ギリシャ神話あれこれ:アラクネの機織競技

 
 我が家ではアシダカグモ、ベッカムが死んでからというもの、ゴキブリが大発生してどうしようもない。ある日、坊が外で別のアシダカグモを捕まえて、持って帰ってきた。ニンマリ笑って、クモを家のなかに放す坊を、私は黙って放っておいた。
 これでまた、クモがゴキブリ食ってくれるかな、と、ひそかに期待していた私。新しいアシダカグモ、フィーゴは、ところが、いっこうに姿を現わさない。

 環境が変わったんで、死んでしまったのかな、と思っていると、ある日、キッチン・シェルフに、巨大グモの抜け殻が、ぶら~ん、と首を吊ったようにぶら下がっていた。
 私は思わず悲鳴を上げた。徘徊性のクモも、お尻から糸出すの? クモって、糸でぶら下がったまま脱皮するの? ……さすがに触れなかったので、相棒に取ってもらった。こやつは、こういう脱皮後の殻を面白がるのだ。 

 小アジアのリュディアに、アラクネという少女がいた。機織の技に秀で、一心に織り続けるうち、その技巧は並ぶ者のないほどになった。
 腕に慢心したアラクネは、「技芸の女神アテナに技を教わったわけではない。技比べしても負けはしない」と自慢する。

 小賢しい少女の大言に、プライドの高いアテナ神が見捨てておくわけがない。アテナは老婆に化けて少女の前に現われ、神への不敬を諫める。が、うるさい、耄碌婆あ! と言い返されて、プチ切れてしまう。
 アテナはアラクネに勝負を挑み、アラクネは受けて立つ。かくして、二人の織り比べが始まる。アテナは神々と、神に罰せられる人間たちとを模様にして布を織り上げ、対してアラクネは、神々と人間との恋愛模様を織り上げる。アラクネの布はいかにも見事で、アテナでさえ非を打ちようのない出来栄え。

 が、アラクネの取り上げた主題の不敬に、アテナの怒りは納まらず、アラクネの織り布を真っ二つに断ち切る。アラクネは忍びきれずに、縄をくくって首を吊ってしまう。
 さすがにアテナも憐れに思い、ぶら下がったアラクネを蜘蛛の姿に変える。こうして蜘蛛は、昔の技の名残で、吊り下がって糸を織るのだという。

 フィーゴの姿を見たのは、あの抜け殻一度きり。この家のどこかにひそんでいるのだろうか。どこにいるのか、まったく見当がつかない。
 
 画像は、ベラスケス「アラクネの寓意」。
  ディエゴ・ベラスケス(Diego Velazquez, 1599-1660, Spanish)

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