じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

告白。

2005-12-07 05:24:00 | 自分のこと
少し、重い内容です、ご承知置きください。


ここ二ヶ月ほど更新が滞っていた理由、それを
書きたいと、思います。


病気なんかで同情を引きたくない
それに、ご心配をおかけしたくない

希望と愛を、生きることの素晴らしさを伝えるのが、
わたしのブログの目的。

だから、病の真っ只中では、お話できませんでした。


ですが、おかげさまで、山は、越えつつあるように思います。
いや、完全に超えるために

告白することを、許してください。


***********


更新が滞りがちになっていたこの二ヶ月ほどの間
わたしは、

闘病していました。


診断名は「うつ病」です。


もともと素質はあるという自覚があるので、
予防の意味で

かかりつけ医に訳を話して、必要な薬を処方してもらいながら、
介護をしてきた二年半を駆け抜けてきました。


ですが、ばあたんを入院させたことをはじめとして、
その後のじいたんばあたんの生活のこと、
親戚との葛藤、叔母の病気、妹の結婚をめぐる問題
自分の将来のこと、相方とのすれ違いなど

色々なプレッシャーが
突然一気に襲い掛かってきたこの秋…

それらが、自分を押しつぶし始めている
と自覚したある日、


吐き気とめまい、食欲不振と便秘、睡眠障害という形で、
それは現れました。

暗算や、書類作成にミスが出るようになり、
いつも笑顔が自然に出ていた、それが、出なくなりました。


多少そういった方面に明るいわたしは、
ああ、これは「プチうつ」だな、と思い
生活を変える努力を、してきました。

最初、それで何とか乗り越えられそうな様子もありました。



でも、そのうちに、
自分の意思とは関係なく、

怖ろしい考えが、間断なく襲ってくるようになりました。


 (皆様がご存知の通り、わたしは、将来に夢を持っています。

  介護を最後まで、もし許されるならやりとおすこと。
  そして分不相応な夢を、だけど諦めないで持ち、
  トレーニングを続けていること。
  自分の殻を、破って、成長し続けること。)


なのに、それでも、
その怖ろしい化け物は、

わたしの意思とは関係なく、わたしをさいなむようになりました。


「わたしは、この世からいなくなるべきだ」


明るい時間に、外へ出かけるのが怖ろしくなりました。

じいたんのことが気ががりなのに、
じいたんに、この状態を悟られるのが怖くて、
訪問することも出来ず、ヘルパーさんに指示を出し、
じいたんとの会話は、毎日の電話でしのぐ日々が続きました。


相方=ばうが、心配して、
食べられないわたしに食事を作り、風呂に入れてくれて、
サポートをしてくれていることについても
罪悪感ばかりが募り、

取り繕って笑うことも、辛くなりました。


気分を変えようと、囲碁を学んでみたり、
将来の夢を再確認して、独りの時間に勉強をしたり

そして、少しでも眠いときは眠って、

SNSの日記(ブログより気軽に書ける)に、一日一回、
短い日記をつけて、自分を保っていました。


それでも、その「想念」は消えない。


気が付くと、

一番迷惑をかけない死に方を、
真剣に検討している自分が、いました。

夜になると、気分がすこしましになるので
表へ、出るのですが

ぼんやりと「事故死ならみんな、諦めてくれるだろうか」
そんな、不埒千万な考えが浮かびます。

一番費用のかからない自死の方法を見つけて
行動に移そうとして
でも、片付けてくれる人のことを思い、思いとどまり…

そんな日が、続きました。



この「襲ってくる想念」が、
明らかに間違ったものである、ということは、
理性では十二分に理解できているのです。


「死」ほど周囲に打撃を与えるものは、ありません。
わたしは、先立たれる辛さを知っている人間です。

ましてや自死は、「自分以外の世界の全員を殺害する」
そういう行為だと、わたしは認識しています。
(自死をとげた人を、責めるような気持ちは持ったことはないですが…)

大切な人たちに、そんな思いを味わわせるなんて、絶対にいや。
生き延びて、皆を見送ることに耐えるほうが、百倍まし。



それでも、
生き延びることの大切さをこれだけ身をもって知り、
愛する人たちがたくさんいて
力をもらって、これだけ幸せであるにもかかわらず


その想念―死ななければという思い―を、
コントロールすることが難しい状態に陥りました。


察しのよい、大学時代の悪友が
ブログを読んで、「だいじょうぶ?」と電話をしてきてくれたり
やっと、関東に越してきて出来た優しい友に
愛をわけてもらったり
じいたんに、これだけの愛情をかけてもらっているのに

どうにも「その怖ろしい化け物」を除去することが、できないのです。

情けなくて、情けなくて、自分が、
でも何処かで「これは病気だ」とも判断していて、
かといって、メンタルクリニックを調べる気力もなくて





そんな矢先、かかっている整形外科の先生が、
何気ないそぶりで、
メンタルクリニックへの紹介状を書いてくださいました。

「一度行って、いやなら、やめてもいいから。
 僕に気遣いなく、とにかく、一度だけ
 お試しのつもりで行ってみて下さい。」


紹介状は普通、有料です。
でも先生は、紹介状の費用を請求なさいませんでした。

先生のお気持ちを裏切ってはいけない
それに、治るのなら治したい
その一心で、必死で、門をくぐりました。


いま、通い始めて一ヶ月ほどです。
抗うつ剤と、強めの睡眠薬を処方されています。


まだ、睡眠障害や身体症状はあまり改善されてはいないし
外へ出るのがおっくうだという気持ちは消えないけれど、

少なくとも、その
「怖ろしい考え」だけは、浮かばなくなってきました。


うつ病は、脳のなかの物質のバランスが崩れる病気です。
治療すれば、時間がかかっても、必ず、治る。

今は、早く以前のわたしに戻りたい、
という気持ちでいっぱいです。


ちくしょう、この程度のプレッシャーで
こんな病気になるなんて

自分のことが情けなくて、恥ずかしくて
消えてしまいたい、と思う


けど、逃げたくないから


「情けない自分」をも、ちゃんと、認めて
より円熟した人格を獲得したいから

そして、ありのままの自分を書き残すこと
それがたぶん
読者の皆様に対して、誠実であるということだと信じるので


そして愛する人たちを護れる、強いわたしになれるように
願いをこめて


カミング・アウトを、させていただきました。


身勝手は承知です。
でもどうか、どうかご寛恕くださいますよう、
平にお願いする次第です。


お見苦しい箇所もあったかと存じます。
最後までお目を通してくださって、ありがとうございます。


追伸:

一番怖ろしいところはもう、乗り越えたからこそ、
記事にしたので…ご報告をしたので、
ですので、どうぞご心配は、なさらないでください。
わたしはだいじょうぶです。

わたしは、もともと、楽天的な性格で、
人生を愛していて、
病気なんかに、負けるタマじゃないんです

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19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます。 (うさと)
2005-12-07 09:26:06
私は、桂枝雀が大好きでした。

彼のような、明晰な柔軟な頭脳を持ち、

多くの人に、多くの喜びを与えた人でも、

心の疲労を抱えていました。

今も、彼が生き続けていてくれたらと、何度も何度も思います

彼の落語を聞いて、こんなに面白いものを聞けるなら、生きているのも悪くないなっと思いましたから。

どうぞ、負けるときは負けてしまってください。

人生は、短く長いです。

暴風のときは、頭を低くして、やり過ごしてもよいのです。その中を、敢えて進まずとも、通り過ぎるのを、身をこごめて待っていてもよいのです。

待っていられるだけ、人生は長いのです。

すべては、あらかじめ許されているのですよね。

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桂枝雀さん (介護人たま)
2005-12-07 10:20:57
> うさとさん

コメント、ありがとうございます。

わたしも祖父と、時々落語を聴きます。

桂枝雀さん、見事でしたよね。それでも病に負けることはある。



でもわたしは、この病気にだけは負けるわけにいかないから。

…背伸びをしたコメントは、わたしはできない…

代わりに、心に残っている本を一冊、ご紹介して、コメントに変えさせてください。

江藤淳の遺作「妻と私」…何年も前に読んだ本ですが、未だ忘れられません。
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それでも・・・ (藤原 忍)
2005-12-07 10:50:20
こんにちは。

今年の5月から、ずっとずっと訪問していました。

私はたまさんに、何も出来ないけれど、何の解決の足しにもならないけれど、それでも、たまさんのこと、好きですよ。

柔らかな視点と、慈愛に満ちた文は、いつも私を落ち着かせてくれます。

介護されているのは私のほうかもしれません(笑

気の利いた励ましの言葉でも残せば良いのですが、多分一生思いつかないので、

「それでもたまさんのこと、好きです」と告白をしたいと思います。
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克服良かったね。 (恵雅)
2005-12-07 11:16:52
 お早うございます。



 友人にも欝で病院に通っている人います。

だれでも鬱はあるし、私だって何時襲われるか分りません。

たまさんのブログ読んでて涙が止まらなくなってしまいました。

同情なんかじゃ有りません。感動です。



 夢があるっていいことですね。

 でもでもね、頑張らなくていいんだよ。

何とかなるさって。ケセラセラって、知ってる?

なんの足しにもならないコメントでごめんなさい。
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いっしょに、笑っちゃお (かなこ)
2005-12-07 13:54:01
わたしが、自分を守るために、てのひらからこぼしてしまったものを、たまさんは、たくさん持っていると思います。

たまさんが笑えないことは、わたしも悲しい。

でも、自分自身のことよりも、護りたいものをしっかりと手にしているたまさんが、やっぱりうらやましいな。
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Unknown (ぴーちゅ)
2005-12-07 16:00:55
初めまして

突然コメントして申し訳ありません。



以前私も笑えなくなった事があります…

仕事中涙が止まらなくなり

とても苦しかった。

今も時々名残があります。

期待する事を止め、

何をするのにも無気力になりました



私の大事な人がうつであると知ったのは

そんな時です。



彼はクリニックに通っていました。

私はその人の先生と何度かメール交換をし

その人の様子を知ることが出来ました。



私がもう少し強ければ

誰も傷付けずに済んだのかも

しれない



そう思うと今でもとても苦しいのです。



風の便りできいた所…

その人は今は元気でやってるとか



二度と会う事は無いけれど

その人にとって幸せな

クリスマスでありますように

今はそう思えるようになりました
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たまさん (ちーたろ)
2005-12-07 16:18:12
昨日の私はまさにそのような心境でした。



いっぱいいっぱいになりすぎて、何をどうしたらいいのか、

いつもできていることができず、あせる私がいました。



以前入院していた時、担当医に「あなたみたいないつもにこにこして、

「大丈夫です!」って答える人ほど危ないのよ。」と

言われたことがあります。



こまめにはきださなければいけないことは分かっているけれど、

溜めている自覚が無いので気づくともう遅いんです。





お互い、抱えているものが多すぎて、時々座り込んでしまうときもありますが、

それはいけないことではないのですね。休みながら、ゆっくり、進んでいきましょう。
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はじめまして (ののか)
2005-12-07 18:48:18
コメントは、初めましてです。



私は精神科に通っています。

たまさんの記事を読んで「うつ病」という、精神科では最も多いと思われる病気であっても、それを告白するということは難しいことなのかと、あらためて考えさせられました。



私自身、周囲の人に「病気であることで同情されたくない」という思いはあります。

そしてまた、病気であることがそんなに特別なことなのか、という思いもあったりします。



私は病気であっても、たまさんがたまさんであることには変わりないと思います。

うつ病になったこと、それら全てをひっくるめて、たまさんなのだと思います。



生きることへの希望を捨てない限りは「負け」ではないと、私は思います。



初めましてで、生意気なコメントすみません。
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たまさん こんばんわ (The社会福祉マン!)
2005-12-07 18:52:57
自分の弱さのために、大切な人をなくした時

自分の変えることのできない

歩んできた道が意識の中に上ってきたとき

なんで、僕は生まれてきたのだろうと思ったとき

これ以上と思ったとき



これも自分なんだって、ようやく思えるように僕もなりました。ほんとにようやくです。

でもね、たまさん



こんなこと僕だけじゃないだ、まわりいるいろんな人も、抱えているんだってことを知って

なんとなく、静かな時間をもてました



元来、あまり深く考えるほうではない僕なんかもなんです。
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そんな気がして (neko50)
2005-12-07 20:02:14
たまさん、なんだか突き詰めて物考えしているみたいだなぁ…と、感じていました。でもそんなに危ういところにいたなんて、ごめんなさい気づかなくて。

乗り越えられそうで良かったです。

 私も、いろんなしがらみがあって、みんな投げ捨てたくなるときがあります。

でも、私を「幸せでいる」と思ってくれる年取った親のためにも、とりあえず元気で暮らしていかなくては。

あんまり突き詰めて物を思わないようにしています。

いい加減ファジーになりました。なったつもりですというほうが正しいかも。

多かれ少なかれ皆そんな部分があるのではないかしらね。
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