CELLOLOGUE

チェロローグへようこそ! 万年初心者のひとり語り、音楽や身の回りのよしなしごとを気ままに綴っています。

『愛しのチロ』を読む

2009年12月23日 | 折々の読書
 
タイトルからしてすでに天才的だ。猫の写真集にこんな書名を考えるなんてさすが天才アラーキーではないか。
オリジナルはかなり昔の出版(1990)だが,今でもその魅力は失われていない。

荒木(若い!)の私写真であることは確かで,「春日部のおばあちゃんとこから生後4ヶ月のときに」妻がもらってきたというチロの生態がこと細かく写し取られている。写真家は「猫嫌いである」と言うが,「たちまちチロのトリコモナス,魅せられしキン魂」となる。嫌いでこんなに写真が撮れる訳がないのである。ページのそこここに溢れる愛情は,この猫が写真家とその妻にとって猫以上の存在であったことを証明している。

それと同時にかけがいのない人生の幸福な時代を切り取っているのだ。鳥を捕まえたり,ヤモリを玩具にしたりと愛猫のあるがままを記録するアラーキーはやはり写真家の視線である。写真は極めて即物的なものであるが,その背後に人間の感性や感情が表れる,あるいは表れてしまうことに改めて気付かされる。その即物性が猫への愛情をかき立てる。

私も昨年突然死んでしまった飼い猫のことを想い,その猫がいた頃のことを思い出す。アラーキーのこの写真集は,猫の姿態に癒されるというものではなく,極く私的な猫と共にある時空に一瞬にして移動できるところに魅力がある。愛しいものとの生活へ駆り立てる何かが写真にこもっているのだと思う

■荒木経惟著『愛しのチロ』(平凡社ライブラリー454 offシリーズ)平凡社,2002年12月刊.
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