特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

死体慕い

2009-07-09 19:02:22 | Weblog
一年で、4~5万キロは走るだろうか・・・
仕事柄、年柄年中、車を運転している私。
〝ペンだこ〟なんか何年も前に消えてしまったが、代わりに中指・薬指の節には、〝ハンドルだこ〟ができている。
それでも、私は、車の運転が苦にならないから幸いだ。

そして、この仕事は、いつどこに呼ばれるかわからない。
たまには、日を連ねて同じ現場に入ることはあるけど、基本的に、行く先に計画性はなく、日によってバラバラ。
毎日のように違った街・色んな景色との出逢いがある。
だから、考え方を一つ変えるだけで仕事に窮々としている気分を、気楽なドライブ気分に変えることができる。

しかし、同じ車の運転でも、気楽にできない仕事もある。
遺体搬送業務だ。
これは、〝お客様〟を乗せて走る訳で、〝ドライブ気分〟っていうわけにはいかない。
やはり、色んなところに色んな神経を使う。

同乗するお客は、二種類。
死んだ人と生きている人・・・そう、遺体と遺族。
遺体だけ乗せて、遺族は乗らないケースも多い。
〝見ず知らずの遺体と二人きり〟なんて、不気味に思われるかもしれないが、遺族が同乗する場合よりはるかに気は楽。
遺体は、対人関係を苦手とする私には、もってこいの相手(?)。
文句一つ言わないし、黙ってても雰囲気が煮詰まることもないから。

今は、遺体搬送車には、1BOXタイプの車が使われることが多い。
遺体一人と遺族二人が乗れるよう、後席部分が改造されている。
アシスタントがいない場合は助手席も空くけど、遺族には、後席を優先して乗ってもらう。
後席は、遺体の傍でもあるし、助手席に比べれば事故負傷のリスクも低いし・・・
あと、これは私だけかもしれないけど、遺族に横(助手席)に座られては、落ち着かなくて気詰まりするから。

同乗する遺族のタイプも様々。
一番多いのは、ただ静かに黙っている人。
この雰囲気は、楽と言えば楽。
私も、安全運転に徹して静かに黙っていればいいだけから。

中には、シクシクと泣き続ける人もいる。
死別の悲哀度は人それぞれで、他人にはいかんともし難い。
そんな遺族に対して私ができることは、ひたすら自分の気配を殺すこと。
ただ、それだけ。
こちらも、悲しいくらいに役に立たないのである。

あとは、遺族同士で会話を弾ませる人もいる。
故人の思い出話に花を咲かせる人、雑談にふける人、色々・・・
どこの家にもありがちな話など、大きく頷ける話題もあれば、人間臭い話など、親しみを感じる話題もある。
中でも多いのは、葬儀についての話。
普通、誰もが、葬式の段取りをつけるのは不慣れ。
だから、一朝一夕にはいかない。
しかし、無理にでも一朝一夕に片づけなければならないわけで・・・
遺体の移送中であろうが何であろうが、話せる時に話しとかないと時間がないのである。

また、やたらと私に話し掛けてくる遺族もいる。
悲しみを紛らわしたいのか、空気を煮詰まらせないようにするためか、はたまた、私に気を遣っているのか・・・
気候や時事ネタなど、社交辞令的な話題が多いけど、中には、不快感を刺激するような際どい質問をしてくる人もいる。
それでも、相手はお客。
歯ぎしりを愛想笑で覆い隠して、やり過ごすしかないのである。

ま、相手がどんな人であれ、業務上の必要事項でないかぎり、私の方から口を開くことはない。
空気が煮詰まろうがどうしようが、寡黙一筋。
〝雄弁は銀、沈黙は金〟〝口は災いのもと〟と言われるように、黙っているのが一番無難なのである。


亡くなったのは、年配の女性。
身体に特段の異変もなく、ごく普通のおばあさん。
その故人を、自宅から葬儀式場に運ぶのが、私の仕事だった。

家で私を待っていたのは、中年の女性。
〝故人の一人娘〟とのこと。
他に遺族の姿はなく、故人と二人で、私の〝お迎え〟を待っていた。

女性は、〝冴えない〟というか〝浮かない〟というか、暗い表情。
無愛想とは違う、反応のなさ。
死別の悲中にある女性には当然の表情だったのだが、気持ちに引っかかる何かがあった。


「どうぞ、こちらにお乗り下さい」
故人を先に乗せた私は、次に、横のスライドドアを開けて女性を誘導。
故人の顔に近い席に座るよう、促した。

「前の席じゃダメですか?」
前記の通り、同乗する遺族が1~2名のときは、助手席は空けて後席に乗ってもらうのが普通。
女性は、後席乗車に気が進まないのか、前席に乗ることを希望してきた。

「構いませんけど・・・」
意外な要望に、ちょっと戸惑った私。
が、断る理由はない。
結果、女性の希望を尊重するしかなく、助手席のドアを開けた。

「わがまま言って、すみません・・・」
女性は、私に頭を下げてから前席に乗車。
後ろの故人に振り返ることもなく、シートベルトに手を伸ばした。

前席・後席に分乗して、しかも間仕切カーテンをしめてしまえば、狭い車中にも個別の空間ができる。
そうすると、余計な気も遣わないで済むし、会話がなくてもそう不自然ではない。
しかし、私達は、狭い車内に隣り合わせで座ったわけで・・・
黙っていると雰囲気は煮詰まるし、そうは言っても気の利いた話題も思いつかず・・・
対人関係を苦手とする性格がモロにでてしまい、ハンドルを握る手が汗ばむばかりだった。

そんな雰囲気を気マズく感じないのか、女性は、ひたすら沈黙。
私には、女性が何を考えているのかまではわからなかったけど、何かを深刻に考えていることだけは感じられた。


「自分の母親なのに、(遺体が)怖いんです・・・」
「顔を見ていると目を開けそうで、傍にいると手がつかみかかってきそうで・・・」
「おかしいでしょうか・・・」
煮詰まった雰囲気にも慣れてきた頃、女性は、急に口を開いた。
長い沈黙を破っての唐突な話に、私はちょっと面食らったが、そのまま聞き入った。

故人(母)は、できる限りの愛を注いで女性(娘)を育てた。
躾をするため厳しい一面を覗かせることもあったし、女性が成長する中で、ぶつかり合うこともあった。
それでも、女性は故人の愛を疑うことはなく、また母として愛し、一人の女性として尊敬しながら大人になった

いつか来るとわかっていた死別・・・
しかし、それが現実のものになると、覚悟していた悲しみや寂しさとは別の感情が女性を襲った・・・
生前は愛してやまない母親だったのに、それが血の気を失い、冷たく・固くなった途端に、恐ろしく思えてきた・・・
女性は、そんな心情が、子として・人として間違っていることのように思えて苦悩しているようだった。


大方の人は、死を恐れ、忌み嫌う。
また、〝死〟そのものだけではなく、死に関わることや死をイメージさせるものも敬遠される。
その理由は色々あるだろう。
しかし、具体的な理由がなくても、人は、もともと〝死にたくない〟という本性を備えている。
これが、いわゆる〝生存本能〟というものかもしれない。

しかし、死を忌み嫌うことは、悪いことなのだろうか。
私は、そうは思わない。
人が、死を忌み嫌うことは、そのまま生につながるから。
生きることに執着心を起こさせ、生きる執念を生み出すから。
〝死にたくないから生きる〟・・・
死を忌み嫌うことと生きることは、一対になって響き合っているものなのだと思う。


私ごときに心情を打ち明けたところで、何かが解決するはずもなく・・・
車を降る時の女性は、乗車する時と変わりなく、暗い表情。
そこには、死の悲哀と生の切なさがあった。
しかし、時が経てば、女性の、死体に対する嫌悪感は母を慕う気持ちに戻っていき、それがまた、死を正面で受け止めさせ、前向きに生きる力を宿らせるのだろうと思う私であった。






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