弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

「いじめ」と「テロ」~言葉をめぐって

2007年01月14日 | 言葉/表現
 去年の話だが、日テレの「太田総理」で、「いじめをなくそう」というスローガンを禁止するべきだ、という提案が取り上げられた回があったのは、ご存知の人も多いと思う。
 僕は番組を見ていないが、太田光の意見に賛同する側に立った出演者の一人、保坂展人議員のブログでその趣旨を読んで、とても共感した。
 僕自身の言葉で簡単にまとめればこんな感じのことだ。「いじめをなくそう」という聞こえのいいスローガンを立てたって、現実には完全になくすことなどできないし、できないくせにスローガンだけが力を持つと「ないことにする」という欺瞞を生む。また「いじめ」をする子供たちのストレスは、押さえつけて「なくす」ことでは解消されるわけではない。端的に言って、「いじめ」という現象をなくすことよりも、現代のいじめの根底にある子供たちの尋常ならざるストレスのことを考えるべきだ。原因は決して「規範意識の欠如」などという言葉で説明できるようなものではない。むしろそんなアナクロな価値観を押し付けて、子供たちを窒息させる馬鹿な大人たちは確実に原因の一端である。原因をもって問題を解決することはできない。
 保坂氏の言葉を借りれば、「「いじめ」とは正反対のベクトルへと子どもたちの日常を反転させていく」発想が必要だ。原因が減れば、単純な話、結果も減る。

 これはなんら新しい見解ではなく、昔にも何度かあった「いじめ」深刻化のたびごとに、保坂氏や去年亡くなった灰谷健次郎のような、現場に精通したまともな人達が語ってきた正論である。
 しかしこの手の正論は、たいていは頭の固い行政組織によって無視され、表面的な「議論」の末に表面的な「対策」にすり替えられる。問題の根を絶つことになっていないから、こうして何度も同じ問題が生じる。生じればまた、新たに耳障りのいい無意味なスローガンが提起される。 我が国ではこうして、国語の破壊は政府と行政組織によって率先して行われている。

 同じ構造は、そっくりそのまま「テロ撲滅」「テロ対策」というスローガンにも当てはまると思う。
 テロには動機がある。殺人事件には、いわゆる「動機なき殺人」と呼ばれる難解で突発的なものや、あるいは一時の感情の爆発によるもの、過失によるものなど様々なタイプがあるが、テロにはそんなものはない。明確な動機がないところにテロは起きようがない。現象としてのテロ事件をいくら軍事力や警察力で防いでも、いや、そうしたやり方で防ごうとすればするほど、テロを起こす側の動機は強まる。
 テロをなくしたければ、その動機をなくすことを考えるべきだ。端的には、人の足を踏んづけている自分の足をどかすこと、などである。だが実際に行われている「テロ対策」とは、軍隊を増派させて踏んづける力を増すなど、テロの動機をさらに多く作り出すのに貢献している。もっとも、それが最初から狙いだという話もあるが。
 さらに言うなら、「いじめ」の問題を盾に反省能力のない教育委員会の役員などが学校への統制を強めるのと同じように、政治家や警察が「対テロ」をてこに自分の立場を非常大権的に強めるという側面も問題である。こういう連中にとっては、結局「いじめ」も「テロ」も出世の道具なのである。あんまり起こりすぎると自分の首が飛ぶが、そこそこに起きている時には逆に自分の立場を強めるという、罪深いにもほどがある構造だ。
 そういうわけだから、近い将来「太田総理」で「テロ対策という言葉をなくそう」がテーマになることを期待する──のだが、今のところそれは無理だろう。「テロ対策」はこの国の国策とも言えるものであり、日テレをはじめとする放送各局もこれに従っているのだから(特に無批判にこの用語を使っているのはNHKだと思う)。

 ただ「テロ」については、「いじめ」の問題とは別の大きな問題も絡んでいる。それは、そもそもテロではないものまで「テロ」のレッテルでくくってしまうという、テロの定義の(おそらく意図的な)惑乱だ。これについては稿を改めて書く。

 以上、村野瀬玲奈さんの(および玲奈さん経由で華氏451度さんの)「言葉を奪い返そう」という呼びかけに応じて、僕としても前から気になっていたことの一つを書いてみた。もちろんこのテーマのネタはまだまだ尽きない。
 これは単なる言葉へのこだわりという次元の問題ではない。この国の民主的環境が危機にあるのだとしたら、その発端はまさに言葉を奪われたことから始まっているに違いないのである。
 自ら社会的発言を目論んでブログをたちあげたような人なら、それを少なくとも薄々は承知している人が多いだろう。だが、この際はっきりと、自覚的に言葉にこだわるべき時が確かに来ているように思う。言葉がアバウトであったり、紋切り型であると、闘い方までそうなってしまう。それは僕らを不利にするだろう。連帯は大雑把であっていいが、言葉と思考は一人一人が突きつめられるだけ突きつめるべきだ。──なんて言っておいて、自分のレベルは突き詰め方として覚束ないんだけど、やるしかない。


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3 コメント

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原因と結果の混同 (村野瀬玲奈)
2007-01-14 03:10:15
私が書き飛ばした記事をさらに深めていただきましてありがとうございます。
お返しに二つトラックバックさせていただきます。

一つは、いじめを扱ううえで、原因と結果を混同してはいけない、と述べた教育に関する記事。

もう一つは、現象としてのテロ事件を軍事力や警察力で防ぐことはできない、という考えと通じる死刑廃止論の入り口代わりの記事。記事の中の「フランスからの物品輸入と仕様調整の仕事」というところに貼ったリンクから行けます。すでにお読みでしたら、余計なお世話ですね。(^^;;;;ごめんなさい。要するに、ロベール・バダンテールの死刑廃止演説の中に、「死刑はテロリズムと戦うどころか、テロリズムを育てるのです。」とあることをここにも記しておきたい、ということ、それだけです。(^^;;

演説そのものを見るなら、直接こちら↓に飛んでいただいた方が早いですね。(^^;自分の記事なのに私自身でトラックバックできないものですから。(^^;
http://kihachin.net/tips/badinter.html
情報ありがとうございます (レイランダー)
2007-01-14 16:38:39
素早いTBとコメント、ありがとうございます。
不勉強な僕のことですし、もし「既読なら余計なお世話かも・・・」なんてお気遣いは一切無用です。それに仮に僕が既読でも、コメントに目を通してくださる他の人にとっては新鮮な情報かもしれません。実際僕は「死刑廃止問題リレーエントリー」の存在さえ把握しておりませんでした。メンゴメンゴです…m__m

バダンテールという人についても、とむ丸氏同様、僕も死刑廃止info!に載っていた鈴木邦男氏のメッセージを通じて知っていたくらいでした。玲奈さんの翻訳をじっくり読ませていただきましたが、お世辞抜きに、いろいろな角度から有用な仕事をなさってくれたと思います。これが20年以上も前のものだということや、我が国の為政者との知性・教養・品格の面での落差のあまりの激しさに、ショックを受けました。
あらためて自分としても、これを紹介するエントリーを設けるつもりです。

P.S.
玲奈さんの名簿を頼りに、20通ほど議員(自分の選挙区の人を優先的に)に年賀状を送りました。特にいざという時、数の上では当てにせざるを得ない民主党の議員には、「フランスは今年死刑廃止を盛り込むべく憲法改正を…」という書き出しでプレッシャーをかけときました。
ありがとうございます m(__)m (村野瀬玲奈)
2007-01-15 00:26:43
レイランダーさん、お返事ありがとうございます。

リレーエントリーとバダンテール演説、読んでいただけてたいへんうれしいです。^^
これを紹介するエントリーを設けていただけるとのお言葉、なににも代えがたいおほめの言葉です。

死刑廃止に至る道のりを学ぼうと私も読んでみてその高貴さに打たれ、多くの人の目に触れることを願って訳を手がけ、何人かのブロガー仲間を強引に巻き込んであのようなリレーエントリーになりました。その過程で、私も自分の考え方に自信がつきました。あの演説には、死刑に賛成する人への返答の言葉、語りかけの言葉がすべて盛り込まれているからです。

死刑廃止論は日本ではまだ少数派かもしれませんが、死刑廃止そのものはとっぴな考え方でも過激な考え方でもなく、普通のまっとうな考え方であり、世界的には多数派なのだという励ましもあの作業から得ることができました。

レイランダーさんがそれを感じ取っていただけたとしたら、これにまさる喜びはありません。

P.S. 議員への年賀状のこともありがとうございました。いろいろな機会に議員に有権者・納税者で日本の主権者の声を届けることがもっと生活習慣の中に入ることが私の願いですが、それにこたえてくれたレイランダーさんの言葉は私にとって素晴らしいお年玉になりました。

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