Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ニコン党の叫び D400はまだか

2010年11月26日 | Camera


わたしの予想を裏切って、ニコンはまだD400を発表しない。
もう年内の発売は絶望的だ。
ちょうど3年まえの今ごろ、I大学の撮影期間中に予約していたD300を喜んで買いに行ったことを覚えている。
今回は残念ながらそうはならないだろう。

しかしよく考えてみれば、3年に1台新しいカメラを買うというのは費用対効果の低い仕事のやり方だ。
フィルムカメラの時代は10年くらい使うのはあたりまえだったのに。
10年まえのカメラでも出てくる絵はなにも変わらないし、むしろ使い慣れた機械の方が仕事はしやすいから、新しいモデルに対してはプロは懐疑的・保守的であった。

I大学でいっしょに撮っているカメラマンに、フィルム時代にどんなカメラを使っていたのか聞いてみた。
キヤノン党のJさんはA-1にFDレンズだった。
そういえば高校時代に写真部の友だちが持っていたなあ。
AEはシャッタースピード優先か絞り優先かという議論が巷間かしましかったけど、このA-1はどちらのAEも使えるようになった画期的なカメラだった。
鉛の含有量が高い硝材でつくられていたFDレンズの描写はシャープで素晴らしかったし、どのレンズもカラーバランスが同じなのが当時としては驚異的であった。
キヤノンの良心が感じられるころのカメラとレンズ群だ。

ニコン使いのKさんはFAやFM2、FE2を使っていた。
FAの画期的なところは多分割測光による露出制御である。
ニコンカメラの信頼性はハードの堅牢性とソフトの正確性によるものだが、このFAが先駆となったといっても過言ではない。
FM2に関しては、これはもうニコンというより日本のカメラの名機に挙げていいだろう。
このカメラほどシンプルで丈夫で使いやすいカメラはない。
これ1台あればアフリカのジャングルでも北極のブリザードのなかでも撮影できそうだ。
総じてニコンのカメラは頑丈だというイメージは、こういう中級機でも手を抜かずに造りこんでいるところから発せられるのだと思う。

当時まだアマチュアであったわたしはいろいろなメーカーのカメラを使っていた。
キヤノン、オリンパス、ペンタックス、ミノルタ、コンタックス、ヤシカ、富士フィルム。
(ニコンを使っていないのはヘリコイドの回転方向が逆であったから)
山のようにあったこれらのカメラはもう1台もない。
いま手もとにあるカメラは、プロになってから買ったライカとニコンだけだ。
いまだにフィルムカメラをつくり続けているメーカーだけが残ったのは当然というべきか。
ああ、久しぶりにフィルムで撮りたくなった。

疑似6ビットコードでシアンドリフト解消

2010年11月14日 | Camera


カラースコパー21ミリF4Pにもともとマーキングされていた疑似6ビットコードは、わたしのM8では認識しないことは先日書いた。
その原因を探るために、一度マークを消してわたしなりの方法でレンズ基部にコードを付けてみると、微妙に位置がずれていることがわかった。
また油性のマジックで書かれていたため、なんとなく色が薄い気がしたので、ラッカー製のペンを使ってみた。
ボディ側のレンズ検出を「入;UV/IR対応」にして撮影すると、はたしてボディがレンズを認識し、Exifデータには「21ミリ」とレンズの焦点距離が記録された。
やったー!

同様に6ビットコードの付いていない古いズミクロン50ミリにもマーキングしようと思ったら、ちょうどコードを付ける位置にネジがある。
これはムリかなと思いつつ、ネジの上からラッカーペンで黒く塗ってみると、なんと認識するではないか。
わりとアバウトなもんだ。
つづいてヘキサノン28ミリにもエルマリート28ミリのコードをマークすると(これもネジの上から)、やはり問題なくレンズを認識してくれた。
残念ながらゾナー40ミリのコードはないので、このレンズだけはExifデータが記録できない。
ちなみにCL用のズミクロンC40ミリF2は傾斜カムを使っているので、ライカ社としては精度の補償外だ。
このレンズはミノルタ製という位置づけなのか、6ビットコードの割り当てがない。



上のカットはカラースコパー21ミリにUV/IRフィルターを付けて撮ったものであるが、ご覧のとおりシアンドリフトがすっかり消えている。
でも周辺減光はレンズ検出「切」よりも軽減されているものの、完全に消えてはいない。
レンズの特徴をうまく残した処理だともいえる。

それにしてもこのレンズの写りは大したものだ。
M8とのマッチングのおかげかもしれないが、超広角レンズなのにコントラストが高すぎないところがよい。
そして136グラムという超軽量でコンパクトなのも気に入っている。
強いていえば、周辺にタル型のディストーションが出るのが弱点だが、これもよく見なければわからない程度だ。
純正のライカ製でもけっこうディストーションの強いレンズもあるから、ここはむしろ健闘してるといってもいいだろう。
久しく使っていなかった(避けていた?)28ミリという画角で、またスナップがたのしめるかもしれない。

ビューファインダーの快感

2010年11月13日 | Camera


片手でケータイやコンデジを持って、モニタを見ながら写真を撮るスタイルがあたりまえになって久しい。
わたしもコンデジを使うときはそのモニタを見るのだが、じっさいの風景よりもコンマ何秒か遅れて見えるのがどうも気持ちわるい。
そして手ぶれ補正機能が効いてると、画像がふわふわとして酔いそうになるのはわたしだけではないだろう。

それに対して、光学式のファインダーを覗くカメラはやはり気持ちがいい。
とくに外付けのビューファインダーはじっさいの風景よりも格段に美しく見えるので、覗いているだけでたのしくなる。
もう快感といってもいいくらいだ。



先月、カラースコパー21ミリF4といっしょに買ったニコン製のビューファインダーはなかなか良い。
距離計でピントを合わせてからこのファインダーに覗きかえるのは、一眼レフ機にくらべて面倒だが、バルナック型ライカに慣れている人ならべつに抵抗はないはずだ。
それに近接でなければほとんどパンフォーカスになるので、じつはピント合わせなんて必要ない。
いきなりビューファインダーを覗いて、目のまえの風景を切り取るのは気持ちいいことこのうえない。
M8というハイエンドなカメラなのに、レンズ付きフィルム(写ルンです)でパチパチと撮るような気楽さがある。



ところでこのビューファインダーはニコンの高級コンデジCOOLPIX P6000とP7000用のアクセサリーとして販売されているものだ。
見えのよさは上に書いたとおりすばらしく、外装も金属製でモノとしての完成度は高い。
おまけに「Nikon」というロゴが日本光学だったころの細字なのが泣かせる。
さすがはニコンといいたいところだが、これはまちがいなくコシナがつくっているOEM品だろう。
コシナ製の28ミリビューファインダーMとまったく同じ形だし、見え方も同じだ。
これはコシナの技術力の高さを証明するものであって、ニコンユーザーが目くじらを立てる話ではない。
いまやデジタル家電メーカーにカメラづくりが移行しつつある時代、良心的な光学機器メーカーはお互いに助け合うべきだとさえ思う。
そうしなければ光学式のビューファインダーは早晩なくなって、すべて電子式になってしまうだろう。

人形に生命を吹きこむ

2010年11月11日 | Photography


昨夜、人形作家の福長千紗さんから電話がかかってきた。
新作ができたので撮ってほしいという。
クラフトアートの人形年鑑に掲載する写真である。
納期が1週間しかないので、さっそくきょう撮影することになった。
(いつも締め切りまぎわなので閉口している)

福長さんはこれまで日本の昔話や童話に出てくる動物や妖怪をテーマに作品をつくっていたが、今回の作品のテーマは「道化」。
ちょっと日本人ばなれした顔立ちの男性?が妙なシルクハットをかぶっている。
そのコントラストがすでに道化だ。
彼女の作品の特徴というか魅力は、それぞれの作品の個性がはっきりしていて、物語性を感じさせるところ。
単純にかわいい人形というのではなく(どちらかというと不気味だが)、その人形に人格(獣格?)のようなものを持たせる力がある。
なので、写真に撮るとその作品が勝手にしゃべりだして、見るものの想像をかきたてる。
その存在感がすばらしいといつも思う。



はじめは帽子を手に持ったカットを撮っていたのだが、どうもカッコよく決まりすぎる。
道化師というよりペテン師みたいに見える。
なので、こんどはふつうに帽子をかぶらせて座らせてみた。
あえて顔を左に向け、両手を足のあいだにもってくると、なんとも所在なさそうな侘びしさが出てきた。
「あっ、こんな人いてるいてる」と福長さんは満足げだ。
人形に人格が宿った瞬間だった。

これまでいろんな作品を撮らせてもらっているが、彼女はそれらを1冊の作品集にまとめて東京のあるアート系のギャラリーへ持ち込んだところ、なんと一発で気に入ってもらえたらしい。
正式な契約はまだだが、これらの作品の売る手伝いをギャラリーが買ってでているという。
関西では有名な作家さんだが、いよいよ東京進出の日も近いようだ。

Qちゃんとハイタッチ! ハーフマラソン完走

2010年11月07日 | Life


きょうは淀川の河川敷を走るマラソンのレースに出る。
先月、体調を崩してあまり練習ができなかったので、完走できるかどうかは「ひざ」しだいだ。
膝の爆弾が爆発すればそれまでである。
とにかくムリをせずにゆっくり走ろうと思う。

朝7時すぎに会場に着くと、もうすでに多くの人が来ていて、ウォーミングアップしたり、テントを張ったりしている。
会場を枚方から守口に変更してはじめての大会だそうで、今年はなんと1万4千人が集まった(去年は8,500人)。
そしてゲストにあのQちゃんこと高橋尚子さんが来ていた。
わたしと同じ、ハーフマラソンに出走するらしい。

9時の号砲とともにスタートするも、人が多いのでスタート計測地点を通過するまでに7分もかかる。
そのすぐ横でQちゃんが「がんばってくださーい」と笑顔で手を振っていた。
あれ、いっしょに走るのではなかったのか?
そう思いながら走っていると、3キロも行かないうちにうしろから彼女はやってきた。
「みなさん、気をつけてゆっくり走ってくださいね」といいながら、ランナーの間をスイスイと縫いながら行ってしまう。
引退したといっても、やはりレベルがちがう。

8キロ地点でQちゃんを発見。
彼女は折り返してきたランナーに声をかけながらハイタッチしていた。
おお、ナマ高橋とハイタッチできたら元気が出そうだ。
できるだけアスファルトを走らずに、土の上を走っていたけど、お約束のように10キロを越えたあたりで膝が痛くなってきた。
でもここでやめたらハイタッチできない。
ポケットの黒砂糖をほおばりながら、とにかく足をまえに出す。

66分で折り返し調子よく走っていたが、先ほどの場所にはもうQちゃんはいなかった。
残念、遅かりし。
15キロを越えてランナーズハイがやってきた。
身体は疲労困ぱいなのに、まだまだ行けそうな感じがする。
じっさい残り3キロくらいからスピードが上がってきて、ついに128分でフィニッシュ。
復路を62分で走ったことになる。
われながらすごい。
Qちゃんの力を借りずに、なんとか完走できたぞ。