3月22日いま1:40プン。おなじみニューデリー駅前の、ネっと店に、家財用具一切?をもちきたりて、列車出発前の待ち時間を使ってのご挨拶であります。
昨日21日。早朝、一番乗り的気分で、在インド・パキスタン大使館に参りまして、小窓から笑顔で、「ジャパニーズ。わしyamada!」と声をかければ、すでにおなくなりになったフセインさん的アラブ顔の、係員どのが、パスポートの束を手にし、中から、赤色・・・まちがいなし。日本のいろで、わしの一冊だけ。
抜き散り、ニコリと渡してくれるセルフがなかせてくれました。
「ウェルカム!!!!!」
えっ、「どうぞいらっしゃい。われらの国パキスタン」のお誘いですよ。
まっ、当面は様子見ですが、やはり、行かなければならないか?。
悩みは深くなりにけりの状態ではございます。
昼前で、この日の最大の仕事がおわれば、広大な庭園風デカ区画というか、大別荘地と申すか、要は、世界各国の大使館が200メートル道路をはさみちらばる「大使館通り?」を、ハ・ハーン。インドさんも「やる気になれば、こんな町つくりが出来るんだなあ。えらいえらい。」と感心しつつ、かねてからきになっていた
「国立インド鉄道博物館」にひとりとぼとぼ・・・
で、つぎつぎ各国大使館の前をとうりすぎるとき、ちょい気になるデカ建物があり、近づこうとすれな小銃をもったヘイタイサンが阻止!「どこのネーションきゃあ?」とたずねれば「ロシヤ」ということでしたが、丁度そのとき一台のリッパな乗用車が重厚な鉄扉の玄関先に。
いや、いいところを見せていただけました。
なんか、車を持ち上げる「ジャッキ」風の地を這うような押し車が持ち出され、乗用車の車体下にグルグル引き回され・・はい。ガラスがはめられており、要は下から「爆薬」が仕掛けられていまいか、検査する道具なんでして・・・
ワタシ、ニュース番組などで、見た記憶がございますが、ホンモノは初見参。
テロの恐怖というか、爆弾の威力をかなり身近にかんじたわけですが・・・
その怖さを棒引きするような、おのしみのアイデア?
うん。わしはやらんけど、もしモシ、あほなやつがおって、その「したから覗き機」を、持ち出し、人並みの中で、スカートの娘さんに近づいていけば、それこそ「大人気」。ひとりぶらぶら、話相手がおらないと、ホント、人間というものはツマラヌ方に連想が働くものではありますうなあ。
ご承知。インドは世界に誇る鉄道王国。その看板ともなるであろう「国立鉄道博物館」は、その大使館街区をつけぬけたあたりで、やはり広大な公園風施設を展開いたしておりました。
前回の第一次作戦時も、偵察にきましたが、「月曜日」ということで、閉館。
ならばと、今回はリベジンなんですが、もうひとつ、わしの出来がわるいため後を継ぐことありませんでしたが、なき親父は「鉄道」一筋の人生。
いまなら、ある程度の職階になれば、海外の鉄道施設視察も公務的に可能でしょうが、当時はなまじっかの役職ではムリのはず。
多分、その名前をしっていても「ほんじゃ、得意の国鉄職員パスをつかい今度の日曜日に子供をつれてインドの・・」
となれば、はたせぬ親父の夢を!!。これぞ供養!!
そういうわけで、わしはなにも自分かってに好きに歩き好きなところをみているわけえはなく、しいていえば、遅まきながらの親子孝行の旅路?
大義名文はあるんであります。
で、夕刻、ちかく、デリー駅の安宿に入る前に、駅舎2階の「外人用予約センター」により、「よし、パキスタン・ビザを手中にすれば、キタナッコイこのデリーを一刻もはやく脱出と、翌日22日PM3:50発チャンデガル行きエアコン指定席指定上等キップをゲット。
で、本日22日は、ホテルの温水シャワーでデリーの汚れをながし、アジャイ・ホテルにある日本人情報ノートから、行くことになるかもしれない、国境越えをふくめての「パキスタン参考事項」を大急ぎでさがし、大急ぎで転記し・・
移しきれぬとわかれば「コピーショップはどこきゃあ」と、大急ぎで聞き出し、
「ソレ行け!」。裏道駆けずり回り、なんとか探し、大急ぎでコピー。
12時のチエックアウトをすぎないうちにと、汗かきもどり、荷物を抱きかかえるようにしてホテルを飛び出し、日本食堂で50ルピー100円ほどの、ほんと口にあう「かきあげどんぶり」の昼食。
あっ。もうダメ。時間切れ。列車発車まで一時間をきれば、ただちの駅の方角に歩行開始の必要あり。
また、当分、「メールのない収容所生活」にはいりますので、当分ご無沙汰いたします。次は、パキスタン?・まさか。
じゃ、収容所のあるチアンデガル市に、出発しまーす。
慣れておるとはいえ、誰もお見送りなしはやっぱさびいしいわなも。
「身から出たサビ」!。そういうことだわなも。
デリーをたつ直前 駅前のネット屋にて 敬助
昨日21日。早朝、一番乗り的気分で、在インド・パキスタン大使館に参りまして、小窓から笑顔で、「ジャパニーズ。わしyamada!」と声をかければ、すでにおなくなりになったフセインさん的アラブ顔の、係員どのが、パスポートの束を手にし、中から、赤色・・・まちがいなし。日本のいろで、わしの一冊だけ。
抜き散り、ニコリと渡してくれるセルフがなかせてくれました。
「ウェルカム!!!!!」
えっ、「どうぞいらっしゃい。われらの国パキスタン」のお誘いですよ。
まっ、当面は様子見ですが、やはり、行かなければならないか?。
悩みは深くなりにけりの状態ではございます。
昼前で、この日の最大の仕事がおわれば、広大な庭園風デカ区画というか、大別荘地と申すか、要は、世界各国の大使館が200メートル道路をはさみちらばる「大使館通り?」を、ハ・ハーン。インドさんも「やる気になれば、こんな町つくりが出来るんだなあ。えらいえらい。」と感心しつつ、かねてからきになっていた
「国立インド鉄道博物館」にひとりとぼとぼ・・・
で、つぎつぎ各国大使館の前をとうりすぎるとき、ちょい気になるデカ建物があり、近づこうとすれな小銃をもったヘイタイサンが阻止!「どこのネーションきゃあ?」とたずねれば「ロシヤ」ということでしたが、丁度そのとき一台のリッパな乗用車が重厚な鉄扉の玄関先に。
いや、いいところを見せていただけました。
なんか、車を持ち上げる「ジャッキ」風の地を這うような押し車が持ち出され、乗用車の車体下にグルグル引き回され・・はい。ガラスがはめられており、要は下から「爆薬」が仕掛けられていまいか、検査する道具なんでして・・・
ワタシ、ニュース番組などで、見た記憶がございますが、ホンモノは初見参。
テロの恐怖というか、爆弾の威力をかなり身近にかんじたわけですが・・・
その怖さを棒引きするような、おのしみのアイデア?
うん。わしはやらんけど、もしモシ、あほなやつがおって、その「したから覗き機」を、持ち出し、人並みの中で、スカートの娘さんに近づいていけば、それこそ「大人気」。ひとりぶらぶら、話相手がおらないと、ホント、人間というものはツマラヌ方に連想が働くものではありますうなあ。
ご承知。インドは世界に誇る鉄道王国。その看板ともなるであろう「国立鉄道博物館」は、その大使館街区をつけぬけたあたりで、やはり広大な公園風施設を展開いたしておりました。
前回の第一次作戦時も、偵察にきましたが、「月曜日」ということで、閉館。
ならばと、今回はリベジンなんですが、もうひとつ、わしの出来がわるいため後を継ぐことありませんでしたが、なき親父は「鉄道」一筋の人生。
いまなら、ある程度の職階になれば、海外の鉄道施設視察も公務的に可能でしょうが、当時はなまじっかの役職ではムリのはず。
多分、その名前をしっていても「ほんじゃ、得意の国鉄職員パスをつかい今度の日曜日に子供をつれてインドの・・」
となれば、はたせぬ親父の夢を!!。これぞ供養!!
そういうわけで、わしはなにも自分かってに好きに歩き好きなところをみているわけえはなく、しいていえば、遅まきながらの親子孝行の旅路?
大義名文はあるんであります。
で、夕刻、ちかく、デリー駅の安宿に入る前に、駅舎2階の「外人用予約センター」により、「よし、パキスタン・ビザを手中にすれば、キタナッコイこのデリーを一刻もはやく脱出と、翌日22日PM3:50発チャンデガル行きエアコン指定席指定上等キップをゲット。
で、本日22日は、ホテルの温水シャワーでデリーの汚れをながし、アジャイ・ホテルにある日本人情報ノートから、行くことになるかもしれない、国境越えをふくめての「パキスタン参考事項」を大急ぎでさがし、大急ぎで転記し・・
移しきれぬとわかれば「コピーショップはどこきゃあ」と、大急ぎで聞き出し、
「ソレ行け!」。裏道駆けずり回り、なんとか探し、大急ぎでコピー。
12時のチエックアウトをすぎないうちにと、汗かきもどり、荷物を抱きかかえるようにしてホテルを飛び出し、日本食堂で50ルピー100円ほどの、ほんと口にあう「かきあげどんぶり」の昼食。
あっ。もうダメ。時間切れ。列車発車まで一時間をきれば、ただちの駅の方角に歩行開始の必要あり。
また、当分、「メールのない収容所生活」にはいりますので、当分ご無沙汰いたします。次は、パキスタン?・まさか。
じゃ、収容所のあるチアンデガル市に、出発しまーす。
慣れておるとはいえ、誰もお見送りなしはやっぱさびいしいわなも。
「身から出たサビ」!。そういうことだわなも。
デリーをたつ直前 駅前のネット屋にて 敬助