますね。
チャペックはロボットというものを作り上げましたが、それと同時に、ロボット+知能=人間への反乱という図式も印象づけてしまいました。
それほど、この作品が衝撃的だったということですね。
R.U.Rの社長、ドミンは、ロボットを人間の代わりに労働させ、人間をより高い段階に引き上げようという信念のもと、ロボットを作り、売り続けます。
ロボットは労働から戦争までなんでもこなし、需要は高まるばかり。
やがて、自分で考え、行動するロボットが現れ、
ロボットたちは団結して人間に対して反乱を起こします。
思考が出来るといっても、極端なので、人間を一人だけを残し、それ以外は殺してしまいます。
なぜ、一人が残されたかというと、彼は、趣味というか不安を抑えるためにレンガを積んで壁を作るという作業をしていたので、ロボットに同類だと思われたのです。
つまり、彼以外の人間は、働くことを止めていたのです。
ロボットたちは、R.U.Rで、新しく同族を増やそうとするのですが、生命の秘密ともいうべき物質の作り方がわからず、残された一人の人間にその物質の作り方を探させますが、建築家の彼が知るわけもありません。
このままでは、人間もロボットも死に絶えてしまうわけですが、実験的に作られていた2体の欠陥品の男女のロボットが、まるで人間のように考え、行動することを知った建築家は、2体のロボットに期待を抱きます。
新世界のアダムとイヴとなるように。
本書でも、「A,I.」と同じように、人間の愚かさや醜さが前面に押し出されています。
それと同時に、ロボットも自分たちが完全であると信じて疑いませんが、
人間の愚かなところまで真似しようとしています。
それに比べ、失敗作とされていた2体のロボットたちのお互いを庇いあう姿は、
なんと人間らしいんでしょうか。
ロボット+知能=人間への反乱という図式が強調されている物語だとばかり思っていたんですが、とんでもない思い違いでした。
戯曲であるので、強引な展開もなきにしもあらずですが、傑作であることは間違いありません。
人間には普遍的な問題点があり、
それを直視することが私たちのなすべきことではないでしょうか。
別に、それをしたところで何が変わるというものでもありませんが、心の片隅に置いておくことこそ重要なのだと思います。
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チャペックの『ロボット』は私の高校時代の
最大の収穫みたいな作品です。
「人間だもの」というあまり上手でない書めいたものをお書きになる人の言う事は、鼻で
せせら笑っている私ですが、
これのラストを読んでいたく感動し、
「人間は誤作動をするロボットだったのか」
と悟りを開いた気持ちになりました。
つまり、回路がどこかおかしいロボットにしか希望が持てない。
救いがあるように見せかけているだけ。
深いラストです。
現在、「山椒魚戦争」を読み始めたところです。
最初、地球ライブラリーシリーズを図書館から借りたんですが、何気に巻末を読んだら、完訳版ではないとわかり、岩波版を借りなおしました。
チャペックはこれが2冊目ですが、「ロボット」同様、深いテーマが期待できそうです。