鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は久方ぶりに冷房を入れないで過ごしている。

2007-09-24 11:38:47 | 直言!
しかし玄関を開けるとここちよい風が入ってくる。ようやく暑い太陽の日差しから解放されそうだ。
例年ならこの時期には少し黄色かがった緑色の田園の間から見える彼岸花、自然が作り出す見事な色彩の風景に見とれてしまう。
この時期、電車に乗ると車窓からその景色を探した。
しかし今年は車窓からまだ見たことがない。暑さのせいなのかまだ見えない。
昨日は奈良市内の田園の間から彼岸花は見られなかったが天理市あたりから見え始めた。桜井市に入るにつれて多くなっていった。
山の中腹あたりの地形なのだろうか。気温が少し低いのだろうか。
真っ赤な彼岸花に季節は間違いなく訪れていることを実感した。
それでも太陽は容赦なく車の天井を照らす。クーラーを入れないと走れない。
暑い日差しに本当に秋が来るのだろうかと思ったがその合間に見える彼岸花に季節の訪れを実感した。

昨日ブログの書き込みに帰化同胞の心のうつりかわりを書き込んだ。
しかし帰化をしても仕事や生活の便宜上、やむおえなく帰化している同胞も見ている。帰化しても民族団体で活躍する姿を見ていると両親がきちんと教育をされたのだろうと思って見ている。
帰化したからといって帰化しない同胞をさげすんではいけない。
私は何度もこのことで偏頭痛を起こした。
民族団体で新聞記者をしていることが悪いようにも思われた。
夫の親戚に行っても民族の話はタブーだった。何度も逃げ出したくなることもあった。
そして少しずつ偏頭痛が取れだしたのが夫の兄の子どもたちが私の仕事に理解を示してくれるようになって「働ける間は仕事をやめたらあかんよ。誰でもできる仕事ではないから」と言っててくれるようになった。少し心の中が解けていくようになった。
子どもの頃からずっと韓国語で私を呼んでいたがその呼び名を変えずにそのままずっと呼んでくれていたことが私の心が救われた。
日本人の夫がいるまえでも韓国語で呼んでくれる。
そしてそうめんの食べ方を話していると韓国の青唐辛子をいれて食べると美味しい。あれがなかったらそうめんが食べられないと私に話す。
そしてようやく心が解けて行く気がした。
帰化しても韓国人のDNAがどこかにあることを知っているのだろう。
そうして子どもたちに伝えてほしい。

1950年代の在日同胞はイデオロギーで摩擦が起きた。
親はどんな思いで親戚と対峙していたのだろうか。
1960年代から70年代。
そして冷戦構造の崩壊で親がイデオロギーに左右されないで中立に生きたわけが分かった。
1990年代に入ると在日同胞の国際結婚そして日本国籍取得も昔と違って大分緩和されて帰化同胞が1年に1万人が超えるということになってきた。
帰化するか、しないかの瀬戸際に揺れた。
たいてい親は子どもの帰化で一緒に帰化をしていった。
私はぶれなかった。
1度体験した「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」
このことが私の帰化を留まらせた。
ありまま、記事がかけるという大事さを体験した。
帰化するとまた悩むことになるだろう。
日本人になったのに在日の記事を書くのか。
また日本の紙面づくりに参加しても日本人でないというジレンマで悩んでいただろう。
帰化しないで民族団体の記者を15年続けたことに私なりの生き方になった。
これでいいと思っている。
私が書いた記事で1人でも喜んでもらえる人がいればそれでいいと思っている。
子どもたちにまた違った勇気につながれば嬉しいと思っている。
書くことはもって生まれたものもあるが書くことで心の消化をしてくれるということもあるということを知ってもらいたい。私は苦しい時はまず大学ノートに胸の中をそのまま書いた。心の中を活字で吐き出すことで半分は悩みや不満が解消されていくようにような気がした。私はこれは身をもって体験している。
昔、父親に口答えをできない家庭環境で育った。
高校の頃は特に父親に対する反発心でいっぱいだった。
ちょっと反発すると「できそこないの子ども」とレッテルを押された。
そのたびに父親の不満を大学ノートに書いた。
書いているうちにストレス解消になっていたように思えた。
そしてそれから1つの雲を見ても愛しくて詩を書いた。
書くことから文章の慣れが出てきた。
それでも専業主婦をしていたころの文章は恥ずかしくて今は人に魅せられるものではない。何年も何年もしているうちにこれも少し書くことが好きということがあれば後は訓練すればできるということもわかってきた。
こうしたことを見抜くのは年上の先輩である。また若い人たちは年寄りの話は必ず何年かすると役にたつ話をしている。耳を傾けて聞いていくとそれはすべて自身の財産になっていく。

今後さらに帰化同胞が増えていくだろう。くいとめる術に悩んでいる。
日本社会が在日コリアンに対する認識が変わらないと帰化同胞は増えていくだろう。
「帰化同胞、ルーツを生きる」というシンポジウムが急がれる。
ルーツを隠したまま生きていく若者たちのあいまいな生き方に胸がふさがれる。
あいまいに生きるとそれがだんだん膨らんでいて自分の心臓で抱えきれなくなって必ず弾けることになる。
ありのままに自分を受け入れる訓練をすることが必要である。
あいまいで生きることはいつか自分が押しつぶされていく。
「ルーツと生きる」シンポジウム、問題提起が急がれる。
先日の民族フォーラムという会合の中で身震いがするほどこの子達の将来を案じた。
帰化同胞の話はタブーにしないで「帰化同胞」のルーツということについて問題提議をして先輩たちがこの問題に真剣に取り組んでいかないと将来、必ずこの子たちに何らかの問題が生じてくる。
今、膿をだして「あいまい」に生きる。こんな生き方から脱却しなければならない。
そのためには日本社会がまず認識しなければならない。

久方にクーラーを入れない今日、仕事も明日から現場はあるがほんのいっとき解放された。頭が少し考えるということができるようになってきた。
そして秋が見え出してきた。
明日は満月である。
1年の家内安全と健康に感謝してまた来年の健康と家内安全を祈ることにしよう。


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