宝石の色彩

 

 三宮の「ドレスデン国立絵画展」のあとは、在来線で延々と、途中下車したり乗り換えたりしながら、松江に向かってひたすら西へ。中国山地のあっち側は、まだ足を踏み入れたことのない未踏の地。お目当ては、島根県立美術館の「ギュスターヴ・モロー展」。
 この美術館は山陰最大の規模だそう。宍道湖畔にあって、一面ガラス張りのエントランス・ロビーから湖が一望できる。夕陽に染まる湖は絶景だそうで、ユニークなことに、美術館の閉館は日没30分後。が、私たちが行ったときは、残念ながら曇っていた。

 さて、ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)の絵は中学生の頃に初めて観て以来、結構好き。当時、水彩画と言えば淡い、透明な色彩をイメージしていた私にとって、モローの濃い、きらびやかな水彩画は大きなショックだったっけ。
 
 印象派と同時代の画家だけれど、モローの絵は印象派と比べてももちろん、象徴主義のなかでもかなり独創的な画風。一つには色彩のせい、もう一つには、主題として取り上げた文学や神話や宗教に対するイマジネーションと、独自の解釈や構想とのせいだと思う。

 頽廃的とか悪魔的とかと形容される世紀末の象徴主義絵画だが、モローの絵は頽廃的ではない。悪魔的。
 岩がちの陰鬱な風景と、きらびやかな衣装を着た魅惑的な悪女との鮮烈な対比。色彩は宝石細工のようにリッチで、美しくきらめいている。ときには幻想的な線描による細かな装飾。が、全体として筆致は素早く、また実物を近くで観ると、結構厚塗り。

 こんな絵を描けるのだから、もちろん独特の思想を持ってもいた。
「私は神しか信じない。触れるものも見えるものも信じない。ただ感じるものだけを信じる」というのは、モローの有名な言葉。この点、クールベとは対照的。

 が、モローは生涯独身だったそうだから、モローの描く女性が魅力的なのが私には不思議。モローはどうやって、こういう女性を感じたんだろう、とつい思ってしまう。
 裕福で知的でもあったらしいから、きっと悠々自適の生活だったんだろうな。のちに野獣派の代表格となるマルケやマティス、ルオーなどを教えたのもモローだけれど、自分の美学を彼らに押し付けなかったのだから、立派。

 自分の世界を本当に大事にする人って、それを他人には決して押し付けないもんだ。

 画像は、モロー「庭園のサロメ」。
  ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898, French)
 他、左から、
  「岩の上のサッフォー」
  「デリラ」
  「出現」
  「ユニコーン」
  「ケンタウルスに運ばれる死せる詩人」

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