
その昔、作曲に困るとフリッパーズギターを聞いて刺激を受けていた…と書いたけど、他にも作曲に困った時に聞いていたアーティストはたくさん。そういうアーティストの共通点はおいらの場合「うわ、コピーできねー!」とか「バンドで再現するの大変そう」とか、そういうサウンドが多い気がする。要するに、自分でなんとか出来ちゃうものは、すでに脳味噌の中で処理できちゃうので『刺激』という意味では物足りないのだ。
で、フリッパーズとならんで、おいらをビッシビシ刺激してくれたのが、ニューエストモデルというバンド。彼らはいまもソウルフラワーユニオンとして活動中だけど、一番好きだったのがニューエスト時代の「ソウルフラワークリーク」っていうアルバム。ボーカル中川の独特の野太い声や、コードワーク、詞の世界などもすごいんだけど、キーボーディスト奥野の軽快なピアノやオルガンが、他のバンドにはないオンリーワンなムードを作り出していていい。他にも、ブラスセクションを前面に押し出した分厚いアレンジや、盟友バンド・メスカリンドライブの面々による女性コーラスなどの存在も作品に深みを与えている。で、その後、ニューエストとメスカリンが合体してソウルフラワーになるわけなんだけどね。コーラスの有用性や、パートごとの絶妙な絡み合いなどは、ヒヨコ以前のバンドでもすごく影響を受けたなぁ。
ライブにも結構通った。新宿パワステ、最高だった。気がつくと最前列とかで見てたね~。アルバムで発表する前の曲をライブで発表して、毎回アレンジを変えながら、リスナーがもっともテンションを上げられるアレンジへと昇華させていくという方法論は、バンドとファンの一体感を高めていたと思う。ステージから放たれるサウンドはまさに「音の爆弾」みたいな感じで、ドカンドカンと、アルバムとは違った迫力で襲い掛かってくる。もうもう、とにかくスゴイ。
詞も、雑誌などでの発言も、リスナーを啓蒙しようというスタンスにあふれていて心を打たれる。80年代後半にいち早く「反原発」の姿勢をラジカルかつキッチュに作品にもりこんだ姿勢もしかり、天皇制への疑問や、メディア報道の危険性などなど、左側から物を見るスタンスも自分の価値観を定める上で参考になった。メッセージは頭ごなしじゃなくって比喩を多用しながら「こんな事実があるんだけど、お前らはどないやねん?」と常に語りかけるスタイル。それでいて、時折最高にやさしいラブソングが挟み込まれたりして…バランス感覚に優れた人たち。本当に頭が上がりません。
好きな曲は…「ソウルフラワークリーク」の中では、タイトル曲の「ソウルフラワークリーク」、「知識を得て心を開き、自転車に乗れ」「もっともっそうな2人の沸点」かなぁ。詞がいいんだよなぁ。他のアルバムでは「こたつ内紛争」「青春の翳り」「乳母車と棺桶」「SOUL DYNAMITE」「PRETTY PICTURE BOOK」などなど、きりがない。またソウルフラワーユニオンの曲「リベラリストに踏絵を」や「凧あげてまんねん」などもニューエスト時代からライブでやってた名曲。「凧あげて~」は以前は「風邪ひいてまんねん」っていうタイトルだったんだよね。個人的にはそっちのタイトルのほうが好きだったなぁ。
ニューエストのすごさは、インディーズデビューから活動後期までににわたる音楽性の広さだ。当初はこてこてのパンクバンドだったのに、中期にはファンクやアメリカンカントリーっぽい要素も取り入れ、最終的には日本民族としてのフォークソングを探求すべく「俺らのルーツに迫る」「自分たちの血の中に潜むリズム・音階で世界に挑む」と、アイヌ、琉球、朝鮮半島の音楽要素までを取り入れていく。さらに、阪神大震災のときは、彼らの地元関西を活気付けようとチンドンユニットを結成して神戸を行脚。次第に使う楽器の数も増え、サウンドは多様化していくのだが…すべてがニューエストモデルであり、ソウルフラワーユニオンなのだ。とにかく徹頭徹尾、自分たちであることを見失わず、筋が通っている。本当に心のそこからリスペクトできるアーティストなのだ。
なんで、彼らはここまでマイナーなのか?やっていることは相当偉大。個人的には東アジアナンバーワン。でもマイナーだからこそ貫ける信念もあるのかも?アーティストにとっての幸せってなんなんだろうね。と、そんなことまで考えさせられるのが、ニューエストモデルである。たぶんあと30年たっても、おいらは彼らの音楽を聞くだろう。