精神の風景

 

 春休みに鳥取、島根へ行く途中、三宮に寄って「ドレスデン国立美術館展」を観た。フェルメール「手紙を読む女」が呼び物だけれど、私には、ドイツ・ロマン派の風景画のほうが気に入った。

 ドレスデンはドイツ・ロマン派最大の巨匠、カスパール・ダーフィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich)が活動した都市。彼の友人であり影響を受けもしたノルウェー画家、 ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダール(Johan Christian Clausen Dahl)を初め、良い絵を描く画家が結構たくさんいた。
 ダールを起点とするノルウェー国民主義絵画もまた、このドレスデンを中心に展開した。

 フリードリヒは独自の風景画で鬼才を発揮したが、死後は事実上忘れ去られ、直接に影響を残したのは、わずかに彼がドレスデンで交流を持っていた若いサークル仲間にだけ。19世紀の象徴主義の高揚のなかで、ようやく再評価されるようになったとか。
 オランダのハルスもそうだがその時代にとって独特すぎる画風の絵って、そういう運命をたどるものなのかな。

 フリードリヒの絵にはどこか、この世ならぬ別の世界を感じる。眼には見えるのに、手を伸ばしても決して届くことのない、彼岸のような世界を感じる。それは、死、という直接的なイメージというよりも、精霊や精神という、懐かしい、不安な、漠然としたイメージ。
 有名な話だが、フリードリヒは幼少の頃に母を亡くし、さらに二人の姉妹を亡くした。その上、スケート遊びの際に氷水に落ちて溺れかけ、それを助けようとした弟が逆に眼の前で溺死した。もともと内省的で憂鬱的だった少年に、なんという打撃。
 以来、宿命のように死を見つめ、喉を切って自殺まで図ったフリードリヒの絵に、メランコリックな、深い黙想が感じられるのは、むしろ当然なのかも知れない。

 フリードリヒの絵によく現われる、雪や氷の凍てつく淋しい冬景色、質素な十字架や墓標などは、こうした幼少のトラウマにもよるのだろう。
 が、彼の風景画の精神性はもちろん、それら舞台や小道具のせいだけではない。彼の育った北ドイツの風景そのものが、彼の風景画さながら、どこか怪奇で画趣に富んだものなのだという。彼はドイツ辺境の地を旅して絵のモティーフを収集したけど、自分のインスピレーションが損なわれるのを怖れて、南には足を向けなかったのだそう。

 フリードリヒが油絵を始めたのは33歳から。私もまだまだやれるかも。

 画像は、フリードリヒ「共同墓地の門扉」。
  カスパール・ダーフィト・フリードリヒ
   (Caspar David Friedrich, 1774-1840, German)

 他、左から、
  「雲海の上の旅人」
  「窓辺の女」
  「冬景色」
  「月光のなかの難破船」
  「黄昏のそぞろ歩き」

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