新宿梁山泊 シライケイタ作
「烈々と燃え散りしあのはなかんざしよ」
奇想天外な舞台装置やドラマティックな演出の梁山泊が、あの温泉ドラゴンの、どちらかというと朗読劇に近いセリフを中心にした作品をリメイクしたらどうなるのか、大いに期待を抱いて出かけた。
温泉ドラゴンのは、舞台装置はただ一つの板というか、横斜めに長い木だけ、同じ俳優が何役もやり、金子文子の幼少期や朴烈との出会いなど、時代がさかのぼったり、戻ったり、唐突に場面転換が行われた。観客は急な展開の中でさまざまに想像を膨らますことができたような気がした。あの大正時代という時代の閉塞感、貧しさ、暗さ、余儀なく無政府主義に傾いていく文子、その生と死の潔さを描いたすばらしい演劇だった。
それに対して、梁山泊のは、時代の年表などをスクリーンで映し出すなど分かりやすく、文子の幼少期を本当の子供をもってするなど、派手な喧嘩や立ち回りなどで盛り上げ、よりリアリズム、カラフルでビジュアルなもの、大衆演劇風に仕立てた。ラスト、文子に降る桜吹雪、残した数々の獄中での短歌をスクリーンに映し、情に訴えた。
私は韓国映画「金子文子と朴烈」を見ている。そこに裁判官役で金守珍が出演していることも見ている。素晴らしい映画だった。それを踏まえて梁山泊のこの芝居を見ざるを得ない。唐十郎の作品で最下層の人々や日韓の事を描くことに徹底している金守珍がどれほどこの映画に、どれほど金子文子と朴烈に感動したことだろう。戸籍もなく育ち、何度も男に捨てられる母、7才で女郎屋に売られそうになり、朝鮮半島で伯母に女中同様に扱われ、東京で勉強して社会主義を学び、上野で朴烈と出会った。それを劇的に語りたい、その思いが溢れていた。
温泉ドラゴンの芝居のことは忘れ、まったく別な芝居として見たほうがいいけれども。