くろにゃんこの読書日記

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だから母と娘はむずかしい C・エリアシェフ N・エニック

2005年11月12日 | 科学&ノンフィクション
自分が女性であれば、自分には母(不在いかんにかかわらず)がいることは確実で、そのとき自分は母の娘なのである。
思春期を迎え大人の女性となり、やがて子供を生む(結婚は前提ではない)。
そうなれば、自分は母親に、子供が同性であれば娘の母となる。
しかし、母になったからといって、自分は母親の娘でもあることに変わりはないのだ。
やがて、自分の娘が大人になり、子供を生めば、おばあちゃんとなり、死が近づく。

上記のことが、一回読んだだけで理解できただろうか。
これは、女性であれば迎えるであろう場所(立場)の流れを追っている。
そこで大きく影響してくるのは、意識、無意識に関わらず、母娘間の関係である。
本書は精神分析と社会学を専門とする2人の女性によるもので、母のタイプを<女よりも母><母より女>等に分類し、それぞれがどのように娘との関係を結んでいくかを童話や小説、映画などのフィクションを通して解き明かしていく。
上記のように、似たような表現が多くややこしいところを、フィクションという共通認識でもって理解しやすくしており、さらにここで取り上げられているフィクションは、かなり酷なものが多い。
「ボヴァリー夫人」の病床のシーンでは、あまりの悲惨さに思わず笑ってしまったほど。
実際の母娘関係おいては、それほど極端なケースは、ほとんど無いにしても、自分はどのケースに当てはまるか、どの危険性が一番高いかを認識する手段としては有効である。

私の場合は、娘との同一化という問題がそれにあたる。
現在中3の娘のことを、私は「分身」と書いた記事があったのを思い出す。
架空の旅行計画は、娘とだった。
そこに、第三者(夫など)の入る余地はない。
この事実にはゾッとした。
母と娘の同一化は、ある時期に見られる兆候ではあるけれど、
それがずっと続くとなれば問題である。
いわゆる「一卵性母娘」である。
母親と娘の年齢差を感じさせないカップルであり、差異化が行われていない。
差異化は起こらねばならない。
娘自身のアイデンテティーの確立は、母親にとって身を引き裂かれる思いかもしれないが、自分とは違う人間であることを認め、尊重しなくてはならない。
母性という、社会的に尊敬される特性の裏には、支配したいという欲求があり、そこから脱するには、母親自身の柔軟な姿勢が求められる。
母性には、両義的な側面があることを忘れてはならない。
私の住む地域からそれほど遠くないところで起きた、女子高校生による母親の毒殺未遂事件(タリウム事件)も母娘関係に何かしらの問題があったのではないかと推測する次第である。

だから母と娘はむずかしい


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