死が最後にやってくる

 

 フェルディナント・ホドラー(Ferdinand Hodler)というと、山岳国スイスらしい明るくくっきりとした色使いと、動感のある人体表現、それにホドラー独特の、同種・同形のモティーフを対称的に配列・編成する「パラレリズム(parallelism 対比・並置主義)」の手法によって表わされる、観る側に執拗に迫り来る幾何学的な人物群。
 本来、修辞法の対句か何かであるこのパラレリズムを、絵画に用いると、こんなにも不気味な表現となる。

 人物たちは一様にヌード、あるいはシンプルなドレープ衣装をまとっている。それらが一列にあるいは輪になって並び、舞踏のような、儀式のような、大仰なポーズを取っている。
 こうすることで人物たちは、個を越えた類型となる。抽象的象徴的テーマの人格化の群像として、そのテーマを強調する。……よくもまあ、こんな表現の仕方を、発想できたもんだ。

 色彩は明るいのだが、肌と衣装の布との色とが画面を支配していて、概ね白と水色と肌色という中間色に満たされている。濃い色と言えば、髪の黒、植物の緑や空の青、たまにそれらに合わせた濃い衣装。
 もちろんこれらの色彩は、自然を逸脱してはいない。けれども実際には、こんな色彩は自然のシーンのなかに見出せるものではない。だから、ホドラーの描く世界は天上的に見える。天上の明るい光と一緒に、天上の音楽もまた降り注いでいるように思える。
 これが強烈な色彩に感じられるのは、単純に不思議だ。

 ホドラーはスイスの首都ベルンの生まれ。極貧の家庭のなか、両親や他の弟妹すべてを相次いで結核で亡くしていく。
 この経験が彼に、運命としての“死”の観念を刻み込んだことは、間違いない。一人、また一人と死んでいく、その繰り返しの死が提示する観念は、おそらく強烈で逃れがたく、拒んでもなおつきまとう。夜の眠りさえ死と見紛う。

 一見明るく天上的なホドラーの絵だが、暗い死の不安の影もまた、そこはかとなく漂っている。ただ、その死のイメージが酔ったような、センチメンタルなものではないのは、ホドラーにとって、死とは人生の自然な関心事だったからだ。

 義父から最初の絵の手ほどきを受けた後、職人画家のもとへ徒弟に出されるが、やがて無一文のまま、単身、歩いてジュネーヴへと出奔。美術館で模写に励んでいるところを、画家バルテルミ・メン(Barthelemy Menn)に見出され、苦学して美術学校で学ぶ。
 バーゼル旅行の際、かのムイシュキン公爵に「あの絵は人に信仰を失わせる」と言わしめた、ハンス・ホルバインの「墓のなかの死せるキリスト」にショックを受け、死というテーマに立ち戻る。
 スペイン・マドリッドで明るく力強い画風を身につけて、帰国。「風紀紊乱」を理由にサロンを断られた寓意画の大作「夜」で脚光を浴び、以降、象徴主義の画家として活躍、ウィーン分離派にも参加する。

 モデルとの結婚・離婚を何度も繰り返していたが、50歳を過ぎて、20歳下のヴァランティーヌと恋に落ちる。が、やはり死は、貞淑な妻のように彼を離れず、やがてヴァランティーヌを癌で亡くす。
 さすがに打ちのめされたホドラーは、自分とヴァランティーヌとの内省的な肖像へと閉じこもり、やがて健康を損ねて自殺を思いつつ、死んでいく。

 画像は、ホドラー「選ばれし者」。
  フェルディナント・ホドラー(Ferdinand Hodler 1853-1918, Swiss)
 他、左から、
  「夜」
  「生に疲れた人々」
  「病床のヴァランティーヌ・ゴデ=ダレル」
  「ジュネーヴ湖」
  「月光のなかのアイガー、メンヒ、ユングフラウ」

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