老いぼれよれよれ道中記

ひまなじっさまが、余生のあるうちはと、内外のおもしろげな街や村をほっつきあるく旅日記

上海だより・23=シンガポール攻略成功     2009年3月9日

2009年03月23日 | Weblog
シンガポール攻略成功!!

感動で、我が、胸のうちに軍歌が轟きました。

  ♪一番 のりを やるんだと 勇んで死んだ戦友の
   遺骨を抱いて いま 入る シンガポールの 街の朝~


  ♪なんで 男だ なくもんか 噛んで 堪えた 感激も
   おりから 起こる 万歳に 思わず 頬が濡れてくる~


  ♪負けず嫌いの 戦友の 形見の 旗を取り出して
   雨に煙りし 焼け跡の 山の頂上に 懸けてやる~

  ♪シンガポールは墜としても まだ進撃は これからだ
   遺骨を抱いて 俺はゆく 護ってくれよ 戦友を~



我、これほど興奮した[旅]は、今回にして初めてなりき
多分、ふたたびこの喜びを 胸中にする旅は期待できず

思えば、これまでは、さほどの作戦をもたず
アジアの各地をいわばかっての大陸浪人のごとく
風のふくまま 気の向くままに・・・

しかるに今回、マレー作戦を意図したことにより
わが敬愛せし旅とも、[姐さん参謀]より
貴重なりし、得難き作戦指示書および攻撃ルートなどが
本国から次々送信。

これで立たねば、大和男子でなし。
我、気侭な旅暮らしにあって、こんかいだけは
絶大なる使命感によりマレー半島を蹂躙せり

ルートは、帝国陸軍、山下中将率いる第25師団の
主力部隊、および世界戦史にその名を轟かした
銀輪部隊の激戦の跡を追うように単騎、孤軍奮闘で
マレー半島の西海岸ぞいに南下。

タイ国国境を突破して、アロンスター、ペナン島
首都クアランプールさらにはマラッカを攻略

マラッカは、前述の軍歌。いま、それがどの小節にありしか
記憶にさだかでなけれど、たしか

  ♪戦友(とも)を 見てくれ あの空を
   マラッカ海の 十字星~

その歌詞をマラッカ海の海岸線にでて、歌うことを祈願して、
乗り込めど、天運われに味方せず乾季のゆえか
曇空にて その姿をみせず

ただし、その不運を帳消するかのごとく
ペナン島の某現地デパートで、
驚くべし[かっての日本語教育]をうけた現地人に遭遇

「おまえ 日本人か」
余の作事衣すがたから推して、声をかれてきたり

お前よばりは、ぎくり!とすれど、多分、当時
日本軍軍人教官からは、そのように呼ばれておれば
これは了とする必要あり

次の夜も表敬して、レストランに招じれば
その席で、またもや驚くべし

お前、この歌 知っているかと

  ♪ 見よ 東海の 空明けて
    旭日 高く 輝けば~

会話の日本語は、かなりおぼつかないが
この軍歌は、もうほとんどの完璧

思うに、テレビが戦時下の特集をやれば
まず、欠かせない登場者のひとりになるはず

また、なぜに、かくまで余と交流を深めたかといえば
ここでも驚くべし

なんと余と同じ1936年、昭和11年の生まれのとしが同じ。
われ、日本で[愛国少年団]の薫陶を受けし時代に
この現地人もまた、日本軍占領下のマレーの地にて


その後、余が南下したクアランプールの博物館では
日本軍が発行した現地人当の[日本語修練之証]の古びた
資料も拝見の幸運があれば、これをもち
マレー作戦ほぼ勝利の確信を自認したところなり

マラッカからは、ジョホール水道を抜き、一気に
国境線を破り、作日、夕刻、ついにシンガポールに到達!

心身かなりの疲労あれど、かっての皇軍将兵の労苦を思えば
たとえ我が身は老兵とはいえ、安穏として消日するは
祖国で的確なる指示をだす[姐さん参謀]に
いずくんぞ顔向けできようぞ。

されば、本日は終日、激戦につぐ激戦。後半は、
もはや捨身の戦法をもち撃破したる攻撃地の名称を期するのみ。

かっての激戦場であり、ここで英軍が降伏したブッキマの高地にある
かってのフォード工場

英軍の司令部ありし地下壕(姐さん参謀から必見の通信ありしが
まさしくここに来ずしてシンガポールに来るかいなし)

憲兵隊のあとち

軍の宣伝隊が、拡声機で現地人でよびかけていた現在のキャセイビル

日本軍の司令部がおかれたシティーホール

日本軍将星がねぐらとして召し上げた、現在の五つ星[ラッフルズ ホテル]
(姐さん参謀情報によれば、当時は昭南館と呼称。もちろん余の幼少時代は
シンガポール占領にあわせ、島は日本名の昭南島と改称したところなり)

されど、世はすでに平和な平成の時代にいたれば
シンガポールに来りて、かっての日本軍の栄光と挫折をだけ偲んでいれば
これもまた国際的礼儀としてかんばしくなきこと当然なり

ならばと、本日の激戦地、追憶の激戦の最後をかざるため
シンガポール観光局長の顔をたて、
[ここが島のシンボルである]と豪語せし[マーライオン]を表敬の行為

ただし、余の攻撃をおそれたのか肝心のマーライオンはなんと
青テントで全身を防備し、その姿をみせず
(先ごろ落雷で、満身創痍で療養中との巷説あり)

ただし、余としては、すでに攻撃目的地は制覇したところであり
マーライオンは義理だてにすぎなければ、無念さ、さほどなし。

むしろ、それを目的に観光にきたる日本のおばさん方をふくめ
おおくの 観光客に心からの哀悼の辞を申し上げるのみ。

以上、本日、単騎による短期決戦に十分な勝利を確保すれば
明日は、かっての日本軍が決死の覚悟でその海をわたった
ジョホール水道を、余は徒歩で越えゆき再度ジョホールバルに。

帰途は、日本軍の支隊が南下した東海岸ルートを逆に辿り
マレーの虎こと谷豊氏の足跡をしのびつつ、支隊が上陸した
コルトバの町を制覇

その後、またタイ国にもどり、その後飛行機にて
祖国日本に凱旋

まっ、いつもながらのウはついた作文で恐縮でおましたが
そないこって、明日からは撤収にかかりますんで
多分、なんとか生還しますよってご安心いただきますよう


シンガポールにて

疲労困憊ながら
激戦に勝ち抜きことのほか気分よしの

老兵 敬助
  

     ★           ★          ★

■ 出来たヨメ  2009年03月09日 01:12

♪一番乗りをやるんだと 力んで死んだ戦友の 遺骨を抱いて今入る
  シンガポールの街の朝 ~中略~

  友よ見てくれ あの凪いだマラッカ海の十字星 夜を日に継いだ進撃に 
  君と眺めたあの星を 

  シンガポールは落としても まだ進撃はこれからだ 遺骨を抱いて俺は行く   守ってくれよ戦友よ(戦友の遺骨を抱いて)

日本の軍歌に比べると、フランス国歌La Marseillaiseのなんとも残忍さ。
《♪いざ進め 祖国の子らよ、栄光の日は やって来た。
我らに対し暴君の血塗られた軍旗は掲げられた。
聞こえるか戦場で蠢いているのを。獰猛な兵士どもが奴らはやってくる、
汝らの元に。喉を掻ききるため汝らの女子供の。
武器を取れ市民らよ。組織せよ汝らの軍隊をいざ進もう!
汚れた血が我らの田畑を満たすまで》。

ええ、フランス人は21世紀の今も歌ってマス。

マレー半島のコタバル(マレー作戦上陸地)は異国情緒があって、
食も屋台中心でありながら異国風情がありいいところです。
宿も安いですし。最終目的地のタイはバンコクに行くにあたり、
この地でゆっくりされることをオススメしますよ。

●コタバルの安宿「KBバックパッカーズロッジ」
市内バスターミナルから徒歩1分の中心地にあります。
(フロントは2階、客室は3階と4階でドミトリー(10RM)は4階にあります)
1872-D Tingkat 1
Jalan Padang Garong
TEL +60-9-748-8841

■ なかちん☆ 2009年03月09日 01:17

仙人。南下作戦にして本当によかったですね
私もなんか感動してしまいました

私は偉そうに大人な顔してるけど、日本の歴史、
しかも決して遠くない歴史すら知ら無すぎる

当日の日本兵はどんな暮らしをしていたんでしょうね

引き続き気を付けて


■ 茶屋敬助 2009年03月09日 01:52

> 姐さん

お気遣い、ありがとうございます。
コタバルにて、すこし休息をいれて
その後、バンコク経由で。
そのつもりです。

>なかチャン

ありがとう。
なんとか生還できそうやでよう。

祝電は、帰国後でまにあうんかなも?


■ masa◎ 2009年03月09日 06:15

昭和11年ですか。うちの母は高齢出産で私を産んだので一つ違いですね(^-^)
母は生まれも育ちも(中学生まで)中国で、
戦火は逃れたみたいなんですけどね…
茶屋さんはやはり大変だったんでしょうね…シンガポール行けて良かったですね!
20-21日にどちらか日本でお会い出来るといいな。
お気をつけて(^^ゞ

■ 茶屋敬助 2009年03月09日 08:19

>masa chan

yo-si !

20-21日 o medoni kikoku o simasu

mokuhyou ga dekimasita

kansya.


■ ばーば 2009年03月09日 13:11
ずいぶん充実した旅を続けておいでのようですね。
 ほんとに南下作戦を選んでよかったですね。
 またまた作事衣すがたが幸運を・・
 いい人にめぐり合えて、なお一層感激の旅になった事でしょう

 旅を終えたら暖かい日本の春が待っていますね。
 くれぐれもお体に気をつけて後の旅を楽しんでください。

■ じぼじぼ 2009年03月09日 15:47

  ペナン便、クアラルンプール便ゲット作戦をしていたさなか、
  うシンガポールに到着していたのですね。
  充実した旅だったようで、なによりです。
  今度は東海岸、北上ですね。楽しんでください。
  やはり再会はまた名古屋で。
  来年こそは、どこか現地で会いたいです。

■ hiroko 2009年03月10日 08:48
戦争も戦後も経験していない私にはそれほど感動のない場所でしたが、
敬助さんの胸にはいろいろな思いが溢れたのですね。

今回、南下を迷っていたみたいですけど
やはり行ってみて良かったですね、、、

■ 亜紀 文 2009年03月10日 21:44

わたし、1937年生まれで昭和12年生まれですけど、戦争の事なんて、
ぜーんぜーん、記憶にない。

どこで生まれはったんですか。わけわからん。
しかし、思いの深さは充分伝わりました。
ええなあ、そんなに思い込むことができて。

8月15日にわけのわからんお言葉を聞きに校庭に集められ、
戦争がおわったんやてえと、狐の声が聞こえてくる道を走って帰った記憶のみ。
それと、いつもおなかがすいてたこと。私の戦争はそれだけ。なんか寂しい。

■ 茶屋敬助 2009年03月11日 19:58

>しほチャン
いま北上して、東海岸のコタバルに。
バンコクにもどり、その後帰国、

じゃ、名古屋のきしめんは山本屋で、また報告させて
もらえる日をたのしみにしとるでよう。


 >ばーばサン
真珠湾につずいて、シンガポールを。
その偶然に自分ながら驚いています。

多分、第一波の真珠湾が、ばーばさんの支援で
ことのほか、うみゃあこといったせいで

今回の第二波も。改めて感謝してます。

 >文さん

「おおきくなったら、りっぱな軍人さんに」
ここは、男の子だったわしだけの、思い込み。
で、勝手な興奮をなにぶんおゆるしください。

 >hirokoちゃん

うんじゃ、このとしになり、
「旅」にはこんな感動が。
わし自身がおどろいています。

で、感性ゆたかなhirokoちゃんは、これからの旅に
どんなところで感動の場面を?

その報告をたのしみにしています。

■出来たヨメ 2009年03月11日 20:58

ご老公、早ッ!!

クアラ・トレンガヌは日帰りですか。私はハリマオの妹が華僑野郎に惨殺され、
ハリマオが夜空の星を妹に見立てて涙を流したという夜を、
たぶん同じ星をみながらしんみり過ごしました。
イスラームに改宗したハリマオと違うのは、
私の右手に缶ビールがあった‥ということです(懺悔)

かなり移動続きなので、あのバングラデシュでの持病が再発しやしないかと
心配ですワ。くれぐれも気をつけてくださいね。

■ hiroko 2009年03月12日 00:31

私の次の「旅」は国外なら「日本」。
「日本」で感動すること間違いなしです。

 すでにこの適当なアメリカで
 日本の素晴らしさに感動しているくらいですから(笑)

■ みーさん 2009年03月12日 05:58
遅ればせながら シンガポール陥落おめでとうございます
 今は もうコタバルに到着ですか?

 シンガポールではセントーサ島のシソロ砦を予定していたのですが
 時間外(入場は17:30まで)でした

 ジョホール水道は 私も歩きました
 マレーシア側のイミグレが新しく以前と違う場所で
 遠くなっていて 戸惑いましたけど

 コタバルは 居心地の良い街と聞いています
 いつか行って見たい街になっています

■ ㌍㌢浜松薔薇巻作戦中 2009年03月12日 16:48

お久しぶりです

今頃コタバルですか?

やはりコタバルは999でしょう
街から少し離れた川沿いにありますよ

■ ふみちゃん 2009年03月15日 00:17
進軍ラッパ響かせて今シンガポールですか

あら~マーライオンは青いビニールハウス生活なの?
観光客のモニメントだったでしょう

福岡は桜の開花宣言しましたよ
花見弁当恋しくないですか?

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