チャキの大盛り晴れ日記

クリスチャンゴスペルシンガーです。
小野路の礼拝堂で礼拝をささげている多摩ニュータウンバプテスト教会のメンバーです。

変えられていく心

2010-08-31 09:22:25 | 礼拝の恵み
今、小野路の礼拝は連続講解説教です。


聖書箇所は創世記1章から始りました。

8月は「ノア」の箱舟の箇所が続いています。

神さまに従う従順さと行動力の人「ノア」の姿が伝わってくる箇所です。

日常生活の中でどんなときにも養われた信仰の目をもって物事を捉えて行く。

神さまに捉えられている私たちであることを誇りとし平安をもって従う日々。


ノアは、すべて神が命じられた通りに果たした。創世記6:22

主はノアに言われた。創世記7:1

ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。創世記7:5

主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。創世記7:16

神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。創世記9:1


私たちは日々生かされ、その積み重ねられた年月は物事を捉える目を養ってくれます。

聖書を読み込むのではなく聖書の意味を読み取っていくことによって心の目が開かれていきます。

自分の好き勝手に判断して行動するのでなく神さまの愛の中に身を置いて行動する・・・一時的に不自由に思えても、実は確かな導きの中で前進できる道を備えてくださる神さま。

聖書をどのように読み取っていくか・・・この術は礼拝を捧げ続けることによって獲得できます。

礼拝を捧げ続け、祝福を受け続け、神さまの御心を伺う・・・私たちのすべてをご存じの神さまがとっておきの道を用意してくださいます。

29日(日)いつものようにツハ牧師さんが熱い思いを携えながらも、ゆっくり落ち着いた口調で御言葉からメッセージを取り次いでくださいました。


「主の山に備えあり」備えとは御声を聴く心の準備がなされてること。

世の中の雑多な情報からも程よい距離を保ちつつ、しかし、世の中の出来事を神さまによる洞察を与えられながら見つめ判断し行動する。

社会的な仕事の場面においても、家庭における場面においても、子育てにおいても同様に。

礼拝を捧げ続けるうちに恵まれていくプロセスは、確かなものとしてそこに集められた者を祝福の道へと導いてくれています。


ハレルヤ!

私は礼拝を受けるたび、少しずつ少しずつ変えられていく自分の心を知ることができ嬉しくなります。

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『主がお入り用なのです。』

2010-08-27 10:53:49 | 礼拝の恵み
今週、伊豆の天城山荘において全国礼拝音楽研修会に参加してきました。

私の通う教会「多摩ニュータウンバプテスト教会」は日本バプテスト連盟に属しています。

今回、初めて一人で天城山荘に向かいました。

教会音楽室長のE先生からお電話でお誘いを受け向かった研修会。

2泊3日のプログラムは、起床から就寝まですべて学びの時として計画が立ててありました。

167名の参加者に知り合いは一人もいない状況。

緊張感いっぱいでした。

でも!3日間、寝食共に過ごした結果、たくさんの祝福をいただいてきました。

今もなお、感動の余韻に浸っています。

川平朝清先生のもとコミュニケーション論、朗読方法を学べたことは大きな恵みでした。

バプテスト連盟における豊かな人と人の交わりに心養われました。

互いに属する教会の歩みを伝えあい共に感謝し祈りあいました。

初対面同士であっても、連盟に属することで、共通の教会形成の背景が想像できるので互いの距離が縮まりました。

全国各地に教会が建てられています。

私の通う教会も多摩市から車で5分ほどの場所の町田市小野路に教会の礼拝堂が建てられました。

建築作業は人の手によって行われましたが、このご計画は神さまです。

神さまによって建てられた教会の礼拝堂。

教会の歩みも神さまが導いてくださいます。

全国から集まり礼拝の内容、奉仕の在り方等それぞれ多面的に学ぶ機会が得られ、共に集められ礼拝を捧げました。

私は大きな喜びに満たされて、日々暮らす町に帰ってきました。

川平先生のアドバイスを受け聖書朗読への思いが深められました。

各自、先生から課題を出され分科会で朗読をしました。

私に与えられた聖書箇所    マタイによる福音書21:1~11

イエスさまのエルサレム入場の場面でした。

「もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」

子ろば・・・荷を負うための子ろば・・・

主がお入り用なのです・・・・


小野路の礼拝堂は小さな建物です。一段一段、石段を登りつつ向かう場所です。

神さまがそのように備え、建ててくださった礼拝の場所です。

スロープやエレベーターはありません。目に見える形のバリアフリ―においては改善が必要です。

「階段は確かに大変だけれど、その分みんなで助け合う力が与えられますね。神さまはそれを喜ばれます。」

私は80歳代に入りました・・と、教えてくださったS先生が優しくお話くださいました。階段があることは心のバリアフリーを取り去ってくれる働きがあることを、明るく優しく教えてくださいました。

「チャキさん。あなたは若い!私があなたの年齢の頃にこんなことを始めました。これからです!応援しています!祈っています!」

川平先生、S先生、豊かな信仰生活を培っていらっしゃるそのお姿に出会えた私の心は幸せな思いに溢れています。


「どうぞ、みなさん、教会に行ってみてください。

困った時、迷った時、感謝したい時、自分を輝かせたいと思う時・・・

頼りがいある神さまを礼拝できる場所があります。

安心して神さまに導いていただける場所があります。

私は自分で体験して自分で知りました。

まずは自分で探して・・・求めて・・・確かめてみる。出かけてみる。

想像していた場所とは違った嬉しい出来事が備えられていることを私は実際に体験しています。」

誰も知らない人ばかりの研修会、緊張感いっぱいで出かけました。

行ってみて知りました。出かけてみて安心しました。



「主がお入り用なのです」

神さまが建てられた各地の教会。

そこには日々、訓練されながら奉仕する教会の働き人と共に捧げる礼拝が用意されています。

与えらた出会いを感謝して賛美をお伝えしつつ・・今週、天城の山から下りてきた私は新たな気持で確信を持って再び言い表します。

「 礼拝 行こう!」


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『そうだ、京都  行こう 』・・・・『そうだ、礼拝  行こう』

2010-08-21 23:35:52 | 礼拝の恵み
「・・・広い道ばかり歩いていたら、きっと見つからなかったと思います。」

ナレータ―が語ります。

今月初め、久しぶりに訪れた京都では保津川下り、嵐山散策、竹林で森林浴を堪能してきました。

明日は小野路での礼拝。真夏の暑さを迎えて8月4回目の礼拝を受けます。

暑いけれど暑さを凌ぐように木漏れ日さす小道をくぐりぬけ辿り着く礼拝堂への道。

京都の寺院のように歴史の中で人の手によって守られてきた場所ではありませんが、小野路の礼拝堂は土の香りが強く漂う神さまの御手を感じる不思議な場所です。

天龍寺の竹林のように整備されているさまとはちょっと趣が違う存在感を表す小野路の竹。

1本1本、山の斜面を力強く支え守るために根を張ってズンと伸びています。

教会の礼拝。

集まり賛美し、御言葉によって導かれ養われ、心と考えが守られ、心配が安心に変えられ、感謝の思いが増え、痛みが癒され、希望が見出され、共に祈り捧げ、騒ぎ立つ思いが鎮められ、平安が新しい生命が与えられ、祝福注がれ、祝祷を受けることができる場所。


礼拝を繰り返し受けるうちに、自然な形でたくさんの恵みをいただけます。


明日の日曜日全国各地の教会で礼拝が捧げられます。




「そうだ、礼拝  行こう!」



私の通う多摩ニュータウンバプテスト教会は・・・

多摩センター駅から南へ向かって伸びる広い車道を3分ほど走った先。

そこに位置するバス停「浅間下」

バス停からの登り坂の先に木立に覆われ狭められた砂利道。

砂利道を抜け空を見上げると・・・竹林と雑木林。

・・・・そこに礼拝堂があります。

明日も午後2時半から礼拝堂に集まった方々と共に礼拝を捧げます。

土曜日の夜、明日受ける祝福が今から楽しみです。


みなさまにとって格別な日曜日となりますように。





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いつもより暑い夏です。

2010-08-19 12:46:44 | 憩いの家(小野路)のこと
                (Tさんから送っていただいたひまわり畑です。)


とにかく暑いです!


今週は礼拝もお祈り会も暑さと格闘しながら過ごしています。

小野路の礼拝堂で過ごすひととき、扇風機フル回転です。

テレビからは毎年この時期「熱闘甲子園」のようすが伝わってきます。

実際は暑いけれど瞬間暑さ忘れる・・そんな夢中になる感覚。

球児たちも応援の人たちも夢中になって健闘しています。

私はこの夏、この町に住む多くの方と「夢中になる感覚」共有しています。

例年8月の練習は休みにしているクワイア2つ、それぞれメンバーの希望により今年は練習することになりました。

昨日も練習がありましたが、暑さ真っ盛りのなか続々と練習に集まってくるメンバー。

賛美の歌声が熱く高く響きました。

思えば賛美、ゴスペルのメッセージを携えて出かけていかなければ与えられなかったこの出会い。

私は神さまがご用意してくださった、この働き場所を誇りに思います。

人生に与えられているすべての出来事、出会いがプロセス。

今年、甲子園で勝ち進んでいるN高校。

大学卒業したばかりの私が勤めていた学校の関係です。

勤めていた頃から掲げていた野球部の目標「甲子園出場」は今年かない1試合ごとに勝ち進

んでいます。

新卒で何もわからない私に諸先生方はじめ職員のみなさんに大変お世話になりました。

門前町にある学校だったのでいろいろ町の方にもお世話になりました。

甲子園の試合の中継では

「○十年ぶりの・・・」とアナウンサーがたびたび記録を伝えています。


昨日のお祈り会

御言葉の導きは箴言20:24から

「人の1歩1歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。」


自分の思い通りにならなかったことでも神さまの思い通りになっていると知っていること、これこそキリスト者の恵み。
神さまの御心通りになったことを感謝しましょう。


昨日もツハ牧師さんから希望と確信に満ち溢れるメッセージをいただき私たちは汗を拭き拭き賛美とお祈りを捧げ、さまざまな思いが感謝の思いへと変えられて帰ってきました。

礼拝もお祈り会もその時は暑くて暑くて大変・・・と思っていたのに・・・その後、冷房を効かせた場所に身をおいて導きを思い起こします。

暑さで大変だったことに勝る「メッセージを聞けてよかった~思いが変えられた~」との恵まれた思いが与えられています。


来週は天城山荘でバプテスト連盟の研修会に参加します。

世代を超えた集まりです。教会からは私一人の参加です。

知り合いもあまりいません。ちょっとドキドキです。

でも、「行ってよかった~」の思いが用意されていることを知っているから・・・神様に期待して備えます。

昨日のお祈り会でも祈っていただきました。

暑い今年の夏、もう少し続きます。

どうぞみなさまご自愛ください。

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チムグルサン・神さまの痛み

2010-08-15 19:51:59 | 礼拝の恵み
「この場所は、疲れた人が癒されるね。 特に大いに働いて傷ついた者が癒される場所にぴったりだな・・」

3年前、礼拝堂建築に携わったあるキリスト者の方が話されたひとことを思いだしました。

チムグルサン・・心を痛める・・・他人事として同情するのでなく、自分の内臓が痛むほどに辛く思うことを言い表す言葉だそうです。

沖縄出身のツハ牧師さんから伺う言葉の世界。

日本で生まれ育った私の思いを深い心の世界、霊の世界へと広げてくれます。

今日午後4時過ぎ、いつものように礼拝を受けた後、井戸水で淹れたハイビスカスティーでのどを潤し、しばらくゆっくりと語らいながら過ごしました。

「ジージー」とにぎやかに聞こえていた蝉の鳴き声。

いつの間にか「ツクツクホーシ・ツクツクホーシ」の鳴き声が加わっていました。

暑さはまだまだ弱まることなく、ここ小野路でも厳しいほどに感じます。

ニュータウンから続くコンクリートの道路。

照りかえしが強いその道路が土の道に変わった場所。

小野路の礼拝堂の入り口はそこにあります。

自然がそのまま何十年も残されている調整地域に囲まれて。

人間関係が希薄になっている現代は傷つくことが多い世の中です。

傷つくことを恐れずに自分のできる神さまのご用意された働きを神さまに導いてもらいながら担っていく。


「神さまに愛されて好意を持っていただいている自分であること」を毎週知ることは何て幸いでしょう。

チムグルサン・・・神さまが他人事でなく自分のこととして、一緒に心を痛めてくださるから、私たちは神さまと一緒に歩んでいけます。

世の中で傷ついても神さまが癒してくださる・・・チムグルサン

繰り返し癒されていくうちに神さまの存在がだんだん大きくなっていき私たちは自分の弱さを誇れるほどに強められていきます。


礼拝のメッセージの冒頭「人生はプロセスであって失敗はない。」

失敗と思える出来事も神さまからは経験のひとつとして与えてくださる私たちに必要な出来事。

経験が増えるたびに、その出来事にふさわしい心備えが与えられていく。

失敗を恐れずに、傷つくことを恐れずに働きに出ていく、神さまとともにでていく働き場所。

自分にも何かできるかも知れない・・・そんな思いをいだいた時。

チムグルサン・チムグルサン・・思い出してみてください。

自分以上に心痛めてくださる神さまの存在。

失敗しても躓いても倒れても、転んでも好意を持ち続けてくださる神さまがいるから大丈夫。

チムグルサン・・・行動する小さな勇気がわいてきます。



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「教えられやすい体質」になれる礼拝

2010-08-11 18:19:51 | 礼拝の恵み
真夏の暑さのなか午前中はTAMAハレの練習に燃え、午後はそのままお祈り会へと移動しました。

今日のお祈り会はワーシップジャパンの学長 ジョシュア佐佐木先生をお招きして学びの時がプログラムされていました。

ジョシュア先生のお話、扇風機をフル回転させ外気を取り込みながら自然の空気に包まれた小野路の礼拝堂の中で伺いました。

昨年、洗礼を受けたばかりの姉妹と神学校の図書館司書をなさっていらした姉妹とツハ牧師さんのもとジョシュア先生のお話に耳を傾けました。

レジュメにそって10項目の内容。

それぞれの立場で自分にとっての必要なメッセージとして伺い、1時間強の時間あっという間に過ぎました。

「教えられやすい体質」

この一言が強く残りました。

毎週の礼拝を受ける恵みは「教えられやすい体質」に変えられていく事なのだと気づきました。

礼拝を受けるごとに私は心がかえられていきます。

人は生まれて、育って、老いて、・・・やがて召されます。

今週のツハ牧師さんの礼拝メッセージ、冒頭の言葉は「人生に対する基本的な態度」
から始まりました。

「教えられやすい体質」に変えられること。

そしてその「教え」は確かなものとして何千年も読み継がれている聖書の世界からのものであること。

さらにその「教え」を受けたものが実際に変えられて輝いて生きていったという先人たちの存在。

「人はなぜ礼拝を受けるのか」

ジョシュア先生の礼拝に対する姿勢を伺いつつ、今週の日曜日に受けた礼拝のメッセージを思いめぐらしました。


礼拝を受けるごとに確かなビジョンを与えられ、それぞれ自分にしかできない働きを教えられ、働きが担いやすいように変えられていく。

神さまに愛されている自分に誇りを持って。身も心も楽になって。

どんな過去も生い立ちも「そして神に至る」の御言葉に示されている通り人の源はすべて同じ。

今日からの自分が神さまに生かされていくのですから、すべては恵みに変えられます。

人は良いことも悪いことも考え行動する弱い存在です。

そしていずれ、一人となって神さまのもとに召されます。

良い考え良いことを求め、悩み苦しみから解放され、楽になって行動できるように自分を育ててくださる方を見つけられた私にとって毎週の礼拝はとっておきの時間です。

ジョシュア先生とツハ牧師さん。

先生方のメッセージがお祈り会の学びと礼拝を通して、私の頭の中で共に織りなし、くっきりとその恵みが表されました。


なぜ私は毎週、礼拝を受けるのか・・・

御言葉に導かれ物事の捉え方を吟味して、「教えられやすい体質」に変えられ、さらに「主に用いられやすい器」になれますように。

祈りつつ帰宅しました。

一緒に暮らす家族始め、与えれている出会いの中にこの恵みが広がっていくことを主に大いに期待しています!


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麗しい年月・不思議な導き・日本クリスチャンペンクラブ

2010-08-10 10:27:14 | チャキの憩いタイム
先週、京都にいました。

日本クリスチャンペンクラブ夏期学校に参加していました。
(夏期学校の学びの内容については土筆文香さんのブログ「生かされて」をご覧ください。)

関西ブロック・中部ブロック・関東ブロック総勢30名のみなさまが京都修学院そばの関西クリスチャンアカデミーにおいて宿泊を共にし学びの時を持ちました。

新人の私には初めてのことばかり。



帰宅した今、心に思うこと。

信じることを続けている方々の恵みに満ちた姿を目の当たりにご一緒できたことの喜び。

証しし続ける人の姿がよりはっきりと記憶に刻まれました。

その年月にさまざまな出来事が起こされている事実。

その出来事をどう受け止めるかによって人の心と考えが神さまによって導かれていきます。

教会に繋がるキリスト者の諸先輩方に共通のその姿。

ユーモアに満ちた語らいの中にもしっかりと受けとめ、受け入れているご自身の人生の日々があります。

それぞれの生い立ちが与えられるように、他者との違いを認め、愛のまなざしでお互い敬いあう。

年月を重ねることによって養われ深められ高められる心と魂。

キリストによって変えられる・・・変えられ続ける・・日々、証しをしながら・・・

年月を重ねながら男性、女性の性の違いを輝かし神さまに愛され、神さまを愛していく存在を表す。

メンバーのみなさまの印象が夏期学校に参加してよりしっかりと強められました。



2年前の2008年9月、私自身、不思議な導きでJCPのメンバーになりました。

その年の夏、ちょうど今頃8月半ば、わたしは立ち寄った書店で「赤毛のアン」を見つけました。子供のころからのお気に入りの1冊。

2008年は「赤毛のアン」が刊行されて100年目。

記念して新潮文庫が「赤毛のアン誕生感想文コンテスト」募集との広告。

応募締め切り8月31日。

その日から再度、読み進み一気に感想文を書いていた私です。

31日の夜、締め切りぎりぎりの時間にメールで文章を送信しました。

どうして書こうと思ったのか・・不思議な気持でした。目に見えない力に強く促されているようでした。

何十年ぶりに文章を書くことに取り組んでいた私でした。



それから間もなく、当時通っていたワーシップジャパンの友人からNCPの秋の研修会のお誘いを受けました。

誘われるままに参加した9月8日の研修会、理事のMさんが微笑みながらそっと教えてくださいました。

「『赤毛のアン』の翻訳者 村岡花子さんは日本クリスチャンペンクラブの初代会長です。」

音楽を学び「主を賛美する者」として教会に仕え、教会から遣わされている私ですがここに文章で「主を賛美する者」の仲間入りできた不思議な導きにあらためて感謝の思いが深まってきます。

2年前に与えられた出会いからの年月。麗しい年月としてこれからも重ねていけますように。

与えられた出会いが神さまによって良きものへと導かれることが多くの人に広がりますように・・・


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人を分け隔てしない牧師さん「ツハ牧師さん」

2010-08-01 23:15:31 | 礼拝の恵み
「人間の本当のぜいたくなこと」は「人間関係に恵まれること」サン・テクジュペリ

今日の礼拝のメッセージをいつものように受けながら私は幸せな気持ちに満たされました。

この町に建てられた多摩ニュータウンバプテスト教会に仕えるツハ牧師さんのお人柄、一言で言うならば「人を分け隔てしない方」

そして「世の中を広い心で見ながら神さまの御心に忠実に従われる方」

今まで10年間、教会に通う私は牧師さんとの会話で多くのことを学びました。

広い心になれる、優しい心になるための心備え、自分の生い立ちを受け入れる、自分の弱さを受け入れる、目先の物事にとらわれない自由な心、自分に与えられた神さまからの賜物を知る、心配を安心へと導く手立て、心に思うことの身体への影響、客観的に自分を見つめること等々・・・このすべてが恵みであると知る事の喜び・・・今もなお、たくさんのことを教えていただいています。

そして、ご一緒に礼拝を受ける方々、ツハ牧師さんを慕う方々を拝見していて思うこと。

どなたも生き生きと変えられ、輝きが増し加えられていきます。

ツハ牧師さんとの出会いによって練達されながら、御言葉に養われながら人間的な深みを増していかれるお一人おひとり。
これからの日々も、この素晴らしい出会いがもっともっと多くの方に広がりますように。

私も教会に繋がる者の一人として夢を持って、出会いの広がりを待ち望みます。


年月を重ねる女性の姿として憧れる御言葉を記します。

「力と気品をまとい、未来にほほえみかける。口を開いて知恵の言葉を語り 慈しみの教えをその舌にのせる。」        
                                                                         箴言31:25・26


「どんな時にも神さまの愛を信じて疑わない。」といつも話され実際に行動されながら力強く歩まれるツハ牧師さん。

『Blessed Assurance』そんなツハ牧師さんの生き方からイメージされる賛美です。



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