されば悲しきアホの家系(続々………々々々)

 
 恥じるべきは、人の心の浅ましさであります。地面に倒れた途端に、袖のなかにしまってあった大量のお布施が、ばらばらと道に散らばりました。私は慌てて、一つも逃してなるものかという気持ちから、両足にくっつけた自転車を引きずりながら、何糞とばかりに、這いつくばってお布施を両腕で掻き集めました。
 そして、すべてのお布施を胸許に掻き寄せてから、初めて周囲を見まわしますと、通行されている皆さまが、何事かとばかりに私を囲んで、覗き込んでいるのでいるのでございます。顔から火が出るほど恥ずかしい気持ちとは、このことでございます。

 仏さまはお見通しでございます。物欲に取りつかれました浅ましい心を、きっとお懲らしめになったのでございましょう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 ……これって、説法か? ついでにもう一つ。

 私たちはみな、現世の災いに脅かされてございます。ときに仏さまは、私たちに慈悲深いお手を差し出して、助けてくださいます。こんなことがございました。

 前にも申し上げましたように、私はお経をお願いされましたのが近所のお家であれば、自転車を使用しております。
 さて、ある晴れた日のことでございます。私は川沿いの道を走っておりました。風がわたり、気分が好いので、私は漕ぎながら、お経のための発声練習を始めました。口を大きく開け、ア~、ア~、アアア~、と声を大きく出すのは爽快でございます。

 けれども、自転車を走らせておりますと、眼に虫が飛び込んでくることがよくありますように、私の大きく開けた口にも、このとき虫が飛び込んできたのでございます。しかもその虫というのが、蜂でございます。
 慌てて蜂を吐き出しましたときには、蜂は私の口のなかを、何度もチクチクと刺したあとでございました。……

 To be continued...

 画像は、ヴェレシシャーギン「日本の僧侶」。
  ワシーリイ・ヴェレシシャーギン(Vasily Vereshchagin, 1842-1904, Russian)

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