今日起きた能登半島沖の地震は最大震度6強だという。それを聞いて、僕の頭には何度目になるか知れぬ「んんー?・・・」という疑念が湧いてしまった。
気象庁による一般向け「震度について」の解説は以下のページにある。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/shindokai.html
僕は素人だから、震度算出の物理学的な説明を聞いてもほとんどよくわからない。ただ、この1996年の計測震度計による判定への切り換え、及び震度5と6をそれぞれ弱・強に分けるという改定以来、全体として以前より大きな数字が判定として出ているような印象が拭えない。測定のやり方がいい・悪いではなくて、以前の基準とのズレが、ここのところ毎回気になるのだ。今頃言っているのもなんだが・・・。
僕は子供の頃、小さな地震がある度に、自分の体感による震度とテレビなどで発表される震度との食い違いにとまどっていた。僕の感覚では「3」くらいあったのではないかと思う揺れが、気象庁によると「2」だったりする。ほとんどいつも、僕の体感より1低い震度が発表されるのだ。だから次第に僕は、「自分の感覚より-1が妥当なんだ」と、自分の中で修正する癖をつけてしまったのである。
ところが1996年の改定以来、こっちが「2」くらいに思った揺れが「3」になっているという、逆転現象が起きているような気がするのだ。子供と大人では体感に違いがあるにしても、こっちはその分を加味して微調整しているつもりだし、逆転までしてしまうのはいくらなんでも・・・という。
もっとも、2とか3程度の小さな地震に関しては、別にどうでもいいのだ。ただ被害を伴う大きな地震が起きた際、さすがにこれはどうなのよ、と思う。
今日起きた地震にしても、「最大6強」ということで、あくまで一部で記録された最大値が「6強」だったとのことだが、それも昔だったら「かろうじて6」くらいの判定だったと思える。さらに「6弱」と判定されている地域の被害状況や住民の証言を聞く限りでは、これも昔なら「5の強い方」と判定されたのではないかという気がする。
もちろん被害状況云々については、昔に比べて建築物の耐震強度が高くなっていることや、国民の防災意識が高くなっているというファクターも考え合わせるべきだろう。しかし住民の体感の証言にそれは関係がない。例えば大正時代、関東大震災の時の東京は地盤の悪い下町などで震度6だった他は、ほぼ震度5だったとされるが、それでも「立っていられなかった」という言い伝えは各地で残っている。
逆から見れば、「震度6強」とは、その次はもう震度7しかない、というくらいに強烈な揺れのはずである。では震度7だった阪神淡路大震災と比べてどうなのかというと、神戸では「グランドピアノが天井まで跳ね上がった」なんていう例まで報告されている。もちろん「震度7にもいろいろ幅がある」と言ってしまえばそれまでなのだが、「弱・強」の分け方を導入したりして、以前より細かくしたわりには「6強」と「7」の間の差があり過ぎないだろうか。
さらに言うなら、市民の安全に関わるような公的機関による判定というものは、微妙ならばむしろ災害規模を過大評価する方に判定するのが原則だろうとも思う。この場合、6の「強」か「弱」かで迷う状況なら、とりあえず発表は「弱」にして救援対策は「強」を想定するくらいがいいだろう、ということである。だが現実には逆に、1996年の改定以降の気象庁発表は、その微妙な部分を機械的に切り捨てて、なおかつ行政側に甘い数値にくり上げてしまっている気がするのだ。つまり、地震の規模を実物より大きく見せられれば、不十分な対策の言い訳をしやすくなる、というような。
石橋克彦教授の名著『大地動乱の時代』から引用する。これは1994年の著書だから、旧来の震度測定基準を前提に話をしているのだが、現在の計測震度計による判定を前提にしたとしても、実は変わらない問題を視野に入れている。
「第一章で紹介した安政東海地震」の記述において、石橋氏は例えば次のようなエピソードを紹介している。
現在の水道橋付近で鴨猟をしていた会津藩主と家来達は、皆立っていることができず、座りこんでしまった。小石川の屋敷に戻ると、庭の石燈籠はすべて倒れ、土蔵は残らず損傷していた。この近辺の武家屋敷では同じような被害が数多く記録されている。
赤坂では道が地割れした。寺の本堂が潰れた。八丁堀や築地本願寺では、倒れてきた石燈籠で死者が出た。その他いろいろ。
これらはすべて、かつての基準なら「震度5」と説明されていたわけだ。まるで今回の能登半島の話と重なるような現象ばかりなのだが。
こんなことは考えたくないが、震度基準を大きめに設定し直すことで、得をする業界との結託があるのではないか、と邪推したくもなる。たとえば原発とか・・・・うちは震度6でも平気でした、だから耐震性は万全!という宣伝がしやすくなるため、という・・・・。
あくまで素人考えなので、もし僕の考えが勘違いの類だというなら、ぜひ納得のいく説明をどなたかに乞いたい。あるいは逆に「実はあんたの言う通りだよ」という説明でも──いずれにしろ、できるだけ理系じゃない人間にも分かる言葉でお願いしたいのだけど。
追記:7/26、意味がとりにくく、言いたいことの逆に読まれてしまう恐れがある部分を、少し書き直しました。
気象庁による一般向け「震度について」の解説は以下のページにある。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/shindokai.html
僕は素人だから、震度算出の物理学的な説明を聞いてもほとんどよくわからない。ただ、この1996年の計測震度計による判定への切り換え、及び震度5と6をそれぞれ弱・強に分けるという改定以来、全体として以前より大きな数字が判定として出ているような印象が拭えない。測定のやり方がいい・悪いではなくて、以前の基準とのズレが、ここのところ毎回気になるのだ。今頃言っているのもなんだが・・・。
僕は子供の頃、小さな地震がある度に、自分の体感による震度とテレビなどで発表される震度との食い違いにとまどっていた。僕の感覚では「3」くらいあったのではないかと思う揺れが、気象庁によると「2」だったりする。ほとんどいつも、僕の体感より1低い震度が発表されるのだ。だから次第に僕は、「自分の感覚より-1が妥当なんだ」と、自分の中で修正する癖をつけてしまったのである。
ところが1996年の改定以来、こっちが「2」くらいに思った揺れが「3」になっているという、逆転現象が起きているような気がするのだ。子供と大人では体感に違いがあるにしても、こっちはその分を加味して微調整しているつもりだし、逆転までしてしまうのはいくらなんでも・・・という。
もっとも、2とか3程度の小さな地震に関しては、別にどうでもいいのだ。ただ被害を伴う大きな地震が起きた際、さすがにこれはどうなのよ、と思う。
今日起きた地震にしても、「最大6強」ということで、あくまで一部で記録された最大値が「6強」だったとのことだが、それも昔だったら「かろうじて6」くらいの判定だったと思える。さらに「6弱」と判定されている地域の被害状況や住民の証言を聞く限りでは、これも昔なら「5の強い方」と判定されたのではないかという気がする。
もちろん被害状況云々については、昔に比べて建築物の耐震強度が高くなっていることや、国民の防災意識が高くなっているというファクターも考え合わせるべきだろう。しかし住民の体感の証言にそれは関係がない。例えば大正時代、関東大震災の時の東京は地盤の悪い下町などで震度6だった他は、ほぼ震度5だったとされるが、それでも「立っていられなかった」という言い伝えは各地で残っている。
逆から見れば、「震度6強」とは、その次はもう震度7しかない、というくらいに強烈な揺れのはずである。では震度7だった阪神淡路大震災と比べてどうなのかというと、神戸では「グランドピアノが天井まで跳ね上がった」なんていう例まで報告されている。もちろん「震度7にもいろいろ幅がある」と言ってしまえばそれまでなのだが、「弱・強」の分け方を導入したりして、以前より細かくしたわりには「6強」と「7」の間の差があり過ぎないだろうか。
さらに言うなら、市民の安全に関わるような公的機関による判定というものは、微妙ならばむしろ災害規模を過大評価する方に判定するのが原則だろうとも思う。この場合、6の「強」か「弱」かで迷う状況なら、とりあえず発表は「弱」にして救援対策は「強」を想定するくらいがいいだろう、ということである。だが現実には逆に、1996年の改定以降の気象庁発表は、その微妙な部分を機械的に切り捨てて、なおかつ行政側に甘い数値にくり上げてしまっている気がするのだ。つまり、地震の規模を実物より大きく見せられれば、不十分な対策の言い訳をしやすくなる、というような。
石橋克彦教授の名著『大地動乱の時代』から引用する。これは1994年の著書だから、旧来の震度測定基準を前提に話をしているのだが、現在の計測震度計による判定を前提にしたとしても、実は変わらない問題を視野に入れている。
「・・・「気象庁震度階級」にしても、外国で一般的な十二階級の震度階にしても、複雑な地震動を人体感覚や物体にたいする影響などによって大まかに区分したもので、簡便な目安にすぎない。地面の動きの「加速度」(揺れる速さの変化率)とかなり関係があるために、その値と対応づけられることもあるが、瞬間的な最大加速度が単純に震度に結びつくわけではない。むしろ、周期、揺れの幅、揺れる速度、加速度、振動継続時間などが複雑に絡みあっており、同じ震度でも揺れ方はさまざまで、破壊力にも大きな幅がある。九二年二月二日未明の浦賀水道の地震(深さ九〇キロ、M五・九)で東京の震度が5と発表され、マスコミも大きくとりあげたが、第一章で紹介した安政東海地震による江戸の震度5とくらべたら、猫と虎ほどの違いがある」(P201~202、太字はレイランダー)
「第一章で紹介した安政東海地震」の記述において、石橋氏は例えば次のようなエピソードを紹介している。
現在の水道橋付近で鴨猟をしていた会津藩主と家来達は、皆立っていることができず、座りこんでしまった。小石川の屋敷に戻ると、庭の石燈籠はすべて倒れ、土蔵は残らず損傷していた。この近辺の武家屋敷では同じような被害が数多く記録されている。
赤坂では道が地割れした。寺の本堂が潰れた。八丁堀や築地本願寺では、倒れてきた石燈籠で死者が出た。その他いろいろ。
これらはすべて、かつての基準なら「震度5」と説明されていたわけだ。まるで今回の能登半島の話と重なるような現象ばかりなのだが。
こんなことは考えたくないが、震度基準を大きめに設定し直すことで、得をする業界との結託があるのではないか、と邪推したくもなる。たとえば原発とか・・・・うちは震度6でも平気でした、だから耐震性は万全!という宣伝がしやすくなるため、という・・・・。
あくまで素人考えなので、もし僕の考えが勘違いの類だというなら、ぜひ納得のいく説明をどなたかに乞いたい。あるいは逆に「実はあんたの言う通りだよ」という説明でも──いずれにしろ、できるだけ理系じゃない人間にも分かる言葉でお願いしたいのだけど。
追記:7/26、意味がとりにくく、言いたいことの逆に読まれてしまう恐れがある部分を、少し書き直しました。