水にただよう浮草日記

自称文人、でもあっちへこっちへ行方定まらない。そんな浮草が芝居、映画、文学、美術、旅に関してのコメントを書き連ねます。

「烈々と燃え散りしあのはなかんざしよ」

2019-08-29 08:55:54 | 日記

新宿梁山泊 シライケイタ作

「烈々と燃え散りしあのはなかんざしよ」

奇想天外な舞台装置やドラマティックな演出の梁山泊が、あの温泉ドラゴンの、どちらかというと朗読劇に近いセリフを中心にした作品をリメイクしたらどうなるのか、大いに期待を抱いて出かけた。

温泉ドラゴンのは、舞台装置はただ一つの板というか、横斜めに長い木だけ、同じ俳優が何役もやり、金子文子の幼少期や朴烈との出会いなど、時代がさかのぼったり、戻ったり、唐突に場面転換が行われた。観客は急な展開の中でさまざまに想像を膨らますことができたような気がした。あの大正時代という時代の閉塞感、貧しさ、暗さ、余儀なく無政府主義に傾いていく文子、その生と死の潔さを描いたすばらしい演劇だった。

それに対して、梁山泊のは、時代の年表などをスクリーンで映し出すなど分かりやすく、文子の幼少期を本当の子供をもってするなど、派手な喧嘩や立ち回りなどで盛り上げ、よりリアリズム、カラフルでビジュアルなもの、大衆演劇風に仕立てた。ラスト、文子に降る桜吹雪、残した数々の獄中での短歌をスクリーンに映し、情に訴えた。

私は韓国映画「金子文子と朴烈」を見ている。そこに裁判官役で守珍が出演していることも見ている。素晴らしい映画だった。それを踏まえて梁山泊のこの芝居を見ざるを得ない。唐十郎の作品で最下層の人々や日韓の事を描くことに徹底している金守珍がどれほどこの映画に、どれほど金子文子と朴烈に感動したことだろう。戸籍もなく育ち、何度も男に捨てられる母、7才で女郎屋に売られそうになり、朝鮮半島で伯母に女中同様に扱われ、東京で勉強して社会主義を学び、上野で朴烈と出会った。それを劇的に語りたい、その思いが溢れていた。

温泉ドラゴンの芝居のことは忘れ、まったく別な芝居として見たほうがいいけれども。


映画「ボヘミアンラプソディー」

2018-12-18 19:36:57 | 日記

映画「ボヘミアンラプソディー」

日本人の琴線に触れる曲が多いQUEEN。その伝記映画

そりゃ、私達ロック世代、ずいぶん聞いたし、ミュージカル「We will lock you」だって見もしましたよ。ではどんな人たちかというと、実はあまり知りませんでした。

フレディマーキュリーがペルシャ系インド人だったとか、メアリーという女性に求婚していたとか、メアリーに嫌われゲイ友達に利用され孤独だったとかが描かれている。ボヘミアンラプソディーの創作秘話やその曲が6分と長すぎたのでリリースに反対されたとか、リリースしても評判が良くなかったとか。そういったことを知らなかったので、なるほどと思いました。

QUEENの成功の要因はライブでの観客とのコミュニケーションにあったとか。観客のほうが先に唄ってくるような親しみやすさ。

あの俳優の歌声はフレディの本当の声に吹き替えているのでしょうか。あの声はまさしく!

歯が気になってしまって。

ブライアンメイの俳優、本人にそっくりすぎる!髪型だけではなく。

ラストのライブエイドのシーンは、観客など当時の映像の合成なんですか!スタジアムを埋め尽くした圧倒的人々の盛り上がり! 

ラスト、We are the championの歌では泣きそうになってしまいました。ラストの20分だけでも価値があると思いました。

渋谷で見ましたが、若い人たちでいっぱいでした。


昔が懐かしい

2016-09-28 17:25:12 | 日記

気候不順で雨ばかりだけれど、彼岸花が咲き彼岸だと知れせてくれて、墓参りに行く。

そして金木犀が強い香りを放つと夕暮れが早くなる。花は季節を忘れない。

毎日、ヤフーニュースなどを見て憂鬱な気分で過ごしている。

新宿で週2回アルバイトをしているけれども、帰りがけめずらしく、靖国通りでデモに出くわした。たくさんの幟や籏が見え、マイクで声を張り上げているけれど、人は50人か60人くらいだろうか。100人もいない。警官が大勢回りについて、信号を操作して文化センターのほうの遊歩道へ導いて早く終わらせようとしている。「全学連」と書かれた幟が見えるけれど、ほどんどが中高年の人たちだ。 年配のの人から「前進」のチラシを渡された。通りを行きかうのは中国人やその他の外国人とキャバクラやホストクラブの人たちで、うざいとつぶやく。 40年くらい前、この通りはデモの人々で埋まっていたけれど、時代は変わりこうなった。私はまたもや、「攻殻機動隊」のシーンを思い出してしまった。私は新宿の一過性の見せかけの繁栄、実のところ荒廃している姿をみると、他国に侵略され何かにコントロールされている国、そのアニメのシーンを思わずにはいられない。

新宿で変わっていないところは、タカノのフルーツパーラー、中村屋、紀伊国屋書店、三峰、アカシヤ。靖国通りの大看板、東京大飯店。

昔はこうだったなあなどと、いろいろ懐かしんでいるとき、ラジオでフォークソング特集をやっていた。

泣きたくなったのは、及川恒平の「思い出橋」。その時自分が何をやっていたのか、思い出せないけれど、ひどく懐かしいのはこの曲の素朴さゆえだろうか。

♪面影橋 から天満橋 天満橋から日影橋
季節はずれの  風にのり

季節はずれの  赤とんぼ

流してあげよか 大淀に

切って捨てよか 大淀に

あと、ケメの「とうりゃんせ」

♪さみだれ五月よ来るがよい 実らぬ恋もあるがよい 私のぬったチャンチャコ 着る方もなく衣がえ ... 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ

さみだれ五月よ来るがよい 実らぬ恋もあるがよい  憎い八卦見言いおった 三十すぎ嫁がずと

こんなに昔を懐かしむのは人生の終焉に至ったということだろうか。


三好十郎作 「浮漂」(ブイ)

2016-09-08 20:48:40 | 日記

葛河思潮社 「浮漂(ブイ)」

田中哲司主演、長塚圭史演出、出演

三好十郎作

なんと5回目の公演

上演時間 6時から10時過ぎまでの4時間

何故今、この1940年初演の、三好十郎の、プロレタリア文学をやるのか? 生と死をテーマにした普遍的なものだから? 

舞台は海岸、一面白砂で覆われている。そこにポツンと寝椅子。病に伏せる最愛の妻。固い地面とは違って立っているだけでもふらつくような砂の上。

窮鼠猫を噛む状態にまで追い詰められた五郎は怒り叫ぶ!

画壇の権力闘争を嫌い、純粋な気持ちで絵を描きたいと渇望しながら、生活者としての画家である己の矛盾に悩み絵が描けず、肺結核で死の淵を彷徨う妻を寝ずの看護しながら借金と貧困に喘いでいる。 

戦地へ赴く親友が五郎を訪ねて来る、死を覚悟したその凛とした立ち居振る舞いと心境を聞けば己の甘さが浮き彫りにされる。

友人である医師が訪ねてきて、妻の余命を正直に告げると、病気を治せない医学への不信に怒る、「医学なんて全体全く無力なんだよ、近代科学だとか医学だとか言って、しょせん金儲けでしかないのだよ」

医師は「君は、もしかすると医学と言ふものが、人間の生命の全部に就て責任が有るように誤解しているんじやないかな、患者に対して可能性に基づいて忠告するしかできないのだよ」と冷静に答える。

妻を病気へと追い詰めた社会の不平等をも嘆き「結核というのは社会病で勤労者に多いのだ」と。

ラスト死の淵を彷徨う妻の枕元で万葉集を読み上げながら叫ぶ!

(青空文庫からそのまま引用する)

「要するにな、俺の言ひたいのは、万葉人達の生活がこんなにすばらしかつたのは、生きる事を積極的に直接的に愛してゐたからだよ。自分の肉体が、うれしくつてうれしくつて仕方が無かつたのだ。逆に言ふと、来世だとか死んだ後の神様だとか、そんなものを信じてゐなかつたからこそ、奴さん達は今現に生きてゐる此の世を大事に大事に、それこそ自分達に与へられた唯一無二の絶対なものとして生き抜いた。死んだらそれつきりだと思ふからこそ此の世は楽しく、悲しく、せつない位のもつたい無い場所なんだよ。死ねば又来世が有つたり、変てこな顔をした神様がゐてくれたりすると思つたら、此の世はなんの事あ無い手習い草紙みたいなもんだ。いゝくら加減に書きつぶして置けばいゝと言ふ気にもなるんだ。神だとか来世だとかを考へ出したのは、小さく弱くなつた近代の人間の謂はゞ病気だよ。そんな事を考へて置かないと此の世に生きる事の強烈さに耐え切れなくなつちやつたんだ。病気だ。俺達はみんな病気になつてゐる。誰も彼もみんな病人だ。…わかるかい? ……そして、この病気を治してくれるのは、昔の、俺達の先祖が生きてゐた通りに生きて見る以外に無いよ。自分の肉体でもつて動物のやうに生きる以外に無い。動物と言つて悪けりや、一人々々が神になるんだ。…… 俺達は万葉人達の子孫だ。入りて吾が寝む此の戸開かせだ。早く開けろ。それでいゝんだ。お前が、赤井と伊佐子さんを一緒に寝させたがつた。それでいゝんだ。それでイライラして熱を出した。それもいゝ。俺あうれしいよ、その調子なんだ。……俺達あ、美しい、楽しい、かけがへのない肉体を持つてゐるんだ。ゆづるな、石にかじり付いても、赤つ耻を掻いても、どんなに苦しくつても、かまふ事あ無い。真暗な、なんにも無い世界に自分の身体をゆづつてたまるか」


映画 「バベットの晩餐会」

2016-04-13 20:29:42 | 日記

名作映画 バベットの晩餐会

美しく心が洗われる、いつまでも忘れられない映画。

デンマークの海沿いの寒村。カレイのような魚が干され、海風に晒されている。村はいつも強い風が吹いている。

布教に身を捧げる牧師、その父を畏敬する二人の美しい姉妹。 父は二人の娘を伝道師として厳しく育てる。姉妹それぞれ、将校との出会いやオペラ座での歌手への誘いなどの世俗とのつながりがありながら、淡くはかなく消え、村での静かでつつましい精神生活が続く。 父はこの世を去り、二人は歳を重ねた。 一人暮らしの老人にスープを届けたり、村人と集まりを開くなど二人は父の教えを守り、伝道を続けている。

ある日、二人の前にパリ動乱から命からがら逃れてきたフランス人の女性バベットが現れる。実はプロの料理人なのだが、それを隠してバベットはお手伝いさんとして働くようになる。

干しカレイを水に浸してぶつ切りにし、固くなったパンと一緒に煮込むような、到底料理とは言えないような食事で日々送っていた姉妹。バベットは貧しい暮らしの中から、ハーブを摘んだり、工夫して料理を作るなど二人に仕える。

そして宝くじ当選の郵便が届く。その賞金でバベットは姉妹の父の生誕100年祭の晩餐会を開くことを提案する。パリから食材が運び込まれる、生きているウミガメ、ウズラなどに村人や姉妹は眉をひそめ、恐れる。

晩餐にはかつて出会い別れた将校も招かれた。

ウミガメのスープから始まり、ウズラのフォアグラ詰パイ添えがメインの最高級で至極のフランス料理が提供される、。選び抜かれた食前酒にシャンペン、ワイン。姉妹、村人や将校もその味に感動する。将校はこの料理がパリのある一流のレストランのシェフの味と気付く。

将校はこの静かな村で一流の料理を味わった幸福と共に自身のことを姉に語る、「地位や名誉を得て頑張ってきたが、いつも心にあなたとこの村がありました、あなたの心にも私のことがあったのでしょうか?心と心がつながっていることこそ本当の幸せではないでしょうか?」

若き日の姉妹があまりにも澄んだ水のように美しく、年月を重ね老いた姉妹がさらに洗練されて美しく、その立ち居振る舞いがすばらしい。

姉妹の唄う賛美歌のその声が清らかですばらしい。

食事に関しての一切を語らず、美味しいなどとも一切言わずして、食べたこともない至極の料理に魅了される村人たちの幸福そうな様子がすばらしい。

台所でのバベットの料理の手順がすばらしい、銅の鍋や釜などの道具がすばらしい。

スープ、前菜、メイン、チーズ、デザート、フルーツの一つ一つの見た目がすばらしい。

台所の片隅で晩餐会の食事やワインにあやかる将校の馬車の御者、給仕を頼まれる村の少年を含め登場人物のすべてが自然ですばらしい。

晩餐会の後、外に出ると、風は止み一面の星空、「星が近いわ、これで雪はおしまいね」という姉、そのデンマークの寒村の風景がすばらしい。

本当の幸福とはなんなんでしょうか?