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易の初歩 : コラム1 太極図について

2014-08-18 18:51:27 | 易 de コラム

・コラム1 太極図について

一般に広まっている太極図(下図)では、陰陽魚と呼ばれる白と黒の点が先天八卦での乾卦と坤卦(全陽と全陰)の中にありますが、それらの点が「陽中の陰」と「陰中の陽」を示すということであれば、本来的には離卦と坎卦がそれに相当するのが筋です。しかし、陽気と陰気の流れが入れ替わるポイントであることを示すという意味では、ひどく間違っているというようなわけではないと思います。

この、現在よく見られる太極図に対する一つの理解は、「先天と後天の八卦を重ねて考えているのかも」というものです。先天八卦と後天八卦を見比べてもらうと分かるように、先天の乾と坤の位置に後天の離と坎が来て互換しています。誰が作ったものかは知りませんが、このことを意図しているのかもしれません。あるいは、立体的に考えて陰と陽とが入れ替わる昇降口のような働きをイメージしたのかもしれません。

ただ、本来的には陽中の陰は離卦を象徴し、陰中の陽は坎卦を象徴しますから、八卦の成り立ちを考える上では先天八卦による陰陽の仕組みを理解しておくことが必要だと思います。なぜなら、これは陰陽の進退を意味するからであり、均衡と変化を基調とした易の本質に関わる内容だからです。

このことを季節に準えると、離の位置は春分の前後に、坎の位置は秋分の前後に当たります。春分・秋分は夏至・冬至の至点と共に分点として知られている節気です。もし陰陽魚(上図では三角形で表現した)を置くとしたら、陰陽・昼夜が二分される春分と秋分のところが易理としては妥当なはずです(昼夜の差が最も大きくなる夏至・冬至を基準とした中間日が春分と秋分。厳密な話ではありませんが)。

まず冬至において陽気が芽生え、その後、昼夜等分となる春分の頃に陰陽の気が二分されます。そして、夏至に向かって陽気が伸びる一方、陰気が形を潜めていく。逆に、夏至にて陰気が兆すと、今度は秋分の頃に陰陽の平衡点が訪れ、そこから冬至に向かってどんどん陰気が増し、代わりに陽気が力を失っていきます。もちろん、このことは昼と夜の交代、および朝と夕方について考えるのと概念上は同じことです。

このように、至分点(または真夜中・朝・真昼・夕方)に当たる乾坤坎離は易卦を構成する重要なポイントになっています。とはいえ、大概は八卦として一括りにして考えるため、あまりこの4卦にこだわる必要はありません。ここではひとまず、「乾坤坎離は八卦を総合的に見た際の基軸になってるっぽい」という程度の理解で構いません。

<補足>

乾坤のように極限にまで陰陽の気が高まった状態での変化は、力学での相転移のように驚くべきことが起きる可能性があります。それが生命に関する場合、時に危険な状況を示すかもしれません。
例えば、雪山などの豪雪地域で遭難し、真っ裸になって死んだ姿で発見される人のケースがあるそうですが、極度の暑さ/寒さによって感覚が異常事態になってしまい、周りから見ると狂乱や錯乱してしまうのかもしれません。それで寒さの場合は凍死してしまう。

「陰窮まって陽となる(陽生ず)」とか「易は窮(極)まれば即ち変じ、変ずれば即ち通ず。通ずれば即ち久し。(繋辞下伝より。一般に「窮ずれば通ず」と略されている)」とも言われますが、それは陰陽変転の理に沿って、変化の波が交替する様を示しています。季節の例では、冬至を迎えて陰気が極まると同時に、ごくわずかな陽の兆しが幽玄の中で生まれているという、その間断なき悠久の変化の仕組みに象徴されています。

言い方を換えれば、次にどんな波が来るかを正しく見極める目を持った人でなければ、「今が極み(天井/底/片側の端)だ」とは分からず、また「これから変化(方向転換)するぞ」とも言えず、さらに「さて、そのための準備をしなければ」とは考えられないのです。いくら「窮すれば通ず」と言ったところで、これは容易なことではありません。そのまま極みにとらわれたまま流れが変わったことに気がつかず、いつの間にか足元をすくわれてしまうことのほうが多いのではないかと思います。

また、すぐに原因に思い至ることなく、予想外の急上昇や急降下に直面する場合もあります。これは、窮したものが行き場(エネルギーの適切な捌け口)を失って暴走した結果、こういった緊急事態的な転機が訪れるのだと思います。わずかな機微をとらえるのと同様に、こういうことですら生得の直観力を失いがちな現代人にはなかなか分からないものです。特に、余裕ぶって慢に陥っている状態なら、なおのこと気づくのは難しいいだろうと思います。まあ、油断大敵というところでしょうか。

また、同じ繋辞伝の下の中で、困卦(沢水困)での窮事を述べている部分があります(「困窮而通」)。卦辞に「困は亨る(通じる)」とあり、これを受けたものでしょう。こちらの場合は、「困窮している状況にあっても、道理として正しいことを守って良識ある対処をしていれば、苦しい状態であってもなんとか切り抜けていける」という感じの意味だろうと思います。

 



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