鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は寒い。外を見ると寒そうである。

2007-03-19 08:56:36 | 直言!
今年は暖冬と言っていたが私はこのまま春になるとは思っていなかった。自然の営みは人間でははかりしれないものがある。ちゃんと帳尻をあわしていく。
昨日私はドーンセンターの現場にいた。
笑福亭銀瓶さんにお会いできてよかった。前にお会いしたときよりもまた磨きがかかって人間的にも成長しておられた。
在日韓国人青年としてさらに活躍されることを願っている。そんな気持ちのいいイベントだった。

昨日は亡くなられた池田正枝さんの追悼式もあったがこの追悼式に来られる人の中で会いたくない人が1人いる。
本人は何気なしに言ったかもしれないが私はずっと心が傷ついたままである。私は彼女には心を閉ざしてしまった。
彼女も私の顔を見たくないだろう。だからそれから彼女の関わるところに仕事であっても控えている。どうしても顔を出さなければならないところは少し躊躇するがなるべく会わないようにしている。

ある現場でその会合に私は彼女に礼を尽くしたつもりだった。
この現場の後途中抜けて大阪までの現場に入らないといけない。2カ所の掛け持ちだった。デスクとの打ち合わせでどうしてもその日2カ所の現場に入らなければならなかった。それでこちらが途中で退席するので肝心な内容は分からないので1時間早く会場に駆けつけて少し聞き取りをするところだった。1時間もあった。
普通なら常識ある人なら理由を話しているのだから昼食をしながら聞き取りに少し協力をして下さればそれですむことだった。何もそんなに難しい内容ではない。
ただ枚数と当日の講演内容だけだった。
それが彼女は韓国講演などをしていて周りを見下げた物の見方になっていたのか本来の性格がそうなのか、言葉荒く私のインタビーを断った。講演が終わってからしてくれというので「私は途中から大阪の現場に行かないといけないのでそれができないからこえして1時間早くこの会場にきたのですよ」と穏やかに言った。
そしたら彼女はまた言葉荒く「そんな自分の勝手でしょう」と言った。私はそれこそあんたのほうが勝ってで傲慢と言いたかったがぐっとこらえた。
関係者には「なんという口の聞き方、わるいけれど私のほうが年上で私は仕事で来ている。遊びできていない」と言って不満をこぼした。

気分を悪くしたまま次の現場に向かった。そしてこのことは編集局に伝えておいた。もしこんなことがなければもっと顔写真もでて扱いは違った。
誰が聞いても傲慢な態度に編集委員も呆れた。

もう2年以上たっているのに私の心にまだ傷として残っている。
亡くなった池田正枝さんにもこの追悼式の世話にあたった関係者には申し訳ないが私は足が向かなかった。亡くなった池田さんには申し訳ないが心で詫びていた。
言葉は1つ間違えば武器になる。
本人はもう忘れていて覚えていないだろう。
そして私は何を言われても鈍感でこたえないだろうと思っている。それがこれは違う。神経が意外と細い。父親の気質に似た。積み重なって結婚したころ私は神経の病気になっている。
こんな体験をしていることはまわりはしらないし別にしらなくてもいいがわたしは自分に不健康になると思うと近寄らないようにしている。これは病気を体験しているのでつい自己防衛をしてしまう。
私がかつて創設したペングループの中でもそうだ。ある1人は私を国籍を見下げて従扱いにして言葉の暴力を何度も発した人がいた。このことも積み重なって自己防衛のために会合には顔をださなくなった。

彼女は日本の報道記者だったらけっしてそんな態度をとらなかっただろう。
しかし在日韓国人が日本社会で記者を体験したものは民族のほころびを体験するで在日同胞の中で活動を活字にして知らせていくことがどれほど大切なことか私は身を持って体験している。
1人でも喜んでもらえればそれで私は記者冥利に尽きると考えている。
日本の報道が大きい扱いで取り上げなかった在日同胞の活動を同胞の新聞で形を変えて大きく扱うことがある。これを見て日本の報道記者はまた企画記事の参考にされていることも知ってもらいたい。
在日韓国人の記者も日本人記者としている仕事の現場取材は同じである。
けっして同胞が同胞記者を差別してはならない。

いくら頭がよくて論がたってもこのことで人間性を垣間みることになった。
その後、彼女の関係者、日本人教師らに会うこともある。彼女を褒め称える。私は黙っている。悪口も言わないが黙っている。
そしてまた私はさらに心が傷ついていく。
日本人教師らには低姿勢で会話されているのだろう。
それなのに私を見下して傲慢な言葉に傲慢な態度にまた悲しく寂しくなる。
どんなに在日同胞史を知っているからと言って年輩者に横柄な態度はいけない。
そして私はそれだけの価値しかないのだろうと思うことにしているが私の心の中に年輩者を敬う教育もしなかったのだろうか。この民族団体はと-----私は懸念してしまう。ここにも疑いの気持ちがでてくる。
論はたち勉強も積んでいるが相手、周りを思いやる道徳心、倫理感が欠けている。儒教文化も欠けている。こんなことを踏まえて年輩者に対して言葉は気をつけてもらいたい。5・6歳それでも私は世の中に誕生してそれだけ社会の空気を吸っている。言葉は武器になることも知ってもらいたい。
本人は忘れているだろうが私は忘れていない。
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-03-31 16:19:19
記者のほうが勝手じゃないですか?
取材断ると差別になるの?
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