別役実脚本、伊藤大演出
青年座「山猫からの手紙」
何週間も経つのですが、ずっと考えていて、いまだに感想が書けない芝居
たぶん、この文章は意余って言葉足らずであると思います。
それでも、とても不思議な世界を体験したので、語ります。
小さい劇場で、緊張した2時間を100人くらいの人と共有し、後でじっくり考える、それが青年座
別役実の世界はその状況に加え、織りなす言葉のあやというか、屁理屈とうか、あまのじゃくぶりに惑わされてしまうのです。
言葉が発せられ、別の男が繰り返し、本人が言い換えると反対の言葉になっているので、「あれ?」ってなり、息を殺して耳をそばだて、舞台を見つめ続ける。
客席の照明が消えると、舞台には電信柱、マネキンを抱えた男登場、くたびれた万国旗
そして椅子やテーブル鍋釜など、所帯道具一切合財を山のように積んだリヤカー(我々ってのは、こんな多くのものをかかえて生きてるんですね)を引くもう一人の男が登場、妖しい世界に容赦なく引きずり込まれていくのです。
登場人物はみな宮沢賢治のような黒っぽい外套に丸いつばの帽子の出で立ち
イーハートーボなんぞ知らないといいつつ、気が付くとそこへ向かっている、
山猫なんぞに招かれていないといいつつ、山猫に招かれていることに気が付く
こうであることは、こうでない、こうでないことは、こうであるという屁理屈の世界(これが不条理?)
「山猫の言いなりになってやるのさ、これまで言いなりになるまいとして、言いなりになっていたからね」
気が付くとここは北の果て、イーハートーボだ、
スピーカーから山猫の声が聞こえる 「ようこそ」
花火が打ち上げられ、歓迎式典が始まる
レストランでは楽しそうにお茶とビスケットが振る舞われる
しかし楽しそうだった人々は抱えていた自分の罪を告白し、裁きを待つ
世の矛盾と不条理を、イーハートーボ、山猫、電信柱、料理店、星空、キキン、雪、種もみ、ネリとブドリ、兄と妹などのキーワードを繰り返し、宮沢賢治の世界を展開させる。
不条理と原罪という大命題。難しすぎる、されど、さすが青年座、地に足がしっかりとついた俳優たちの演技力が、自然体で、ユーモアと笑いを醸しだし、「おもしろうでやがて悲しい」不思議な童話の世界のなかから、とてつもない哲学を導きだしているような気になり、私はおおいに悩み惑う。
言葉の迷宮、迷路の世界で行きつ戻りつ、問い続けるのだ
自分の存在と原罪、宮沢賢治の世界について。
しかし、なんだか分からないけれど、なんだか分からなくていいのですよ、分からない宮沢賢治の世界観を一緒にこの空間と時間の中で共有しようではありませんか、と言っているようでもあり。
登場する男性は皆、宮沢賢治の分身であるかのように、罪を背負い、その身を差出し、「悲しいことがうれしいんです」という。
最後に残った男が霧のなかに消えていく、行き着く先は果たしてこのわれわれの現実世界なのだろうか。いや、もともとそこが現実社会で、これから黄泉の世界へ行くのか?
一人残った男
「こんな風に、歩いているぞ、歩いているって考えながら、そして、そのうち私にもわかってきたんだ、イーハートーボというのは、それがそうである、どめどもない方向だということがね、いや、こっちじゃない、立ち止まって北へだ、このことさえ知っていれば、私は歩き続けられる」
賢治の詩が流れる。
(春と修羅)
わたくしという現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です