老いぼれよれよれ道中記

ひまなじっさまが、余生のあるうちはと、内外のおもしろげな街や村をほっつきあるく旅日記

インド譚11・駐屯悠々

2013年05月08日 | Weblog
ヨルダンを視察後、エジプトに陸路国境を抜き侵入。シナイ半島を南下して紅海の潜水保養基地<ダハブ>の海中にて、美麗にして群れ成す熱帯魚軍団の観閲をおわり、アフリカの帝都<カイロ>に進攻して早や1週間余。

この日本軍<宿営地>として名高き安宿<サファリー・ホテル>には我が友軍の姿あれど共闘する青年士官なし。

しからばと、老兵孤軍奮闘にて連日、市街戦に討って出れば、既に<ギザの3大ピラミット>やその膨大な墓場遺産を展示する考古学博物館、さらには<十字軍>をも撃退した巨大な城郭都市である世界遺産<シタデル>など、主要な観光基地はほぼ制圧。

昨日は、正面ゲートを守衛する監視員を屈服し、アフリカ大陸学問の盟主<カイロ大学>の構内に潜入を果たし、見事<日本語学科>の学棟に達すれば、光栄にもエジプト人<学部長>に表敬を果たしたり。

これ、実に最初に遭遇せし<助手嬢>が、先年<早稲田大学>に留学せしおりの帝国日本臣民から受けし恩義に対し、余にその一端を返したると推察するにはばからず。

加えて、広辞苑など数多の辞書や日本語関係の<全集>を書架に並べる<日本語図書室>では、うれしくも<日本語科講師>の日本人<小川>先生に謁見を果たし、氏より<カイロにて危機に陥りしときは、ここに電話されたし>と余の手帳に自己の電話番号を記載のご好意まで頂きしは、もって幸運というほかはなし。

なを、ここカイロに駐屯しつつ、余が想像を越えしは、あまたの古代遺産や史跡類の規模や数にあらずして、実に実に、アラブの民の<友好><親近><善意><笑顔>・・・など、この杖を引き摺りよろつき歩く日本老人に対しての際立つ<親切>でありしことに尽きず。

日本列島にて、経験するにするに例すくなきことを記載いたせば・・

ただ行き先の地名や写真を振り回し、<ここに行きたし>と陳情いたす余に

ある青年は、自身が向う方角と逆になる地下鉄駅入り口まで誘導のうえ、別れには
<ぼくは日本が好きだ>からと、考古学博物館の栞まで余の手に。

ある駅員は、改札を同僚にたのみ、<こちらにカム>と、ホームまで誘導し、乗るべき列車を待ち、来たれば、乗客に<この老人を、どこどこの駅でおろしてやれ>との言葉かけ。

その乗客、途中で下車するに際しては、車内にいる乗客に<お前さん、この先に行くならこの老人を・・>との親切リレー

地下鉄の出口なども当然迷うが、聞けばかならずの如く、最も適切な通路に誘導。その多くは雑踏で離れぬよう余の腕を抱え込み・・・

単独行動であれば<割高なタクシーは乗らぬ作戦>のこの老兵が、向うべき地下鉄や市バス乗り場を探す困難さは大東京駅や地下鉄出口など世界の大都会ならいずれも同じこと。

されど、同じでなきことは、ここカイロに限りて、かならず<援軍>の手がさし伸べられること。
指にて<あちらだ>と指し示すだけにあらずして、そのバス停まで案内。

所定のバスが来るまで待つか、さもなくば傍に立つ乗客に<この爺さんをどこどこ行きのバスが来たら乗せてやれ>の伝言までの行為。

その乗客、それが自身が乗るバスでなければ、大声で運転手に<いま乗る爺さんをどこどこで下ろしてやれ>とまたの伝言。

また駅を巡回しつつある青年警官は、なんとホームまで誘導しただけでなく、来たる車両に同乗して次の乗換駅まで。

そこの駅構内を案内しつつ別のホームに出れば、暫し共に待ったうえ次の車両に乗せ、それが職務であるごとく他の乗客に<この爺さんをどこどこの駅でおろしてやれ>と指示しそこで本来の勤務する駅に引き返して行く極めつけのご親切。

我が国の警官なら、勤務場所を離れてと、上司から<譴責>される行為とも思慮いたすところ。

乗り物にかかわる善意だけでなし。屋台の軽食に<値段に躊躇し離れようとすれば>余を呼び止め、なんとこの程度のモノは進呈しましょうと、そのパック皿のひとつを我が手に・・

ノーノーと、遠慮をすれば、腕を伸ばし天上を指差し<アラ-の神の思しめしだ>とニッコリ顔でおしつけてくるがごときの態度。

この数日。この類の話を語れば枚挙にいとまなし。

余が<老兵孤軍、未知の敵地にて勇猛果敢に前線の偵察行動を>の気負いも、善良なカイロ市民からみれば、おろおろしている単なる異国の爺ぃ。

その爺を<♪ これを見捨てておかれよか>とかくまで善意で包囲してくれるアラブの民。

この齢にして始めてアフリカ大陸の地を踏み、最大に心に残りしは、ピラミットの高さではなく、やはりそうしたアラブの民の親切さと思わざるをえず。

但し、いまだ省察するに余地が多いと思慮しつつ、その親切の根源を少し語れば・・

ムスリムの人々が<かっての勇猛果敢な遊牧民族>や近時の<原理主義からきたるテロ活動>さらには<アルカイダの勢力>から多くの日本人にイメージされている<血も涙もなき>獰猛な民族ではないのではないか。

むしろ、逆に<旅人に親切にせよ>とも教えを含むコーランを日々唱えリ、メッカの方位に跪く真摯な人々であることは、すでに、パキスタンを始め、イスラム圏の国々の旅で余に限りて多少は理解したきたところ。

その宗教心の深さは、ここカイロで乗り慣れてきた地下鉄の構内通路にてよく見かける光景なれど、そのひと隅にゴザを敷いた<お祈りのコーナー>では、たとえ通勤通学途上でもメッカの方位に頭を垂れる男たちのあまたの姿からも推察できるところ。

但し、さらに心に宿りしこと。旅人に親切が教えにもとずくにしても、余が老人にしてさらに日本人であることが、どうも最大の理由であるような感じが拭えず。

街中で<よろつき白人旅人>がおりしとき、余にたいするるがごとき彼らの親切行為を期待することはむつかしいように思い、またそうした光景を散見したことなし。

ここで、歴史を引けば、古くは<十字軍>近世では<欧米による植民地>さらには<中東戦争>など、ムスリムの民が、白人に好意を持たざるは当然とする経緯あり。逆に、わが日本は一度として彼らに<刃や銃口>を向けたことなし。

これは、まちがいなく国際社会において、日本の誇るべき外交遺産のはず。<日本人はいい仲間だ>と信ずるイスラムの民を裏切ることは、避けるべし。

懸念すべきは、現下の政府が<アメリカの尻馬>に乗る如く外交を展開し、時によれば自衛隊をキリスト勢力の<盾>ともして使う姿勢のあること。それだけは避けるべし。

イスラム勢力に加担せよというわけでなく、幸い現下においても彼らから好感を持たれている我が国が、中立の立場をいかして国際平和に貢献することが使命ではないのか・・・

すこし、ガラにもない硬い論議になったが、<ひとり異国のふらつき散策>で、よきアラブの民にふれる機会多く、これだけは<書いておきたい>ということで少し冗長になったことはお詫びです。

なを、この後の予定ですが・・・・

5月23日の飛行機で、カイロを発ち、途中アブダビで乗り継ぎ、24日、成田空港に。
25日、東京品川で開催の、わしも粗稿を寄せたある<旅本>の出版記念パーテェーに顔を出し、その日の夜行バスにて名古屋に。

それにしても、カイロの散策はほぼ終了。あと一週間余の暇があれば、荷物は宿に預け地中海方面および、さらに気合が入ればスエズ運河まで足を伸ばした小リュックを担いだ小旅行を検討中。

やるとすれば、明日、出発。何分、なんの知識もなき地域への独り旅であれば、これから、宿に置かれた地球の歩き方や情報ノートで付け刃ながら勉強する必要があれば、今回のカイロ日記はここまでとさせて頂きます。

      5月13日    カイロのサファリーホテルにて                         老兵敬助 敬白



カイロ大学です。この校門で光輝く菊の御紋章入りのパスポートを振りかざし<怪しきものにあらず。日本国外務大臣が保証する由緒ただしき日本老人である。暫し、構内視察を許されたし>に<紹介文書なければノウだ>と相手は拒否。双方、カタコトの英語です。

<はるばる大日本帝国から来たのだ>と押し問答が続けど、引き下がらぬわしに根をあげた守衛は、この爺を説得するには<日本語でなければならぬ>と、構内の外国語棟に同行。

で,おりよく顔を合わせた写真の娘さんが、前述の<早稲田大学に留学>されていた助手の方で、わしの日本語を理解して、それなら私が協力しますと、すぐにパスポートのコピーを取り奔走のうえ見学の許可や、学部長に面談の尽力を。ほんと、感謝でしたなぁ。

それにしても、写真背後の書棚がええでしょ。日本では過疎村の村立図書館分館程度の規模ながら、遠くアフリカ大陸の一隅で<広辞苑>や日本語の学術書がこうしてズラリと並べなれておると・・勉強ぎらいだったわしもなぜかうれしい気分になったのであります。