特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

死の重み

2007-05-14 08:22:23 | Weblog
ある小規模マンションに腐乱死体が発生した。
私は、エントランスロビーで依頼者(遺族)と待ち合わせた。

「大変なことをお願いして申し訳ありません」
「いえいえ・・・」
簡単な挨拶を交わして、すぐに本題に入った。

「早速ですが、現場を見せて下さい」
「こちらです」
私は、依頼者に促されてエレベーターに向かって歩いた。
エレベーターは一階で止まっており、私達は扉を開けて乗り込んだ。
私は、てっきり、上階の現場に向かうものとばかり思っていたのだが、扉が閉まった途端に依頼者は妙な質問をしてきた。

「何かお気づきになりませんか?」
「え!?何をですか?」
「例えばニオイとか・・・」
「ニオイ?特に感じませんが・・・」
「やはり、感じませんか・・・」
「???」
怪訝な表情の私と困惑した表情の依頼者。

依頼者の話によると、遺体はその日の朝に警察の手によって現場の部屋から搬出されたとのこと。
酷い腐乱状態だったようで、遺体は納体袋に入れられ、エレベーターを経由して警察車両に積み込まれ運ばれて行ったらしい。

「このエレベーターが問題なんです」
「特に問題があるようには思えませんが・・・」
「ですよねぇ・・・でも、住人の皆さんが・・・」
「???」
私は、内部の天井・壁・床をグルグルと見回してから首を傾げた。

問題の中身はこうだった。
まず〝腐乱死体発生〟でマンションが大騒ぎ。
次に、野次馬が群がる中を警察が作業。
遺体はエレベーターを使って下まで降ろされ搬出された。
その後、何人かの住人達が、
「エレベーターがクサイ」
と言いだし、その結果、
「このままじゃ使えないから、なんとかしろ!」となった。
そこで、腐乱死体については陰の第一人者?である私が呼ばれたのであった。

事情を知った私は、あらためて内部のニオイを嗅いだ。
壁に鼻を近づけて慎重に嗅いでみたけど、やはり、腐乱死体を積み込んだことが原因と思われるようなニオイは感じなかった。

「人は誰でも死に遭遇するんですから、少しは身内の立場も理解してもらいたいです・・・」
「ここの人(住人)達は、私達のことを気の毒に思ってくれていないようでツラいです」
依頼者は、疲れたようにそう嘆いた。

問題の芯が実際の悪臭ではなく、住人の恐怖感・先入観であることはすぐに分かった。
今まで経験したことのないショッキングな出来事に、住人達は著しい恐怖感・嫌悪感を覚え、心の鼻が異臭を感じていることが想像された。

腐乱死体発生現場では、このようなことは頻繁に起こる。
どんなにキチンと処理しても、
「まだ臭うような気がする」
という類の問題が発生して、解決が長引くのだ。

この類の問題は、精神的なことが原因になっているので、単なる消臭作業をしても効果は期待できない。
もっと言えば、悪臭自体がないのだから、消臭作業も必要ない。
だけど、そのまま放置しては住人達がの抱える問題は解決しない。

私は、マンションの住人達と話をすることにし、自治会長を中心にしてクレームをつけている何人かを管理人室に集めてもらった。
そして、依頼者がキズつくような発言があってもいけないし、逆に、住人が率直な意見が言えないと意味がないので、依頼者には席を外してもらった。

始めは、私が自己紹介。
死体業の専門業者であることを話すと、宇宙人でも現れたかのように皆が一様に驚きの表情。
更には、呆れ顔の人・眉間にシワを寄せる人もいた。
私は、そんなことは気にも留めず、エレベーターにはニオイも汚れも残っていないことを伝えた。
その上で、要望・意見を聞いてみた。
すると、住人達の不安要因は私が想像していた通りであることが分かった。
そして、依頼者を同席させなかった選択が正しかったことを確信した。

住人達の意見は、大別して二つ、
「気味が悪い」
「不動産価値が下がる」というもの。
言いにくそうに自分達の心情を打ち明ける住人達に、人の冷たさは感じなかった。
それどころか、住人達の気持ちはよく分かった。

人の死は、誰にでも厳粛に受け止められるものではない。
人によって受け止め方は様々。
身内にとっては重い悲嘆の対象であっても、他人には冷淡に嫌悪されることも少なくない。
肯定も否定もなく、ただただこれが現実。
死体業に携わっていると、その辺の表裏がよく見える。

結局、このエレベーターは、床マット・壁カーペットを洗浄し消臭剤・消毒剤を噴霧して作業完了とした。
私から見たらやる必要のない作業だったけど、これをやることによって少しでも住人達の気がすめばいいと思って、望まれるままに引き受けた。

しかし、残念ながらこれで全ての問題が解決した訳ではなかった。
それぞれの人に、それぞれの重荷が残ったはず。

人の死は、極めて重くもあり、極めて軽くもある。
〝死の重み〟が、受ける人によって違うところに、人が使い分ける裏表の根源があるような気がする。
受ける〝死の重み〟が皆同じだったら、世の中はガラリと変わるのだろう。





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