したが、1920年以降は差し迫るナチスの圧力と、映画やジャズなど新しい潮流との対峙を余儀なくされ、苦悩の日々を送りました。ユダヤ系の出自に加えて、音楽と台本の双方を自作した彼の躊躇なくエロティックな表現に踏み込む作風は、早くからナチスに忌避されていたのです。 この時期に《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》は書かれました。初期作品から一貫する後期ロマン派音楽と、様々な新しい手法が融合されて、現実と幻想の両面からオペラ創作の心理に切り込んだ近代的な冒険作です。
作曲にあたって最も重視している。響きの多彩さは同時代の作曲家の中でも傑出しており、管弦楽の楽器、音量、和声などの組み合わせ方は極めて広範に及んでいる。なかでもオーケストレーションを厚く構成し、音価を長めに引き延ばした壮麗なクライマックスを作り上げ、官能的な音響を創出していることは特徴的。
響に没頭していた。[…]例えば、チェレスタがそのまま、そのものとして聞こえてきた
り、クラリネットやオーボエが、下品な競争をして歌声を蹂躙し、時には、管弦楽全体
の波よりも「覆いかぶさったり」してしまうよりも、邪魔なことはない。[…]私が否定
するのは、あまりにも明解すぎて聞き分けが可能な響きであり、そしてオペラという仕
事の中では、ただひとつの楽器だけを認知したいのである。オーケストラそのもの、と
いう楽器だけを。※1
細分化された弦楽器、巧妙に使われる打楽器、そして個々の楽器のアイデンティティーを覆い隠す絶妙の重複によって、プリズムを通したかのような多彩な色彩を生み出すに至っている。※2
→ 特にドビュッシーの和声と管弦楽法の影響に言及している。しかしさらに踏み込んで無調音楽を展開する事もあり、攻撃的な無調性を巧みに覆い隠す効果に寄与している。
私は、印象主義者、表現主義者、国際主義者、未来主義者、ヴェリズモ音楽家である。[⋯]
私は、響きの芸術家、響きの夢想家、響きの魔術師、響きの唯美主義者であり、旋律の軌跡は持ち合わせていない[…]。私は最も純粋な血統の旋律家であり、和声家としては、貧血症で変態だが、しかし純血種の音楽家である!私は、(惜しむらくは)色情狂であり、ドイツの聴衆に対して害悪へと作用してしまう[…]。
私はしかし(幸いなことに!)、理想主義者、象徴主義者でもあり、最も急進的なモダニズム(シェーンベルク、ドビュッシー)を好むが、さほど急進的には指向せず、私の音楽においては害にはならない。三和音はおろか「通俗的な」減七和音まで、いまだに使用して、ヴェルディ、プッチーニ、アレヴィ、マイアベーアなどに寄りかかっている[⋯]。