重慶でラン&山登り

マラソンと山登りが趣味。
重慶の街を走って見つけた面白いことを記録します。

4K完歩記9 Gressoney Saint Jean-Donnas

2016-09-27 23:49:01 | 4K Alpine VDA
だいぶ記憶があいまいになってきていますが、写真を頼りに記憶を掘り起こしレースを振り返っていきたいと思います。書いていると色んな思いが溢れ長文になってしまいますが、もう少しでこのシリーズも完走しますので、もう少しお付き合いください。

9月8日

遂に6日目。この日を乗り切れば後1日。気力で何とかなるはず。とりあえずこのセクションが最後の砦です。

このセクションはこんな感じ。


距離は56kmと長く、アップダウンが続きますが、なんといっても最後の約2000メートルの下りが鍵。ここで足をやられない事。これに尽きます。

記録を見ると朝0時30分出発しています。ということはこのベースキャンプには5時間滞在していたということになります。食事やら準備やらで1時間30分を使用したとしても3時間強は睡眠がとれたことになりますが、疲れている本人はあっという間の時間でした。しかも今日は長丁場の為早めに起きる予定で目覚ましもちゃんとかけていたのですが、関門ギリギリまでしっかりと寝ています。

ベースキャンプも最早セットがほとんど片付けられており、間違いなく最後尾集団です。見ると昨日お会いしたラオウさんも出発の準備をしています。関門間に合ったようで良かった。一足先に出発します。

また今朝から股擦れができ始めていました。基本的にワセリンを塗り股擦れ防止をしていたのですが、あせや汚れ等でワセリンが効いていないのかもしれません。再度ワセリンを塗りましたが、不安材料です。


最初は平坦な道を数キロ進みます。途中に橋とかもあり晴れていればきれいな景色なんだろうなと想像しながら進みます。そして両脇が石壁で石畳の道があり石壁の向こうは農場か放牧場のような場所が広がるゆるやかな登りが続きます。暗くて良くわかりませんが、きっと未来少年コ○ンでラナが住んでいたハイハーバーのような街並みが広がってるんだろうと想像しながら進んでいきます。

そして遠くからカウベルの音が聞こえてきます。牛もあさから元気だなぁと思っていると・・・

エイドのおっちゃんが頑張って鳴らしてくれていました。朝の2時です。遠くにヘッドライトが見えると選手を勇気づけるために鳴らしているとのこと。ここでも温かいコーヒーとクラッカーを食べて先に進みます。

それにしてもまだ朝の2時。3時間以上寝たとはいえここまでの疲れも蓄積されており、眠くて仕方ありません。朝日が出れば元気にもなるのですがまだまだ先です。それでも目の前にある山を越えていかなくてはいけません。暗闇の中ヘッドライトの明かりだけを頼りに一歩一歩進みますがどうしても眠いです。しかし進みます。でも眠い。でも進まなきゃ。と考えているうちに知らず知らず寝ながら山を登っていました。気が付くとかなり進んでいます。崖でもなんでもない道なので滑落することはないのですが、目を一瞬開けて足のルートを確認し目を閉じながらストックを杖代わりにして寝ながら登り、また一瞬目を開けて自分の場所と次のルートを確認するという作業を無意識に繰り返していたような気がします。
ここに来て新しいスキル「寝ながら山を登る」を習得することに成功。但し極限状態にならないと発動されません。
寝てる間に進めるという少しお得な時間がしばらく続き、


本日最初のcol Lasoneyに到着。
ここから下りです。「寝ながら下る」というスキルはまだ習得していません。というかそのまま地面に転がり落ちてしまうため一生習得できないと思いますが、とにかく下りはひたすら歩くしかできません。そんな下りも約2時間でエイドに到着。


何故か催促されTシャツにサインをして、遂にここで力つきます。

眠くて仕方ありません。時間はありませんが、10分だけ寝ようと椅子に横になります。しばらくするとラオウさんがエイドに到着した気配で目が覚めます。時計を見ると6時15分。30分近く寝ていました。エイドのボランティアの方はのんきに6時30分にエイドは撤収するからそこまで寝てていいよと言いますが、予定より寝てしまい動揺して慌てます。そして少し元気にはなったけどまだまだ眠い状態で出発します。ここからは去年のUTMFと同様、眠いのを抑制するためラオウさんに声をかけお話させていただきながら進むことに。聞くとラオウさんは昨年のトルデジアンに出られており途中で大会が中止となったリベンジで今回4Kに参加されているとのこと。そもそも相当の実力者で腸脛の怪我がなければもっと前を走っている選手。本当は早く走れる実力があるのに、痛みに耐えながらゆっくりとしか進めない葛藤は相当なものだろうと思います。しかもまだ痛み止めは服用していないとのことで本当にタフな選手です。自分もこのレースの苦しいかったことや家族の説得や感謝等本当に色々な話をしながら進みました。そしてこの先にある山小屋のCoda小屋では裏メニューがあるらしく、去年のトルデジアンでは他の選手が食べていた有料メニューが激うまらしく是非食べたいという話がお腹の空いた二人には目標として一番盛り上がったと思います。登りはラオウさんが早く、下りは自分が早い。お互いにおいつき追い越ししながら時には引っ張り合いながら進みます。


ようやく太陽が出てきました。自然と力が湧いてきます。


コルに到着。

もらえる温かい飲み物。もう何度目かわからないですが、いつでもこの1杯は体と心にしみわたります。今回はたき火つき。


こんなコルも越えます、ラオウさんに撮影してもらいます。

でもこのコルは地図には乗っていません。コースマーカーは間違っていないので、コースが若干変更されているようです。

先に進むと

おいしそうな石焼ハム(たべれませんでしたが)


道をふさぐ牛。


再びcol。

少し下った先に小屋があり家の前にいた美女が・・・

おいしいドリンクを差し入れしてくれました。

そしてCoda小屋のすぐ手前まで到着。

ラオウさんの記憶ではこの先にCoda小屋があるそうです。二人で「パスタ!」「ピザ!」「ボロネーゼ!」「贅沢はいわないのでマルガリータで!」とか叫びながらCoda小屋(裏メニュー)をめざしますした。そしてついにCoda小屋に到着!!。期待したその先には・・・

なんと中には入れず、屋外の軒下での簡単なエイドしかありません。
4K切なすぎです。楽しみにしていた有料裏メニューは注文することすらもかないませんでした。

立派なCoda小屋。いつか普通の登山客として訪問してパスタ食べたいな。

補給もそこそこにCoda小屋を出発。時刻は18時過ぎ。

ここから標高2224mから330m迄の約2000mの一気の下り。距離は18km程。関門まではまだ7時間あります。単純計算では時速2.5km強で良いため十分に余裕があると思われます。腸脛を痛めて下りが苦しいラオウさんと別れ再び一人旅となります。

この稜線の中間地点くらいから右方向へ降りていきます。

少し下って上を見上げると結構急な角度を下りてくることがわかります。
半分くらい下ってくるとだいぶ町が近づいてきますが、ここで足を使い切ってしまいました。

石畳の道が増え路面が固くなり足にさらなるダメージを与えていきます。

気分を紛らわすために教会を撮ってみたりします。
かなりおりてきましたが、今度はすこし平坦な下りが続きます。再び夜になり眠気が襲ってきます。まだ時間は多少ありますが、寝過ごさないように選手が通ると起きれるように道のすぐ脇で10分程目を閉じます。眠気は無くなりませんがとりあえず先に進みます。

晴れていたら良いシャッターポイントとなりそうな橋げたを過ぎて街に入ります。
しかし膝が痛いためゆっくりとした歩きになります。緩やかな下りでも膝へ痛みが走ります。今までにも増してトボトボとある事が出来ず心が折れそうになります。
すると町中で子供たちが外で遊んでいます。

時刻は22時30分。イタリアっ子は夜遊びいいのか?と思っていると

エイドまで案内してくれました。
どうやらボランティアの子供のようです。遅くまで起きているのはあまり関心できませんが、応援してくれていることは素直にうれしかく、東洋人の自分にも興味を示してくれて元気がもらえました。
そのあとはすぐにベースキャンプにつくのかと思いきや、街を観光させてもらえます。

街中を通り

たぶん有名であろう橋を渡らせ

たぶんみんなが集まるだろう広場を横切り

0時10分。最終ライフベースのドンナス(Donnas)に到着。関門の50分前です。


結局下り早々で足を使い切ってしまい、最後は徒歩よりも遅いペース。下りではどうしても足先が靴に当たってしまい、つぶしたマメの下から更にマメができており、特に小指はもはやどうしようもない状況。そして股擦れも悪化しており、かぶれは最悪な状況。ベースキャンプでは歩くこともままならず、しばし呆然とします。
シャワーに入る時間もなく、入っても色々と染みるだけだし、何よりも眠くて仕方ありません。体をウェットティッシュで拭いて、湿布を張るだけ張り、明日食べるアルファ米にお湯を入れてもらい、少しでも休もうとベッドへ行きます。

そして最終日を迎えるのでした。

続く。

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