【ビジョン&使命・天職】に導く 【神の愛=主イエス】!

■【神愛福音道:聖書価値観】■【神助道:<神愛神助:祝福・恩恵>本位】■【御国創世道:神愛王国再創世】

天罰・幸運を<神助>に導く【神の愛=主イエス】!

2014-11-28 23:10:58 | スピリチュアル

【2014年11月28日に作成した<第640回>に加筆】
◇◇天罰・幸運を<神助>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇

★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
http://www.youtube.com/watch?v=lKdFip1MhO0&feature=share&list=PLGAtWMx6RQJ7WZ4p9LDUBhTC5kbNqx3RM

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

私自身の心にも刻まれているのは悪い事があると「(天)罰が当たった」と思い、
思いもかけない偶然の幸運に出遭うと「運がよかった」と自然に思うことです。
日本の代表的真理観だと思います。

戒律遵守で掟破りは天罰で裁き導く「荒ぶる神・怒りの神」はユダヤ旧約時代の
厳父的義の神と共通します。戒律や道徳・倫理観は遵守できる義者善人のもので
私のような<不義・不正・不実>不純・不潔の破戒者には冷たく無力な存在です。
自業自得で負債だらけの私の人生では、毎日が天罰だらけになってしまいます。

強くて正義で裁く厳格な<義の神>を崇め求める神観・信仰者が多数派ならば、
<天罰>は天父に立帰るのに有効ですが、現代のように進化論や科学技術信仰が
多数派の現代は、「天罰」は家庭内DV・パワハラのようで虐待・暴君的神として
恐れられ敬遠されて私にとっては身近な存在ではなくなる危険性があります。

天罰観は<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>が【神の愛=主イエス】から
私のような<不義・不正・不実>不純・不潔の極悪人・罪人を遠ざけようとする
謀略工作であり<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>です!

●主は聖所にとっては、つまずきの石、イスラエルの両王国にとっては、
 妨げの岩、エルサレムの住民にとっては仕掛け網となり、罠となられる。
 多くの者がこれに妨げられ、倒れて打ち砕かれ、罠にかかって捕らえられる。
(イザヤ書8-14~16)

思いがけない幸運を「運が良い」と思うのは、背後に【神の愛=主イエス】を
認めず、天来ではなく確率的偶然の産物とみなしたり、自分の運勢や占いなど
人智の解釈に誘導する事で<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>が大喜びする
<忘恩・背信>に導く<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>です!

英語「GOOD-BYE」を「God be with you」を語源とする考えが
私は大好きです。「神のご加護<神助>と共にある」ことこそ「GOOD」であり、
【神の愛=主イエス】は<善>そのものです!

●善は神なり(マタイ伝19-17)
●You are good and do good!
 あなたは善なる方、いつくしみ深くあられ、すべてを善とする方で
 慈しみを施されます(詩篇119-68)
●神は善なり(マタイ伝19-16)⇔神を知るは善人なり(内村鑑三)
●イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、私に尋ねるのか。
 善い方はお一人である。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
 (マタイ伝19-17)

荒ぶる怒りの義の神が天罰で統治する「旧約の時代」が終わり、<御子>である
【神の愛=主イエス】が此の世の万事万物の【賜物・無償ギフト・神恵】として
統治される「新約の時代」に活かされている私たちは、<万事・万物>の背後に
【神の愛=主イエス&聖霊】の【御心:聖意・聖旨】と【神愛方程式=摂理】を
体感させ【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】を具現化する<神助:祝福・恩恵>に
満ちあふれています!

●御自身の御子をさえ惜しまず、私たち全てのために、
 死に引き渡してくださったその方が、どうしてその御親切によって、
 御子と共に万物を恵み与えてくださらないことがあろうか(ロマ書8-32)
●万物は、天あるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、
 位(王座)も、主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。
 これら一切のものは御子によって造られ、御子のために造られたのである
 (コロサイ書1-16)
● 万物は、神より出で、神によって成り、神に帰する
 <別訳>すべては、神から、神によって、神のために存在する
 <別訳>すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
 栄光がとこしえに神にあるように。アーメン(ロマ書11-36)
●人間はすべて唯一神全知全能なる創造主の作品であり、
 彼の所有物であって他の誰のためでもなく、
 彼が喜ぶかぎりおいて生存するように作られている(ジョン・ロック)
●万物の父なる神は一つなり。神は万物の上に在し、万物を貫き、
 万物の内に在したまふ。
 我等はキリストの賜物の量に従ひて、おのおの恩恵を賜はりたり
 (エペソ書4ー6~7)
●愛は神の霊としてこの世に満ち満ちている(ヒルティ)

<義の神>が命じる戒律・道徳・倫理観などを遵守できない落ちこぼれの私でも、
<愛の神>【神の愛=主イエス】の<掟>ならば喜んで挑戦し続けられます!

●私は新しい戒めをあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。
 私があなた方を愛したようにあなた方もお互いに愛し合いなさい
 (ヨハネ伝13‐34)
●イエスは言われた、
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ』
 これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』これらの二つの戒めに、
 律法全体と預言者とが、かかっているこの二つの戒めに優る掟はない
 (マタイ伝22‐37~40、マルコ伝29‐31、ルカ伝26~28)
●正義の温暖なるもの、これを愛という(内村鑑三)
●愛は隣人を害する事はない。愛は律法を全(マットウ)する(ロマ書13‐10)
●愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする(ヒルティ)

以前の私は見えなくて恐れ多い【神の愛=主イエス】を<全生・全身・全霊>で
愛することなど到底不可能だと思いましたが、【聖書・真理の御言葉】によって
私でも<全生・全身・全霊>で信じ望み愛せる<人格的対象>を発見出来ました!
私の心に刻まれた<神のラブレター>なる【ビジョン:理想・夢念・大志】です!

●<キリストの手紙>(コリント後書3-3)
 あなた方は自分自身が私たちから送られたキリストの手紙であって、
 墨によらず生ける神の霊によって書かれ、
 石の板にではなく人の心の板に書かれたものである事をはっきり現している。
●私の律法を彼等の心に与え、彼等の思いの内に書きつけよう(ヘブル書10‐16)
●私は彼らに一つの心を与える。
 すなわち、私はあなた方のうちに新しい霊を与える。
 私は彼らの身体から石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える
 (エゼキエル書11‐19)

<最愛の我が子・我が分身>の<願望>【ビジョン:理想・夢念・大志】ならば、
戒律遵守の強制的義務感でなくて、自発的に喜んで信じ望み愛して実践できます!

●主によりて歓喜をなせ、主は汝の心の願いを汝に与え給わん(詩篇37-4)
●あなた方の内に働きかけて、御心のままに志望(願い)を起こさせ、
 かつ実現に至らせるのは神であって、
 それは神が善しとされるところだからである。
 何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい
(ピリピ書2-13~14)
●強いられてするのでなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき
 利得のためでなく、本心からそれをしなさい(ペテロ前書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で
 決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛してくださる
 のである(コリント後書9-7)
●人間のうちに善をのばしてやり、彼らの心に善に対する愛好心を
 注ぎ込むことが必要である(ヒルティ)
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として
 用いず神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ第1書2‐16)

牧師や神父や教会信者から敬遠されてきた私でも、【神の愛=主イエス】だけは
<人生の旗印>【ビジョン:理想・夢念・大志】を求める者、
<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を捜す者、
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
【ビジョン:理想・夢念・大志】具現化の登竜門を叩き続ける者には
世間的に連戦連敗で挫折し裏切りの掟破りで、踏みつけられ倒されようとも、
再起再挑戦のために何度でも<【神の愛】の御手:導き手・助け手・癒し手> を
差し伸べて<神助:祝福・恩恵>に導いてくれます!

●求めよ、さらば与えられん。
 捜せよ、さらば見出さん、
 門を叩け、さらば開かれん(マタイ伝7‐7、ルカ伝11‐9)
●あなた方が私につながっており、私の言葉があなた方に留まっているならば、
 何でも望むものを求めるがよい。そうすれば与えられるであろう
 (ヨハネ伝15‐6)
●人に捨てらるるは神に拾わるるなりき、
 人に憎まるるは神に愛せらるるなりき、
人に絶たるるは神に結ばるるなりき (内村鑑三)
●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
 人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
 人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
 人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
 神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのが
 キリスト信者の生涯である(内村鑑三)
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)

そうです!先ずは【ビジョン:理想・夢念・大志】を信じ望み愛し続けるならば、
世間的には運悪く、自業自得の呪われ者で、天罰続きの失敗挫折の連戦連敗でも
無一物落ちこぼれ人生を【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】で悲観せず、
【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】で求め!捜し!叩き続ける!人生に導く
<神助:祝福・恩恵>が「思いがけない幸運(セレンディピティ)」のカタチとなって
時にかなって美しい【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】が実現されます!

●失敗は方針を転ぜよとの神の命令である。
 我等は失敗を重ねて神の定め給いにし天職につくのである(内村鑑三)
●<神助>(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん。
 ⇔ ★天来の思想
   ★外来の友人
   ★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の事業を助けん。
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすを得べし。
◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
 汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
●神は神の聖霊を役立てたいと思う人々にだけ、それを授け給うのであって、
 ただそれを所有して楽しむためには与えられない(ヒルティ)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)

<万事・万物>を「天罰・悪運」と「偶然の幸運」で片付けることに決別して
個人的でも民族的でも世界的でも日々直面する大小様々な<患難辛苦>にも、
「天罰」というより、<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の誘惑であり、
<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>の謀略工作とみなすことで
【神の愛=主イエス&聖霊】の【御心:聖意・聖旨】【神愛方程式=摂理】なる
<試練・試探>【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】だと受け止めて
どん底でも【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】の<主の祈り>を熱唱しながら
<不屈の楽天楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】で
どんな天罰・悪運に思える<闇・最悪・マイナス>でも<光・最善・プラス>に
大転換できるように<忍耐・辛抱・我慢>ではなくて、<優耐・望耐・歓耐>で
【神愛の事業=隣人愛&奇蹟】である<神助:祝福・恩恵>を勝ち取りましょう!

●The Best is yet to come!
 <最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
●<最善の最後>(内村鑑三)
 信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
 終わりに近づくほど、ますます善くある。
 最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
●<希望と前進>(内村鑑三)
 人は希望的動物なり。
 彼にありては前を望むは自然にして、後を顧るは不自然なり。
 希望は健全にして、回顧は不健全なり。
 「●後にあるものを忘れ、前にあるものを望み(ピリピ書3-13)」と
 罪を忘れ、病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、
 神と、生命と、成功と、愛とに向かって進まんのみ。
●いたずらにあなたを苦しめるために苦難が与えられるのではない。
 信じなさい。まことの生命は悲しみの日に植えられている事を(ヒルティ)
●あなた方が、いろいろな試練にあった時は、
 それをむしろ喜ばしいことに思いなさい(ヤコブ書1‐2)
●彼らは涙の谷を過ぐれども、そこを多くの泉あるところとなす。
 初めの雨は多くの祝福にておおわれる(詩篇84‐6)
●あなた方はキリストのためにただ彼を信じることだけでなく、
 彼のために苦しむことも賜っている(ピリピ書1‐29)
●我々が神の国に入ってゆくには多くの苦難を経なければならない
 (使徒行伝14‐22)
●患難は恩恵と離れて考えるべきでない。
 それは患難は恩恵の一部なればなり。
 塩味を和せずして甘味は甘味ならず、
 患難なくして恩恵は恩恵ならず、
 食に薬味の必要なるがごとくに人生に患難は必要なり。
 患難ありて始めて人生に香味は生ずるなり(内村鑑三)
●<手段と目的>(内村鑑三)
 患難のための恩恵にあらず、恩恵のための患難なり。
 患難は手段にして恩恵は目的なり。
 患難をもって始まり恩恵をもって終わるなり。
 一の患難は百の恩恵を招き、短きこの患難の世は
 永遠無窮の恩恵の世に終わる。ゆえにわれらは恩恵について
 思うこと常にして患難について考うること稀ならざるべからず、
 そは神の造化においては患難はその最小部分にすぎざればなり(内村鑑三)
●命は恩寵のうちにある、夕暮れに涙が宿っても、
 朝明けには喜びの叫びがある(詩篇30‐5)
●あなた方に会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。
 あなた方を耐えられないような試練に会わせることはないばかりか
 試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さる
 (コリント前書10‐13)
●試練と祝福は密接に関連している(ヒルティ) 
●<患難の解釈>(内村鑑三)
 患難はこれを消極的に解すべからず、積極的に解すべし。
 これを神の刑罰として解すべからず、神の恩恵として解すべし。
 神の憤怒の表彰として解すべからず、その自愛の示顕として解すべし。
 恩恵はすべて身の患難にして、麗の幸福なり。
 麗の幸福と解してすべての患難は患難たらざるにいたる。
●<恩恵としての患難>(内村鑑三)
 神は無益に患難を下し給わず、
 これを自己かまたは他人を救うために下し給う。
 患難はたしかに神の恩恵なり、
 これなくしてわれも人も罪悪を去りて正義の神に帰るあたわず。

運が善い幸運な時は自分の運勢や【この世の勢力:富・権威・名声】の手柄より
【神の愛=主イエス&聖霊】の【御心:聖意・聖旨】【神愛方程式=摂理】だと
<歓喜!感動!感謝!>に導くのも内なる【ビジョン:理想・夢念・大志】です!
【ビジョン:理想・夢念・大志】を【同労者・同志】<人生最善の伴侶>であり、
【賜物・無償ギフト・神恵】と感謝できるほど、さらに<神助:祝福・恩恵>は
増し加えられ<パワー・アップ&アップ・グレード>されます!

●それを持てる者は与えられて、なお余りあり。
 持たぬ者はその持てる物をも奪わるるなり(マタイ伝13-12)
 感謝は「持てる」を証明す(内村鑑三)
●神が喜ばれるのは、おそらく神へのひたむきな憧れと、
 神に向かって手をさしのべることだけであろう(ヒルティ)
●善を信じなければならない。善なるものがこの世には存在すること、
 そして、それは悪に対して勝利をおさめる力をもつことを
 信じなければならない(ヒルティ)
●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ、
 永遠にわたって神をよろこぶことである(クロムウエル時代の簡略教理問答書)

皆さんが運悪く天罰に思える「どん底状態」でも、幸運続きの「絶好調」でも
此の世の<万事・万物>の背後には偶然ではない人智の解釈では計り知れない
【神の愛=主イエス&聖霊】【御心:聖意・聖旨】【神の愛の方程式=摂理】が
存在する事を体感して<万事・万物>を<最高!最善!最美!>に導いてくれる
<神助:祝福・恩恵>に対して<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>の心意気で
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生旗印>に
【救国:精神復興&国体再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
活躍されることを心より応援しています!

●人生の目的は神を知ることにある(内村鑑三)
●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、
 人を励ましいつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。
 愛は常に向上を欲していかなる、
 いと低い事物によっても引き停められることを望まない
 (トマス・ア・ケンピス)
●事実の子たれよ、理論の奴隷になるなかれ(内村鑑三)
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり
 神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。
 悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり
●世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ
 (シェークスピア)
●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。
 我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである(内村鑑三)
●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。
 人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、
 むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである
 (アウグスティヌス)
●全ての事は、神の御旨によりて招かれたる神を愛する者のために、
 ことごとく益をなすを我等は知れり(ロマ書8-28)
●キリストは我が万事(すべて)であるということである。
 キリストは我が義である、我が潔めである、
 我が救いである。我れキリストを信じて我が為すべき万事をなしたのである。
 「そは神の充足(みちた)れる徳は、ことごとく形体(かたち)をなして
  キリストに住めり」(コロサイ書2-9)
 神はキリストにありて万物をヒトに与え給うのである。
 しかして人はキリストにありて万物を神より受くるのである(内村鑑三)
●神は、すべての人に、いのちと息と万物をお与えになった方です。
 確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
 私たちは、神の内に生き、動き、また存在しているのです
(使徒行伝17-25~28)

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)

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<主の祈り>依存で【ビジョン】具現化に導く【神の愛=主イエス】!

2014-11-06 22:55:47 | インポート


【2014年11月6日に作成した<第639回>に加筆】
◇◇<主の祈り>依存で【ビジョン】具現化に導く【神の愛=主イエス】!◇◇

★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
http://www.youtube.com/watch?v=lKdFip1MhO0&feature=share&list=PLGAtWMx6RQJ7WZ4p9LDUBhTC5kbNqx3RM

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

今の私には【神の愛=主イエス】への<祈り>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】は
<霊的呼吸>であり、起きてから眠るまでいつどこでも重度の依存症といえます。
しかし最初に祈祷した記念すべき1995年11月11日までの人生36年間は
信仰や宗教への関心はあっても、<主の祈り>も知らない無関心人間でした。

私に<祈り>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】依存症に導いてくれた霊的恩人は、
内村鑑三氏の残した著作集です!

●<修養と祈祷>(内村鑑三)
 修養は、神によらずして自ら高くのぼらんとするの法なり。
 祈祷は、神によって直ちに潔められんとするの途なり。 
 修養は人の法にして、祈祷は神の途なり。
 われらはプラトン、シセロ、孔子、王陽明にならって
 聖人君子と成らんと欲せずして、
 パウロ、アウグスティヌス、ルーテル、クロンウェルにならって
 クリスチャンたらんことを願うべきなり。
●<われらの礼拝>(内村鑑三)
 われらは、僧衣を着けて高壇に上がり、
 聖書を朗読し、聖歌を吟唱し、
 手をひろげて天を仰いで祈り、
 手を按(お)いて人に儀式を施し、
 もってわれらの神を礼拝せんとしない。
 われらの礼拝は教会堂においておこなわれずして、
 あるいは工場において、あるいは田畑において、
 あるいは店頭において、あるいは書斎において、
 その他われらが日々の事業に従事する所において、
 おこなわるるのである。
 「仕事はすなわち祈祷(礼拝)なり」である。
 われらはわれらの日常の仕事をもって神を礼拝せんと欲するのである。
 礼拝の簡単または欠乏のゆえをもってわれらを責むる者に、
 われらはこの事をもって答うるのである。
●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ
 永遠にわたって神をよろこぶ事である(クロムウエル時代の簡略教理問答書)

特に、内村解釈による<主の祈り>が私の信仰人生を大転換させてくれました。
ご存じのように世界一簡潔な祈祷といわれる<主の祈り>は【主イエス】自身が
私たち人類に示された【三位一体:父・子・聖霊】への<祈り方>です。

●【主の祈り】(マタイ伝6-9~13、ルカ伝11-2~4)
 天に在(マ)します我等の父よ
 願わくは聖名(ミナ)を崇(アガ)めさせ給(タマ)え
 聖国(ミクニ)を臨(キタ)らせ給え
 聖旨(ミココロ)の天に成るごとく地にも成させ給え
 我等の日用の糧を今日も与え給え
 我等に負債(オイメ)ある者を我等が赦(ユル)す如く我等の負債をも赦し給え
 我等を試探(ココロミ)に遭(ア)わせ給うなかれ
 悪より救い出し給え
 国と権(チカラ)と栄えとは窮(カギリ)なく汝の有(モノ)なればなり
 アーメン
●あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
 隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、
 隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる
 あなた方が祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
 異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
 彼らのまねをしてはならない。あなた方の父は、願う前から、
 あなた方に必要なものをご存じなのだ。
 だから、こう祈りなさい。(マタイ伝6-6~9)

先ず<主の祈り>が「私」でなく「我等」とあることが感動的大発見でした。
それまで私の理解する<祈り>は、自己救済のご利益追求型でありましたが、
「我等」には、人間だけでなく、動植物や此の世の<万事・万物>が含まれ、
最近は【ビジョン:理想・夢念・大志】【ミッション:大義・使命・天職】も
含まれていると体感できます。つまり自己中心の私でも「世の為、人の為」の
慈善事業・チャリティ活動に、いつどこでも、この身一つで献身できるのです!
今日現在、身近でも世界中でも、苦難の中で祈る気力も失った人間や動植物や
此の世で忘れられ見捨てられた<万事・万物>を【神の愛=主イエス&聖霊】に
救済嘆願を直訴できる【礼拝:★讃美★祈求★感謝】が<主の祈り>です!

●生きるという事は、神の栄光のために、また全ての人の幸せのために、
 できる事をやることです(マザー・テレサ)
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
 なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
 御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
 私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)
●夕べに、朝に、真昼に、私が嘆き、うめけば、主は私の声を聞かれる。
 たとい私を攻める者が多くとも、主は私が戦う戦いから、
 私を平和のうちに救い出してくださる。
 私と争い挑む者が多いから(詩篇55-17~18)
●「エゴ」を生かして、人に尽くせ(曽野綾子)
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に、
 超越して最も多く他を利して、 
 最も多く己を利するの道を我に教えたり(内村鑑三)
●ある程度は、他人のために心配したり、はたらいたりしなければ、
 どんな人も精神的に健康を保つ事はできない(ヒルティ)

もし私の人生に<主の祈り>が無いとしたら、個人的にも世界中で起きている
未解決問題の悲惨・不安・恐怖・憤怒で<霊的呼吸困難>状態になってしまい
<不義・不正・不実>不純・不潔の私ならば、<霊死>していたことでしょう。
<主の祈り>を繰り返すたびに、無慈悲・無責任・無関心・無知無能な私でも
<一日一生!日々新た>に充霊<パワー・アップ&アップ・グレード>されて
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を<不死身!不滅!不退転!>にさせます!

●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、
 人を励まし、いつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。
 愛は常に向上を欲して、いかなる、いと低い事物によっても
 引き停められることを望まない(トマス・ア・ケンピス)
●何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとを
 ささげ、あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
 あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、
 どんな困難な状況にあっても、正しいやり方である(ヒルティ)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
 これに対抗することはできるであろう。
 私は神のおかげで困難になれてきた。
 神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●幸福とは神と共にある事である。それに到達する力は魂の声なる勇気である
(ヒルティ)

今日現在の私は確信できますが、20年前に最初の<主の祈り>を唱えたのは
誰も見ていないトイレの中で、私など聞いてもらうだけで恐れ多い<神様>に
独り善がりで多少恥ずかしい半信半疑気分で始まり、今では病みつきです!
何故なら、【神の愛=主イエス&聖霊】は確実に応答してくれるからです!

●私たちの生きた祈りと賛美が少しでもあるなら、
 神様は千里の道をかけてでも私たちに会いに来てくださるだろう
(アーロンド)
●神様は天高く遠くにおられるが、祈るなら神様がこの地に降りてこられ、
 さらに神様の能力と私たちの努力を結び付ける(ガースパリン)
●苦難の中で、私が叫ぶと、主は答えてくださった。
 陰府の底から、助けを求めると私の声を聞いてくださった(ヨナ書 2-3)
●何事も思い煩ってはならない。
 ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
 あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
 あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)

私は効果が無いなら飽きっぽくて三日坊主なのですが、義務的強制も無くても
今日まで依存度が日々増強されてきたのは、【神の愛=主イエス&聖霊】と
【御心:聖意・聖旨】【聖書・真理の御言葉】【神の愛の方程式=摂理】が
具現化される【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】を此の世や我が身に体感できます!

●悲しみ憂えてはならない。主を喜び祝うことこそ、
 あなた方の力の源であるからだ(ネヘミヤ記8-10)
●あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通して
 あなた方を永遠の栄光へ招き入れて下さったあふるる恵みの神御自身が、
 しばらくの苦しみの後、あなた方を癒し、完全な者とし、強め、力づけ、
 堅く立たせ、揺らぐことがない不動の者にしてくださる(ペテロ前書5-10)

ところで最初は<私の心>に粘着する<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の
霊的拒絶反応が強大な<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>となり
【礼拝:★讃美★祈求★感謝】を【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】に
落ち込まされますが、それも【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】です!
人生最強最悪の宿敵勢力である<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>のお陰で
私の【礼拝:★讃美★祈求★感謝】は鍛錬され光輝く<神愛武具>となりました。

●私の敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。
 たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光なり(ミカ書7-8)
●光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった(ヨハネ伝1‐5)
●主よ、あなたは私の灯りを輝かし、神よ、あなたは私の闇を照らして下さる
(イザヤ書42-16)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く
(ルカ伝1-79)
●彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神の御もとに立ち帰らせ、
 こうして彼らが私(主)への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた
 人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである
(使徒行伝26-18)
●暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
 死の陰の地に住んでいた人々の上に光が輝いた(イザヤ書9-2)
●夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を
 身に着けましょう(ロマ書13-12)
●悪魔の策略に対抗して立つ事ができるように、神の武具を身に着けなさい
(エペソ書6-11)
●だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
 しっかりと立つ事ができるように、神の武具を身に着けなさい
(エペソ書6-13)

<主の祈り>は個人や民族国家や全人類の【ビジョン:理想・夢念・大志】を
具現化する<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を守り導く
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】が示されているので
<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の<誘惑・試探・試練>を軽減させて
<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>から遠ざけてくれるように
祈りなさいとの【主イエス】自身の命令は<逃げ腰・及び腰・弱腰>の弱気で
臆病意気地なしの私には<歓喜!感動!感謝!>の<神助:祝福・恩恵>です!

●今の私があるのは、ただひとえに、あふれるほどに注がれた神様の恵みと、
 あわれみとのおかげです。実際に働いたのは私ではありません。
 神が私の内部で働き、祝福してくださったのです(コリント前書15-10)
●主は言われた「私の恵みはあなたに対して十分である。
 私の力は弱いところに完全にあらわれる。」
 それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ
 喜んで自分の弱さを誇ろう(コリント後書12-9)
●私はキリストのためならば、
 弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう。
 何故なら、私が弱い時にこそ、私は強いからである(コリント後書12-10)

最初は圧倒的に<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の血祭りに遭いますが、
今では<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>による<患難辛苦>は
<不屈の楽天楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】の
燃料源になって【悪:無知・無関心・無責任】を<善:【神愛力=隣人愛】>に
<闇・マイナス>を<光・プラス>へと善循環のリサイクル化しています!

●<神の救済法>(内村鑑三)
 死に勝つに生をもってし、暗(ヤミ)に逐つに光をもってし、
 怨を滅ぼすに愛をもってす、これ神の救済法なり
●怨に酬ゆるに徳をもってし
 憎に対するに愛をもってし
 悪に対するに善をもってする (内村鑑三)
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12‐20)
●泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる
(詩篇30-6)<夕方に泣き悲しむことが宿っても朝には歓呼の声がある>
●苦しみ悩みのうちから、私の主を呼び求めた
 主は私に応えて、私を広いところに置かれた(Set me fre e)
 主は私の味方、私は恐れない
 人は私に何ができようか(詩篇118-5~6)

ハリウッド映画でパニックや戦闘シーンで主人公が<主の祈り>を唱えるように
世界でも日本周辺も経済破綻・戦争勃発の大危機に直面して、大災害・大混乱も
多発し、個人・民族において精神的に<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>が
強大化する真夜中の現代だからこそ、【神の愛の力=隣人愛&奇蹟】に光輝いて
闇を光に転じる<主の祈り>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】が求められています。
<主の祈り><神愛武具>で武装する<福音の戦士>【福音の勢力】の心意気は
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】の
【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】に満ちあふれています!

●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、目を覚まして、
 うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい(エペソ書6-18)
●【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】
 いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
 これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
 (テサロニケ前書5‐16~18)
●熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みを抱いて喜び、
 患難に耐え忍び、常に祈りなさい(ロマ書12-11~12)
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、
 目を覚まして、うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい
(エペソ書6-18)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)
●あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。
 喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい(ヤコブ書5-13)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、
 どんな困難な状況にあっても、正しいやり方である(ヒルティ)

皆さんの抱く<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】に
<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を見出して確信に導き
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生に導く
<主の祈り>で<神愛武装>する<光の子><福音の戦士>【福音の勢力】で
<闇・マイナス>を<光・プラス>に善循環リサイクル化することによって
【悪:無知・無関心・無責任】を<善:【神愛事業=隣人愛&奇蹟】>に転じて
【救国:精神復興&国家再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
活躍されることを心より応援しています!

●<最も貴きもの>(内村鑑三)
 富と糧とに優って貴きものは知識なり
 知識に優って貴きものは道徳なり
 道徳に優って貴きものは信仰なり
 信仰に優って貴きものは愛心なり
●<最大の能力>(内村鑑三)
 確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
 これが世界を動かした力である。
 先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して
 神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。
●<世界最大の者>(内村鑑三)
 知識をもって腕力に克つべし
 信仰をもって知識に克つべし
 愛をもって信仰に克つべし
 愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
 愛に達して我らは世界最大の者となるなり。
●起きよ!光を放て!あなたを照らす光が臨み、
 主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
 見よ。暗闇が地をおおい、暗黒が諸国の民をおおっている。
 しかし、あなたの上には主が朝日の如く輝き、
 その栄光があなたの上に現われる。
 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
 目を上げて、見渡すがよい。みな集まって、あなたのもとに来る。
 あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。
 そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、
 あなたの心はどよめき喜びに輝く。
 海からの宝はあなたに送られ、国々の財宝はあなたのもとに集まる
(イザヤ書60-1~5)
●光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
 明らかにされるものはみな、光となるのです。
 それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。
 そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エペソ書5-13~14)
●<希望>(ヒルティ)
 十字架は重いが、ふしぎなことに
 おまえがそれを担うやいなや。それがおまえを担ってくれる
 初めは闇夜だが、行く手は真昼の明るさ
 その道を進む者は「勇者」と呼ばれる
 おまえの力は小さくとも
 おまえが帰依した主の力は偉大だ
 おまえの星は暗い夜空に輝きわたり
 今日は死に、明日はいのちによみがえる
●こうして預言の言葉は、私たちにいっそう確実なものとなった。
 あなた方も、夜が明け、明星がのぼってあなた方の心の中を照らすまで、
 この預言の言葉を暗闇に輝く灯火として、それに目を留めているがよい
 (ペテロ第ニ書1‐19)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、
 神は聞き入れて下さる。これが神に対する私たちの確信である。
 私たちは、願い事は何でも聞き入れて下さると分かるなら、
 神に願ったことは既にかなえられていることも分かる
 (ヨハネ第1書5-14~15)
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。
 即ち必ず成就すべき事を
 前もって語に表することである(内村鑑三)
●心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世には無い
(ガンジー)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。
 そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●神は約束したことを成就することができると確信した(ロマ書4-21)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
 これが神に対する私たちの確信である(ヨハネ第1書5-14)
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。
 どんなものも時が来ればその良さが証明される。
 さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ
(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●あなたに備えられているものをすべて生かし抜きなさい。
 神はあなたの、その善き意志を助けてくださるだろう(トマス・ア・ケンピス)
●光の子らというのは、たしかに、尋常ならぬものに対して敏感であり、
 かつ求めてやまぬ人たちのことである。
 彼等はまず、飲み、食い、そして明日は死ぬということ以外に、
 もうすこし良いものが地上にあることを願い、
 このやみがたい願いと意志とから出発して、次第に信仰に、
 そして最後には確信に、到達する人たちである(ヒルティ)

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)

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