☆医療ソーシャルワーカーへの道
車の運転を覚えるために、昼休みに上司の車を借りて部屋探しにいきかせてもらいました。
3~4日で決めました。一人暮らしをし始めて以来、4件目の部屋となります。
この部屋を借りた当時、住むことになった町内で大事件が起こりました。
いまだに裁判が継続されている、連続幼児殺人事件です。
連日、新聞社の黒塗りの車が何台も行き来していました。ヘリコプターもバタバタと音を立てて、飛んでいました。
ある日、母親から電話がかかってきました。
「あんたの住んでるとこの様子は、おかげさんでテレビでよう見せてもろた。そやけど、なんでそんなややこしいとこに住むことにしたん?」
「しゃーないやん」、そう思いました。
仕事では、電話相談の受付けをやったり、上司がしている入院相談の面談に同席させてもらいはじめました。
くわえて、交通事故で入院していらっしゃる方の、民間保険への費用請求の明細書づくりをすることになりました。
まだ、保険の割合など確定していない段階でしたので、ひとまず保険会社が負担するのですが、毎月発生する入院費の明細を手書きで作成したのです。
いまなら、おそらくもっと省略化された形式も考えられますが、コンピュータが普及していないころでしたので、ずいぶんと手間をとられてしまいました。
その内容には、診療報酬明細書という各個人別の各健康保険組合への請求状況も書き込まなければならなかったので、その書面を見慣れていない上に内容もよくわからないわたしにとっては大変な作業でした。
でも、医療ソーシャルワーカーだから診療報酬のことはわからない、看護師だから診療報酬のことはわからないなんてことは、給料をもらって働いている以上言ってはいけないなと、このとき思いました。
お金は、湯水のように湧いてくるものではないのです。
病院も保険組合や、各利用者からの収入によって成り立っているのですから、当たり前といったら当たり前ですが、平成8年当時でさえ、「看護師は売り手市場。職場が気に食わないと思ったらすぐ辞める」ということがまかり通っていました。
このような環境では、常識的に社会人らしくない人、プロとしての技能を十分持ち合わせていない人も多く作り出す温床であるとしばらく経ってからわかりました。