特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

天居

2010-10-15 16:50:00 | Weblog
呼ばれて出向いたのは、狭い路地が交錯するエリア。
界隈の道路は、普通乗用車一台がやっと通れるほどの狭いものだった。
現場は、その中に埋もれるように建つ古い一軒家。
向かいの建物との距離も短く、両隣と同一の建物かと間違うくらいに隙間なく建てられていた。

パッと見は普通の一戸建。
「アパート」と聞いてやって来た私は、住所を間違えたものと錯覚した。
しかし、よく見ると、その建物には二階に向けて外階段が設置。
二階の一室を貸し部屋としているようだった。

故人の部屋は、その二階の一室。
階段を上がるまでもなく、私の鼻には嗅ぎなれた異臭が入ってきた。
一階が大家の住居。
私は、先にそちらを訪問した。

一階玄関も、かなり古い造り。
インターフォンはもちろん、呼鈴もなかった。
私は、とりあえず、戸をノック。
しかし、中から反応なかった。

私は、玄関前から大家宅に電話。
携帯から聞こえる発信音と屋内から聞こえる電話の受信音を重ねて聞きながら、誰かが電話にでるのを待った。
そして、待つこと数十秒。
少しすると、高齢を感じさせる女性が、電話にでた。

私が用件を伝えると、女性は、玄関の戸を開けるよう指示。
そして、そこから中に入るよう私を促した。
当初、玄関口で話しをするつもりだった私。
しかし、女性は足が悪いようで、結局、そのまま女性宅に上がり込むことになった。

二階からの異臭が下に降りているとみえて、濃度は高くないながらも、それは女性宅にも滞留。
しかし、大家女性は、そんなこと意に介していない様子。
「ずいぶんニオイますねぇ・・・」と同情したつもりの私を、「腐らない人間なんていやしませんよ」と一蹴。
お株を奪われたかたちとなった私は、気マズさをともないながら、促されるまま黙って居間の椅子に腰掛けた。


第一発見者は、引越し作業を請け負った、引越業者。
異臭は、その数日前から漏洩していたのだが、大家女性も近所の人も原因を察知できず。
怪訝な思いを抱きながら、数日をやり過ごしてしまった。
そして、皮肉にも、引越し予定日の前日、連絡がとれないことを不審に思ってやってきた引越業者に発見されたのだった。

故人は、初老の男性。
このアパートには、二十数年暮らしていた。
その年月に、女性は深い想いがありげ。
その年月は、二人の間柄を、ただの家主と賃借人ではなく、知人と家族の間みたいなものにしていたようだった。

その人間関係は良好ながらも、故人は、このアパートからの転居を準備。
引越業者の手配も済み、引越予定日も決まっていた。
それは、故人から言い出したことではなく、大家女性の提案。
先々のことを考えてのことだった。

年齢を重ねて女性の身は衰えるばかり、家屋も老朽化する一方。
その中で、女性は、自分が死んだ後のことを考えるようになった。
自分が死んだ後、土地家屋を相続する子や、そこに暮す借主に迷惑をかけないようにするためには、どうすればいいか・・・
結果、自分が生きているうちに大家業は廃業すべきと判断したのだった。

女性は、そのことを故人に提案。
自分が逝ってしまう前に、次の住処を考えるよう促した。
女性の意向を理解した故人は、身の振り方を一考。
単に住む家のことばかりではなく、先の生き方についても女性に相談しながら転居計画を練っていった。

故人に妻子はなく、ずっと独り身。
気楽な賃貸アパート生活が気に入っているようだった。
しかし、自分が死んだときのことを真剣に考えると、自分の気楽さばかりを優先してもいられず。
大家女性の、ものの考え方や生き方に感化されてか、故人は、賃貸生活をやめて不動産を買うことを選んだ。

故人が買ったのは、中古のマンション。
場所は、アパートの目と鼻の先。
ながく暮らしたこの地域に愛着があったとみえて、当初から、転居先は近くにするつもりだったよう。
そして、自分の身の丈にあったマンションを見つけて買い受けたのだった。


現場となった二階の部屋は、四畳半に毛が生えた程度の狭い部屋。
風呂はなく、トイレは室外。
小さな流し台があるのみで、ガスコンロも満足に置けないくらい。
今の人は見向きもしないであろう、一時代も二時代も前のレトロな造りだった。

部屋には、強烈な悪臭と蒸された空気が充満。
そして、目の前には凄惨な光景。
更に、お約束のウジ・ハエが大量発生。
故人にとって“住めば都”だったはずの部屋から、その面影は失われていた。

汚染痕は、人型となって、部屋の一部を占有。
それは平面的ではなく、立体的に浮き上がり、腐敗進度の深刻さがイヤでも伝わってきた。
頭部痕には、大量の毛髪が残留。
白髪混じりの短髪が、私の脳裏に故人の年齢と風貌を浮かび上がらせた。

目につく家財生活用品は少なめ。
また、大型の家具や家電はなし。
部屋の四方には、数多くの荷造りされたダンボール箱。
大家女性が言っていた通り、引越の準備が進められていたようだった。


部屋を確認した私は、再び一階の大家宅へ。
グロテスクな表現を控えながら、物理的な状況を伝えた。
それを聞く女性は、いたって冷静沈着。
私の説明に興味なげに、一方的なうなずきを小刻みに繰り返した。

“腐乱死体発生”となると、身も心も騒がしくする人が多い。
大家女性のように、迷惑を被っている側の人は尚更。
しかし、この大家女性は、それを感じさせず。
それどころか、何かよいことがあった風にもとれる不可解な雰囲気を醸しだしていた。

せっかく買ったマンションに越す直前に亡くなった故人・・・
私は、人生における切なさと先の不透明さを痛感し、そこに起こる皮肉な出来事を憂いて表情を固くした。
しかし、それとは逆に、大家女性は、いたって穏やかな表情。
「○○(故人)さんはね、いいところに越していったんですよ・・・」
「真剣に生きてきたから、神様がね、“もういいよ”って天国に入れてくれたんだと思いますよ・・・」
と、穏やかにつぶやいた。
そして、返事ができないでいる私を、
「歳を重ねていけば、そのうちわかりますよ・・・」
「ただね・・・人生は、過ぎてみると短いものですから、よ~く考えて生きないとダメですよ」
と諭し、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

死後の世界観は、人それぞれにあるだろう。
知人の中には、“死=無”と捉えている人が少なくない。
そういった人達からすると、大家女性の死後観は違和感があるかもしれない。
しかし、その時の私は、違和感を覚えなかった。
それは、“死≠無”とする観念を元来持っているからではなく、ただただ、大家女性が人生で得た何かの確信がそう理解させたように思えた。


やがてくるこの世からの転居日。
それが、いつ、どのようなかたちでくるものか、知る由もない。
その日を楽しみに待つことはできないかもしれない・・・
覚悟して悟ることもできないかもしれない・・・
しかし、その日が来ることを覚えながら生きることはできる。

そうすると、日々、新たな気づきが与えられる。
自分の精神をどこに住まわせるべきか・・・
今の今の今、大切にしなければならないことは何か・・・
本当は、身近にいるその人を、大切にしなければならないのではないか・・・
そのために、何をどう考え、どう動くべきか・・・
それを考えながら、真剣に生きる・・・死に向かって全力疾走する・・・

地獄のように感じられることが多いこの現世だけど、大家女性の言っていた天国への道は、そんな生き方からつくられてくるのかもしれないと思った。


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