エデンの東

 
 スタインベック「エデンの東」は、3代にわたる親子兄弟の愛憎を描いた物語。そのうち、アダムとキャシーの結婚とその破綻を、アダムとイヴの楽園追放、またアダムの双子の息子アロンとキャルの悲劇を、アベルとカインの兄弟殺し、という、旧約聖書の物語に重ねて展開される。
 そのなかで、人間の善悪の葛藤や罪の意識が、象徴的に描かれる。いや、描こうとされている、という印象のほうが強いかも。私にはちょっと象徴的すぎて、スタインベックの思想が観念的に浮き出てしまった感が残る。

 舞台はカリフォルニアのサリナス。善良だが人の本質を見抜くことのできないアダムは、悪女キャシーに翻弄され、絶望する。アダムが農園に作ろうとした楽園は崩壊する。

 キャシーの産み落とした双子の男児アロンとキャル。アダムは兄アロンばかりを可愛がり、そのため弟キャルは父親の愛情に飢えて育つ。
 ある日キャルは、死んだと聞かされていた母親のとんでもない消息を知って驚愕。折しもアダムが事業に失敗し、キャルは父親の損失を取り戻そうと知恵を尽くすが拒絶され、あてつけにアロンに母親の秘密を打ち明ける。アロンはショックのあまり、志願して戦争に出征する。

 いつでもどこでもそうだけれど、善良で真面目なだけで本質を見抜く力のない人間て、結局は自分にも周囲にも、不幸しかもたらすことができないのだと思う。

 キャルは頭が良く、自分のこともよく自覚している。一方アロンは、頭が良くない分、努力でそれを埋め合わせ、そのためにいっそう、努力する自分や努力の成果に価値を見出してしまう。父アダムもまた同じ。
 で、この聖人的なアロンは、母親の秘密の衝撃に耐えられず、脆くも滅び去る。キャルは犯した罪を悔い、罪に苦しむけれども、それを乗り越えようとする。「ティムシェル(timshel、汝、意志あらば可能ならん)」とは、人間は神によるのではなく、自己の自由意志によって犯した罪を克服できる、という意味なのだそう。スタインベック自身はつまり、そういうことが言いたかったんだろう。

 が、私にはアダムやアロンの無知と善意のほうが罪悪に見える。
 私の亡き友人はこんなふうに言っていた。
「知らない奴は馬鹿だ。知ろうとしない奴は卑怯だ。知ってるのに知らないふりをする奴はワルだ」
 ……私もそう思う。

 画像は、ティツィアーノ「カインとアベル」。
  ティツィアーノ(Titian, ca.1485-1576, Italian)

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