特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

穴埋め

2014-01-20 08:36:34 | 遺品整理
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
亡くなったのは、女性の母親。
現場は、古くて小さめのマンション。
もう長く誰も住んでいない部屋なのに、そういった雰囲気はなし。
リアルな生活感こそないものの、それなりの生活感が残っていた。

部屋は、女性が故人から相続したもので、賃貸物件でなし。
したがって、家賃もなければ退去期日もなし。
リスクといえば、維持費や税金、築年数が増える分の不動産価値の下落だけ。
退去するもしないも、売却するもしないも、女性の自己裁量で自由にできる物件だった。

女性の住まいは、現場から目と鼻の先。
現場までは歩いて往来できる距離で、女性は、故人のもとを頻繁に訪れていた。
故人は晩年も足腰は達者で、大きな不自由もなく一人暮らしを続けていた。
が、女性は、一人で暮らす母親のことが心配で、こまめに世話を焼いていた。

女性は、そんな暮らしが永遠に続くとは思っていなかった。
それでも、母親に対して、いつまでも元気でいてほしいという願いはやまなかった。
しかし、自然の摂理に逆らえる者はいない。
愛する母親は、晩春のある日、長寿をまっとうして先に逝ったのだった。

女性は、故人が残していった遺品一つ一つを自分で確かめたかった。
また、他人の手で無情に捨てられるのも抵抗があったため、女性は、細かいものの片付けは自分の手でやろうと考えた。
そこで、「四十九日過ぎたら始めよう」と作業開始時期を決定し、それまでに気持ちが落ち着かせようとした。
しかし、そんな期待に反して、四十九日が過ぎても遺品を片付ける気は起きず。
何もできないまましばらくの日が過ぎ、結局、「涼しくなってからやればいい」と、開始時期を秋まで延ばした。
しかし、秋という季節は、寂しさを一層強いものにし、片付ける気は失せる一方。
季節が冬に代わる頃になると「暖かくなってからやればいいか・・・」と、再び延期に。
それを何度か繰り返し、結局、二年の月日が経過したのだった。

楽しい気分で葬式をだしたり、遺品を処分できる人は少ないと思う。
大方の人は、悲しみや寂しさを覚えるものと思う。
大切な人と別れたわけだから、それは自然な感情であり、ある意味で正常な感情でもある。
しかし、度を越すと、自分の中で違和感がでてくる。
更には、それが、いつまでもそれを引きずって生きていきたくないという気持ちと対立し、
嫌悪感のようなものを覚えるようになってくる。
この女性もそうで、その喪失感はかなり深刻なよう。
そして、それが、自分に妙なストレスを与えているようだった。

「“ポッカリと心に穴が開いたよう”ってよく言われますけど、ホントにそんな感じで・・・」
「寂しくてたまらないんです・・・」
「もう二年も経つのに・・・」
「いい歳して、おかしいでしょ?」
女性は、疲れたようにそう言った。
しかし、私は“おかしい”なんて少しも思わなかった。
親を慕い想う気持ちに年齢は関係ない。
いくつになっても、親は親、子は子。
共に生きた月日と注ぎあった愛情は確かにあり、色が変わることはあっても褪せることはない。

だからこそ、故人が使っていた遺品を捨てるのは、なかなかの力がいる。
単なる腕力・労力だけではなく、そこには、心の力も必要。
遺品のほとんどは遺族の実生活には必要のないものだけど、中には心が必要とするものもある。
それを処分するわけだから、それなりの心力が必要なのだ。
それでも、目に見えるモノは処分していかないと、それは生活の重荷になり、厄介の種になる。

それとは違い、“想い出”というものは、いくら残しておいてもいい。
細かいことをいちいち記憶しておくことはできないけど、自分の記憶力が許す範囲においては、想い出は、自分の好きなだけとっておくことができる。
自分の心(頭)の中にしまっておけるものだから、それが物理的に生活の邪魔をすることもない。
だから、想い出は、好きなだけとっておけばいいと思うし、好きなだけとっておいていいものだと思う。

必要なのは、“遺品を処分することは想い出を捨てることではない” “喪失感や悲嘆を拭うことは故人を忘れることではない”ということを理解すること。
大切なのは、故人との過去を笑顔の想い出に変えること。
そして、そのプロセスによって、心の穴を埋めること。
遺品を片付けたくらいで心の穴がすぐに埋まるとは思えないけど、私は、その一歩を踏み出すことによって、女性の心の細胞が回復へと動き出すのではないかと思った。


今、私の両親は、ともに70代。
歳も歳だから、身体に不具合はあるだろうけど、今も健在。
だから、親を亡くしたときの気持ちは、想像することくらいしかできない。

父親は、大病なく健康。
だが、何分にも高齢。
健康のために、何年も前から好物の酒もやめて(控えて?)いる。
それより少し若い母親は何年も前から糖尿病を患い、肺癌もやった。
肺癌は、手術をしてから5年余が経つ。
治療成績が悪い癌の代表格とされる肺癌ながら、今のところ、癌細胞もおとなしくしている模様。
入院することもなく、定期健診でここまできている。
しかし、何となく再発の兆しはあるよう。
ただ、母は正確なところを話したがらない。
精神の浮き沈みにのまれながらも、とにかく、人に自分の弱みを見せたくないらしい。
急場にいるわけでもなさそうだから、本人の意思を尊重して、余計なことは訊かないようにしている。

とっくに引退しているけど、現役の頃の父親は、ずっとサラリーマン。
大方の父親がそうであるように、身を粉にして働き、家族を養ってくれた。
しかし、収入は限られており、極貧ではなかったものの裕福でもなかった。
「中流の中の下流」と言えばシックリくる感じ。
そのため、母親が専業主婦をやっていた時期は短く、ほとんど両親共働き。
「子供に、自分達と同じような苦労はさせまい」と、教育にお金をつぎ込んでくれた。
労苦に苦労を重ね、質素に倹約を重ねて幸せの基礎をつろうとしてくれた。
ちゃんとした教育を受けさせ、ちゃんとした仕事に就かせ、大金持ちにはなれなくても社会的にも経済的にも安定した幸せな人生を子に歩ませたかったのだろうと思う。
ところがどうだ・・・
親の期待や希望なんて、そっちのけ。
人生の先輩としての訓戒に耳も貸さず、将来のことを真剣に考える頭も持たず。
生意気なことばかりほざき、“その時々が楽しければそれでいい”みたいな生き方をして今日に至っている。

子を養育することも、親の責任であり義務であったりする。
しかし、育ててもらった恩義はある。
私は、子として、人として、その恩の対する、また、その恩を返せない不義に対する穴埋めをしなければならない。
苦労している姿を目の当たりにしてきたのだから尚更。
しかし、まったくそれができていない。
親孝行なんて何もできていない。
思い返すと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

そういう気持ちがありながらも、親子関係はずっと疎遠なまま。
過去には、親に、嫌な思いをさせられなり傷つけられたりしたこともある(その原因が自分にあったことも多いのだが)。
迷惑もたくさんかけた。
子供の頃から色々なことで確執が生じ、特に、母親とは幾度となく激しく衝突した。
その昔、2~3年、音信不通の時期もあった。
今は音信不通ではないけど、年に2~3度電話で話すくらいで、顔を合わせることは滅多にない。
“自分が生活していくことで精一杯”という現実と、ある種の禍根が混ざり合って、現状が続いている。

それでも、親との想い出はたくさんある。
特に、子供の頃の想い出は。
悪い想い出もあるけど、笑顔の想い出もたくさんある。
人生において、“笑顔の想い出”は大きな宝物。
その宝物を掘り返しては、懐かしんだり、笑ったり、反省・後悔したり、今の自分を励ましたりする。

このまま、親が逝ってしまったら、私は何を思うだろう・・・
別れに涙を流すだろうか・・・
想い出に笑みを浮かべるだろうか・・・
そんなことを考えると、やはり、子供の頃の笑顔の想い出が甦ってくる。
そして、心が、やわらかなあたたかみを帯びる。
更に、それは、この私が幸せに生きることが、親への不義の穴埋めになるのかもしれないことを教えてくれるのである。



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