重慶でラン&山登り

マラソンと山登りが趣味。
重慶の街を走って見つけた面白いことを記録します。

4K完歩記6 Courmayeur-Ollomont

2016-09-20 21:29:13 | 4K Alpine VDA
9月5日
やっちまいました寝坊です。2時におきるつもりが気が付いたら4時。関門は朝6時までです。早々に出発しないといけません。

もうほとんど人がいないベッドルーム。片付けが始まってました。食堂に行くと飲み物以外もう何も残っていません。昨日食べれなかったアルファ米に塩をかけて食べて出発しますが、めちゃくちゃお腹へってます。
これは山小屋でお金を払ってでも注文するしかありません。もともとそれも楽しみにしていましたし前向きに気持ちを切り替え出発!


結局5時に出発。関門まで1時間しか残っていませんでした。

まずはトルデジアンのスタートとゴールとなる街、UTMBの最大のエイド、CCCのスタート地点となるトレイルランナーとしてはシャモニーに次ぐ聖地と言えるクールマイユール(Courmayeur)を堪能しようと思いますが、暗くて良く見えません。

街は確かに大きいのですが、トルデジアンのスタートということもあってライバル?の4Kの表示は少なく道をロストしかねません。


1週間前の熱戦の名残が残っていました。いつかここをUTMBで走りたい!


道中で水もきちんと補給します。

ここから800m程登ると山小屋があり、食べ物にありつけると思い頑張ります。

だいぶ登ってきました。

そして7時15分ようやく山小屋に到着。でも山小屋には入れません。そして簡易テントを発見。

早速ボランティアのおじさんに「お腹が空いたからなんか食べれない?パスタでいいから」とおねだりすると「ないよ」と冷たい一言。「お金払うのは知っているからさぁ」と食い下がりますが、朝早くて営業時間外なのかそもそも山小屋の人ではないのか「ないよ」の一点張り。でも「スープならあるよ」と温かいミネストローネを出してくれました。そしておじさん自らチーズを切ってスープにいれてくれました。

温かいスープが冷えた体を温め、微妙に溶けたチーズが養分となり体に吸収されていくのがわかります。
おじさんすごくいい人です。結局2杯頂き先に進むことにします。

さて本日のコースのおさらいです。

今Rif. Bertoneに到着でここから先Rif. Bonattiまでは平坦な道が続きます。ここは景色が綺麗だと事前情報で聞いています。そしてその先はCol Malatra。4Kと逆コースのトルデジアンでは最後のColとなりまた急峻な事で有名なColです。

そこから一気に1300m程下って緩やかな登りが続き、900m程登ってもひとつColを越えて1400m程下るという感じで山は大きいけれど初日2日目と比べると山が一つ少なく比較的楽なセクションに入ると思われます。
但し、寝坊をしてしまい制限時間ぎりぎりの状態ですので少しでも遅れると即タイムアウトとなるため、気は抜けません。

というわけでお腹がまだ満たされない為に秘密兵器の投入です。

ご褒美の柿の種。補給食は甘いジェルだけでは、どうしても飽きてしまうので、日本に出張に行っていた同僚にお願いして買ってきてもらった秘密兵器です。毎日2袋だけのご褒美。至福の時です。自分は柿の種を飲み物のように食べる特技があるので、あっというまに無くなります。

そんなこんなで歩みを進めていくとご褒美の景色がひろがってきました。

朝もやの中で虹が出ています。少しわかりにくいですが2重です。久しぶりに見た虹に感激します。何かいいことが起こりそう。
そんな虹をみて景色を楽しみにながらテクテク歩いていくこと更に2時間。Rif. Bonattiに到着。そしていいことが起こりました。

ここは山小屋の中に入れました。

山小屋とは思えないおしゃれなカウンター。

早速「カルボナーラいけます?お金払いますから・・・」と少し老いたマスターに効きます。すると・・・「ないよ」とのこと。
え?黒板のメニューに書いてあるじゃん。やっぱ4Kは嫌われてるのかな?それともパスタはまだ作ってないの?自分めっちゃ腹減ってるのよ。なんでもいいからお願い!なんて訴えていると、「コーヒーならあるよ」ということでカプチーノを頂くことに・・・。隣で幼子に授乳している娘らしき人が僕を哀れそうに見ています。するとその娘さんが旦那さんと思われるひとに耳打ちをします。その山小屋の若旦那(勝手に命名)が僕のところにやってきて「お腹すいているのか?サンドイッチなら作れるぞ」とこっそり耳元でささやきます。「ぐらーーーっちぇ^^」というと奥に行ってサンドイッチを作って持ってきてくれました。

正直パンは固くてコーヒーに浸さないと食べれなかったし、具材はハムだけだったけど、何よりも愛情で心が満たされました。
娘さんが僕をみて良かったねみたいな顔をしたので、自分も携帯を取り出し子供の写真をみせ、「僕も同じくらいの子供がいるんだ」と親心をくすぐる作戦を実行。なんだか通じ合えた気分。お金は?と聞くと「いらない」とのこと。なんて素敵なんだ!

サンドイッチは半分食べて、半分は行動食にして携行し山小屋を出発。


遥か先にCol Malatraが見えます。たぶん。あれだ!

相変わらず牛もいます。

Colはもうすぐ。最後の急な登りが気になりますがいくしかない。

Col Malatraに到着。先のエイドから2時間30分。丁度12時でした。


また長い下りが続きますが雨も上がり日が差して美しい景色が続きます。

またも幸せな時間が続きます。

そして長い下りもおわり、街に下りてきました。するとこんなコース表示が。

仲良くはできないと思いますが、なんか悲しいですね。

そしてようやく大きなエイドが見えてきました。

Saint Rhemy。138km地点。15時10分。ここは緊急ベッド等もあるベースキャンプ的なエイド。食べ物もおいてあります。パスタを注文。

チーズをかけてガッツリ頂きました。やっと胃がみたされました。このパスタを2皿食べ、無料Wifiがつながったので奥さんにTV電話をして元気をもらいます。


スタートする選手には大きなカウベルを鳴らして応援してくれます。

素敵な街並みを歩いていると

犬も応援してくれます。

そんなに書かなくても・・・

緩やかな登りの中、朝見えた虹の反対側が見えてきました。滑り台のように街に下りれそう。

そして本日二つ目の登りの前の山小屋に到着。
中に入るとかっぷくの良いおっちゃんが

「プリンタ食うか?プリンタうまいぞ!」と謎の食べ物を勧めてきます。
聞いたことないですがプリンの仲間だと思い、デザートも悪くないと一つ頼んでみます。

不思議な物体が出てきました。味は・・・なんかジャガイモとも違うし少しモチモチしてるし、でも餅でもないし・・・何とも言えないものでした。黙々と食べてると「プリンタどうだ?」としきりに聞いてきます「ヴォーノ(おいしい)」と数少ない知ってるイタリア語で返事します。
ちなみにこのレースはゼッケンに名前と国旗が記されていて、ゼッケンを見てフランクに日本の○○。頑張れ!とか応援してくれたりするのですが、「○○(ぼくの名前)おれはマオロだよろしくな!」となんか意気投合してしまいました。

こういう応援って本当に力になりますよね。そんなこんなで残すこともできず謎のプリンタを完食し山小屋を後にするのでした。
(後日調べたところ「プリンタ」ではなく「ポレンタ(polenta)」というコーンミールを煮たイタリア料理だそうです)


こんな面白いおっさんがいた山小屋だったので記念に1枚。

そして本日最後のColに向け登っていきます。

気が付けままた日が暮れました。

無心で登り21時30分。Col Champillonに到着。
ここからOllomontまでの長い下りをくだっていくのでした。Ollomontは記憶の限り唯一山を下りるとすぐにベースキャンプがあった場所。23時30分頃に到着。
早速食堂に行ってご飯を食べようとすると、日本人の選手が数名食事をされていました。どうやらこれから出発するようです。
自分が到着した時には既に休憩を終えて出発する選手。この差に少なからずショックを受けます。もちろん実力が全然違うのはわかっているのですが、やはり自分が来るべき舞台ではなかったのだなと思い、後4日も気持ちがもつかなぁと少し弱気になります。

一方でここまで全く走っていないのですが、昨日は関門1時間前に出発したにも関わらずOllomontには出発関門である朝5時の約5時間30分前に到着。すなわちベースキャンプで4時間30分過ごせる分のペースで来ているということになります。これは歩いてでも十分休憩して完走できるのではないかという淡い期待も生まれてきます。

シャワーを浴びてふと足を見ると

水膨れが新たにできています。特に小指が水膨れはその下から水膨れが出来、更にその下からも水膨れがあり3重になっていました。水膨れってこんな風にもなるんだと新境地を楽しみ、そして水膨れをつぶして寝ます。
もうすでに出発している人も多いため、ベッドは二つ使えました。一つは荷物を置き用、一つは寝る用。

そして1時前に眠りにつくことができました・・・

そして1時15分。携帯がなります。
日本から仕事の電話。「すみません。いまイタリアで・・・・」と要件を簡単にすまし再度就寝。

そして1時45分。携帯がなります。
中国から仕事の電話。「すみません。今日お休み頂いていて・・・」と要件を簡単にすまし、携帯を機内モードに変更し再度就寝。

大切な眠りを妨げられたことが影響したのかどうかはわかりませんが、翌日大事件が起こるのでした。

続く。

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