ギリシャ神話あれこれ:神々の侍童

 
 とりどりの色にきらきらと輝く宝物。思いがけずにそれを見つけたときの、驚きと喜び。
 それを手に取り眺めていると、心がときめく。それを思いめぐらすだけで、心が躍る。

 日常が、その輝きに照らされて、まばゆく輝き始めたことに気づく。友がいなくても気にならない。いつでもそれを手に取って、いじくりまわしているだけで、心が満たされる。時間はあっという間に過ぎてゆく。
 夜、眼を閉じて、それが自分のものであることを思い出す。泣きたくなるような憧憬に駆られる。胸がどきどきとして眠れない。それら一つ一つの形状や色彩を思い出しながら、並べ替えてみる。いつもと異なる様相を呈して、それは再び輝きを帯びてくる。ようやく、とろとろとしかけて、それが夢に出てくることを願いながら、眠りに落ちる。 

 そしてある日、その宝物をそっと箱のなかにしまう。誰にも見つからないように。誰にも汚されないように。
 自分はもう、いちいち手に取らないでも、その一つ一つを隅から隅まで憶えてしまっている。淋しくはない。蓋を閉じる前にもう一度、中身を確かめてみる。それは、これまでと同じ光を放って、燦然と輝いている。

 月日が流れ、あるときふと思い出して、その箱を開けてみる。あの頃の胸の高鳴りを思い出しながら。その高鳴りが再び胸に飛来するのに身構えながら。
 けれども、蓋を開けてみると、それはすっかり色褪せてしまっている。あれ? こんなものだったかな、と、手に取り、とくとそれを眺めてみる。形状も色彩も、その美しさはあの頃と同じなのに、ただ何となく褪せてしまっている。もう、あの輝きを放つことはない。

 大事に、大事にしまっておいたのに、どうして褪せてしまったのか、分からない。そして、褪せてしまったことを悲しいとも感じない。
 ひとわたり眺めてから、もう一度箱に蓋をする。その輝きに魅せられて過ごしたあの頃を思い出し、くすぐったいような、むず痒いような気持ちで、ふと口許を緩ませる。

 ……私が子供の頃夢中になったギリシャ神話を、学生になってから再び読んだときは、大体こんなふうな気持ちだった。

 トロイアにガニュメデス(ガニメデ)という絶世の美少年がいた。ある日、彼が羊の番をしていると、にわかに空が掻き曇り、大鷲が舞い降りて、彼をさらっていった。
 この大鷲は、ガニュメデスの美しさに魅了されたゼウス神だった。ゼウスって相変わらず。

 ガニュメデスはオリュンポス山へと連れられ、そこで神々に神酒を酌む小姓として仕えるようになる。そしてその報酬に、永遠の若さと美しさを与えられる。
 日々涙に暮れていた両親のもとに、ゼウスはヘルメス神を伝令に寄越して、その名誉を知らせ、神馬などを贈る。
 
 水瓶座は、神酒の入った甕を持つガニュメデスの姿。妻ヘラの嫉妬が及んだために、ゼウスが彼を星座にしたのだとか。この水瓶座のそばには、彼をさらった鷲座がある。ガニメデは、例によって木星(ジュピター)の衛星の名でもある。
 
 水瓶座は私の星座なので、この物語が一番印象に残っている。水瓶座の人間は、とかく独創性がずば抜けて優れているという説を、私は信じることにしている。
 ところで、掻っさらいたくなるほどの美少年にお眼にかかるというのは、死ぬまでに実現したい私の人生の夢の一つ。

 画像は、コレッジョ「ガニュメデス」。
  コレッジョ(Correggio, ca.1489-1534, Italian)

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