良い子の歴史博物館

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朴正熙(パク・チョンヒ ぼく・せいき)韓国大統領

2004年12月21日 | 人物
北朝鮮問題が世間を騒がしています。史上最悪の部類に属する圧制のもと、
北朝鮮はどうなっていくのでしょう?
ところで、私(40代)が小学生の頃に聞かされた話では、
「北朝鮮は工業が発達しているが、南の韓国は経済が遅れた農業国」だというものでした。
これは日本統治時代に朝鮮半島の鉱工業の設備投資が北側に集まっていたからなのだろうと
想像します。
北朝鮮の方が経済的に発展し、韓国は貧乏であるという話だったと記憶しています。
それが今では韓国の発展は目を見張るものがあります。
経済危機を経験したとはいえ、大きく北側を圧倒しています。
韓国を貧乏国から先進国へと一躍発展させた中心人物、それが朴正熙大統領でしょう。

数年前の韓国内での世論調査で、韓国歴代大統領の中で一番人気があったのはこの朴正熙でした。
一方、私が小学生の頃に見聞きした新聞TV等では
朴正熙を非道な独裁者としての批判ばかりでした。
多大の功績と深い闇の両方を持つ複雑な朴正熙について語りましょう。

※【ご注意】記憶だけに頼って書き込みますので、
正確なことはきちんとした真面目な資料をご自分で探して、お調べください。

朴正熙はとてもとても貧しい農家に生まれました。
でも頭が良かったので師範学校に入ることができました。
日本統治時代だったので、師範学校も日本式です。
日本軍人による軍事教練もありました。
日本人教官は既に朴正熙の軍事的才能に注目しています。
師範学校卒業後、朴正熙は学校の教師になりますが、まもなく退職します。

学校退職理由として伝説となっている話があります。
学校長は日本人で、教師たちに日本式に髪型を短髪にせよと命じました。
でも朴正熙は朝鮮式に長髪のままにしていました。
それがもとで日本人校長とトラブルになり、校長を殴って退職したという話です。
もっともそんなことはなかったという話も聞きます。本当のことは私は知りません。

朴正熙が無職になった話は、まもなく日本軍人教官だった人物に伝わります。
するとこの日本軍将校は朴正熙を呼び出し、彼を日本軍の士官学校に入学させました。
士官学校でも成績優秀で、日本に留学。
朴正熙は今の日本人以上に日本人的な精神を培っていったのです。

士官学校卒業後、「高木正雄」の名前で満州国軍中尉までになりました。
抗日ゲリラをとことんやっつけていたようです。

日本敗戦後、やがて大韓民国が成立します。
朴正熙は韓国軍に入り、才能を発揮していきました。

当時の韓国では思想の自由の元、共産主義政党も活動していました。
軍士官の中にも労働党(南労党)の活動を行うものもいました。
そして朴正熙も南労党に入党したのです。
ジャーナリストになっていた朴正熙の兄が農村での争議に巻き込まれて警官隊に殺されてしまい、
困窮した兄の家族が南労党幹部の世話になったので、
恩義を感じていたからだという話もあります。
貧しい農民出身だったので本人も思想的に共感するところがあったのでしょう。

しかし、世界が冷戦激化する中で、韓国の政治は厳しい反共政策に移っていきます。
軍内部の思想チェックが始まり、朴正熙は逮捕されてしまいます。
恐ろしい拷問が加えられた上、軍法会議の判決は死刑でした。
既に多数が死刑執行済みで、朴正熙も絶体絶命となりました。
しかし朴正熙の才能を惜しんだ軍上層部が減刑を働きかけ、死刑執行寸前で救われます。

ちなみに左翼系HPと思われる中に、朴正熙が党の同志を密告していたために、
死刑を免れたのだという非難がありました。
左翼にとっては、朴正熙は不倶戴天の敵ですので、
単に根拠無き非難の種を見つけたものなのか、
それとも事実なのか、私にはわかりません。

「左」からは裏切り者のレッテルを貼られ、
「右」からは危険思想の前歴を問題にされる状態といえます。
この事件は朴正熙にとって、長い間にわたって蒸し返される、
深い傷、また、「闇」の一部となります。

その後、しばらくは朴正熙は閑職に左遷されたままになりました。
変化が生じたのは朝鮮戦争勃発でした。
いざ戦争となると、朴正熙の軍事的能力を眠らせるわけにいきません。
朴正熙はしだいに頭角を現し、昇進していきます。

その後の韓国の政治は混乱していました。
そんな中、軍の若手将校たちを中心とした改革派が朴正熙を
リーダーとして担ぐようになったのです。

1961年、軍改革派によるクーデターで朴正熙は実権を握ります。
米国はクーデターを快く思いませんでしたが、やむを得ず追認します。
朴政権の政治の特色は一切の世論を無視して強権的に改革政治にまい進するというものです。

それが特に対日外交で効力を発揮しました。
韓国の反日感情は問答無用のものすごいもので、
日本と国交を結び条約を締結するなんて、とんでもないことでした。
しかし朴正熙は韓国の経済発展のためには日本と手を結ぶ以外に道はないと確信していました。
反日デモが荒れ狂う中、反日活動を弾圧します。
そして日本と国交樹立、条約締結へと突き進みました。

これは大成功で、韓国の経済発展の基盤となっていきます。
その後も工業化や農村部でのセマウル運動など次々と強権で政治を推進していきます。
「維新」体制というスローガンは、日本の明治維新や満州国の体制に倣ったものだったのでしょう。

北朝鮮とは厳しい対立が続いていました。
北朝鮮の特殊部隊が朴大統領の官邸近くまで
侵入して朴正熙暗殺を試みたことがあります(青瓦台襲撃未遂事件)。
これに対する報復のため韓国軍も北朝鮮主席暗殺のための部隊を結成し、
秘密訓練を行いました。
それが1970年頃から、朴政権は北朝鮮との平和共存を求める姿勢に転換します。
宙に浮いた秘密部隊が反乱を起こした事件(シルミド事件)なんかもありました。

一方で、朴政権の腐敗が進んでいきました。
朴正熙自身は清廉潔白だったと思われます。
しかし側近たちはそうではありませんでした。
政権内部に利権をめぐってのドロドロとした腐臭が蔓延するようになります。
日本の財界とのリベート癒着が問題になっていきます。

特に大統領警護室長に絶大な権力が集まり、
警護室長が朴正熙を操っていた可能性を指摘する文章を読んだことがあります。
警護室長が「影の大統領」だったのかもしれません。

また民主化運動に対して、これを弾圧する傾向がありました。
KCIAという特務機関を通じて、朴政権は非合法活動に手を付けるようになります。
選挙の不正にも手を染めてしまいます。
金大中(後の韓国大統領)を東京から拉致した事件(金大中事件)は
政権の末期症状と言わざるを得ません。

かつての軍改革派のクーデター仲間の人々も、朴正熙が変わってしまったと嘆きました。

1974年に在日韓国人 文世光が朴大統領暗殺未遂を起こし、
流れ弾に夫人が当たり、朴正熙は夫人を失います。

1979年 釜山で民主化を求める暴動が発生し、朴政権の危機が迫ります。
政権の終幕は突然でした。
こともあろうにKCIA部長 金載圭によって、朴正熙自身が暗殺されてしまいました。
警護室長も殺されました。
暗殺事件当時、朴正熙は側近らと食事中でした。
宴席には女性歌手も招かれていました。朴正熙は歌が好きだったようです。

無口で寡黙で、あるときは日本軍将校、あるときは共産主義政党活動家、
死刑囚、あるときは軍事政権リーダー、そして独裁者・・・。
なかなか、どうしてどうして、素敵な人物ではありませんか?

13 コメント

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TBありがとうございました (アスワド)
2005-03-04 02:24:57
「大統領の理髪師」についての記事へのトラックバック、ありがとうございました。



朴大統領は、プラスの面でもマイナスの面でも、戦後韓国史を象徴する大人物であったと思います。

田中角栄とは何だったのか?を問う以上に、難しく、そして人間のなんたるかがでてくる、そういう問題なんだろうな、と、考えてしまいます。



朴大統領を論じた記事が手元のブログにないので、トラックバックは遠慮させていただきますが、これからもときどき、のぞかせてください。





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TBありがとうございました (ちょし)
2005-03-05 16:35:12
大変参考になる記事のトラックバック、ありがとうございました。

私も同年代なので、小さい頃の韓国と朴大統領に対する印象は同じような感じです。

今回『大統領の理髪師』で朴大統領がとても魅力的な人物に描かれているのを観て、ちょっと考えが変わりました。

一般市民にもいまだに人気があるとは知りませんでした。

最近では韓国で大統領暗殺をテーマにした映画が上映されたり、あの時代を反芻することが多いようですね。

また拝見させていただきます。
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TBありがとうございます。 (lignponto)
2005-03-15 21:16:29
私は、一昨日「大統領の理髪師」をみてきました。私は、40歳になったばっかですが、高校生くらいまでは、韓国は、怖いというイメージがありました。今は、そうでもないですが。また遊びにきます。
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感想 (Jin Yahata)
2005-03-17 10:58:05
とても興味深く拝見いたしました。朴元大統領について率直に、全くの中立的な目で淡々と描いています。何故日本のマスコミはこのような視点で彼を見なかったのか。北の独裁者、金主席については礼賛するような馬鹿げた報道をしておいて。岩波文化人は今でも北に対してかばう姿勢を崩していません。彼らは北から金銭的な何かをもらっているのでしょうか。そうとも考えなければあのきちがいじみた国を支持など出来るわけがないですから。わたしが韓国人であるなら、「一番立派な大統領は誰か」と聞かれて間違いなく「朴大統領」と答えるでしょう。
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若干、追加修正しました (ノルト@管理人)
2005-03-18 08:44:13
少し、記事の本文を追加修正しました。



>アスワド様

いらっしゃいませ。

田中角栄も大人物ですね。



>ちょし様

いらっしゃいませ。

韓国の面白いところは、大統領経験者の多くが死刑判決を受けたことがあることです。

朴大統領の場合は、大統領になる以前ですが、

他は後で、評価ががた落ちだったりします。



>lignponto様

コメントありがとうございます。

かつての韓国には怖い面が確かにありましたね。



>Jin Yahata様

意味深いコメントありがとうございます。

日本のマスコミも朴大統領の再評価をして欲しいですよね。

私は朴大統領の良い面と悪い面の双方に興味があります。

どちらにせよ、大河ドラマになりそうな、壮大な歴史劇に思われるからです。

ノルトは独裁者好きだ、との周囲の声があったりしますが・・。

(あえて否定はしない・・)
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TBありがとうございました。 (投錨)
2005-04-22 20:52:19
模型のタミヤも朴大統領とは関係あるらしいですよ。今度、それについての本を紹介しますので、また私のブログにお越しください。
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トラックバックありがとうございます (朱雀門)
2005-04-22 21:14:36
釈迦に説法かもしれませんが、一冊の本を紹介します。



「韓国大統領列伝」(池東旭著:中公新書)



大戦後から20世紀末までの韓国政治史がわかりやすく書いてあります。私のブログでも田中角栄の名前を出しましたが、朴正熙と比較すべき政治家は織田信長かもしれない。いや、ユリウス・カエサルかも知れない。



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歴史は深いですね (楽貧まこ)
2005-04-22 23:35:53
トラックバックいただきありがとうございました。

興味深く読ませていただきました。



歴史を学び始めると、その深さに驚きます。立場によって思想によって、事実を判断する目が変わってきます。自分の子どもたちのために、なるべく中立的、公平な目を持ちたいと思っていますが、学べば学ぶほど、どこかで自国を正当化している自分に気がつきます。愛国心と呼べるほど、日本に対する思いいれを意識したことはありませんでしたのに。
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トラックバックありがとうございます (kd999)
2005-04-25 21:18:15
初めてのトラックバックでしたw



昔は韓国のことよく知らなかったのですが

日韓ワールドカップ以降興味が沸きました。(違った意味でw)



不勉強ながら朴大統領が、どのような人物か

よく知らなかったので勉強になります。

ありがとうございました。
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朴大統領 (soramove)
2005-05-22 10:36:42
TBさせてください。

映画の中だけの大統領しか知りませんでしたが

この記事を読んで少し理解が深まりました。



最近は映画を見ながらも、日本と韓国について

もう少し知りたいし、知るべきと考えています。



また、来ます!

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