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ワールドカップ番外偏 2

2010-08-02 03:38:49 | ケープタウン
決勝とピアに会うためだけにヨハネスブルグに来たわけではない。今、ソニアがリンポポ州のSibasaに修士の一環としてフィールドワークをしに戻ってきている。ソニアはニューヨークシティ出身で数年前にモザンビークを旅したときに会い、ケープタウンへ戻る途中、彼女を訪問すべくSibasa(シィバサ)に寄った。ソニアはその頃、アメリカのボランティア団体Peace Corpsから派遣され2年間シィバサのwww.tvep.org.za TVEPというNGOで働いたあと、ニューヨークへ戻り修士をはじめ、今TVEPに2ヶ月戻ってきている。


アボカドが安い。ケープタウンでは取れない。


鶏も安い!一羽350円ほど。

長距離バスに乗ってワールドカップ開催都市のひとつポロクワネを経由しThohoyandouへ8時間かけて到着、そっから5キロほどで終点のスィバサ。久しぶりの再会にグラスを傾けた。ソニアはTVEPの敷地内にあるキャラバンに泊まっており、4年前に住んでいたところより随分広く、歩いてオフィスまで1分。翌日、彼女は休みをとってくれたので4年前にチャレンジして辿りつけず断念した聖なる湖Fundudzi(フンドゥツィ)へ再チャレンジ。ミニバスで険しい峠道を登り、湖近くの村で下車。そこから歩くのだが、渓谷に見える湖は近いように見え果てしなく遠く、前回は夏だったのでそのうだるような暑さの中、断念し引きかえした。今回の再チャレンジを彼女が提案した時は、実際辿りつけるとは思ってなかったが、その精神がおもしろくそれだけでそのアイデアにのった。

同じく峠道を登りながら笑みを浮かべずにいれなかった。シィバサなんて彼女にあっていなければ絶対くるはずないし、ましてや2度も訪れ、さらに聖なる湖にもう一度チャレンジするなんて思いもしなかった。4年前の記憶が蘇った。全く同じ村で下車し土道を歩き始めた。でも、今回はその村に住む男性サミュエルがちょうど下車し、僕らを湖へ導いてやるといった。しかも、彼は近道を知ったので最短で湖に向かうことができた。



それでも、かなりの道のりで1時間半ほど獣道を歩いてやっと湖にでた。まさか、本当に来れるとは思わなかった。



ガイドブックに載っている聖なる湖。なんてことはないただの湖である。でも、4年越しで何とかたどり着き達成感はひとしおだった。何か伝説としては大蛇が住んでいてどうのこうのらしい。帰りは違う道を登って戻り、前回に断念した場所について背後の湖を振り返るとそんなに遠くに見えなかった。4年前は拒まれたのだろうか。



結局、ソニアのとこに3泊し、ソニアと同僚がポロクワネに仕事で行くタクシーに便乗した。ソニアの同僚が僕の横に座っていたが、スィバサの王様の娘、プリンセスだった。車の中じゃなかったら、片膝ついてナイトの称号で貰いたかったが、車の中なので普通に挨拶した。当然だが、プリンセスは普通の格好(ジーパン)している。ポロクワネでソニアに別れを告げ、ヨハネスブルグ行きのミニバスを拾った。

バスもあったが出発まで2時間あったし、少しでも早くヨハネスブルグへ戻りたかった。ミニバス結局、3回も乗せかえられやっとヨハネスブルグへ到着。パーク駅の二階にあるミニバス乗り場に到着するのだが、凄まじいひと。地元振りしようにも絶対無理だが、とにかく自信ありげに、全く動じない様子で平然と歩くように努め、一体どこへ行けばいいのやらと思いながら、見た目には行き先しっかりわかっているように見えるように歩いた。ダウンタウンのパーク駅からサントンなどのシティに行くのは用意ではない。電車はそっち方面に走っていない。

数人がどこ行ってんだと話しかけてきたが、抵当にあしらっていたが、どうやったらサントンにいけるのか全くわからないので一人の男にサントンへ行くミニバスがあるかと聞くと、乗り場まで連れて行ってやるというので一緒にあるいた。その男性と世間話をしながらまるでその道を幾度となく歩いたように歩き、別のミニバス乗り場へ到着しサントン行きのミニバスを見つけた。彼にチップを払いミニバスに乗りむ。

ポロクワネからヨハネスブルグへのミニバスは凄まじい荷物に埋もれ、足もほとんど動かせず、鼻を垂れた子供は僕にもたれ寝り、車内で飯を食う人たちのポテトチップスのにおいが充満し、しかもクワイトと呼ばれるアフリカ音楽を爆音でかけられ苦しんだが、パーク駅からサントンへのミニバスはジャズっぽいピアノがかかっており、サントン行きのミニバスは違うなと適当に解釈した。

ピアの会社はサントンのショッピングモールの隣にあるので、モールで本読んだりして6時ぐらいにピアの会社に行ったらピアはまだ仕事していた。彼の部屋は2階の窓際で外に立っている僕を見つけるなり中指を突き立てるピアは1階に下りてきて僕を入れてくれた。ビル全体がピアが働く法律事務所であり、Litigation(という用語を使っていた。辞書では訴訟となっている。)関係では南アフリカ1、2の事務所らしい。



数年前にヨハネスブルへ引越し、シニアマネージャとして雇われ、奴曰く、知性と売春婦波の重労働でダイレクターに昇進、まだ30代半ば。会社専用のシェフがいて毎金曜日に次の週のメニューがEメールで送られ、バーも完備、冷蔵庫の飲み物、サンドイッチも勝手にとっていい。しかも全てただ。でもその恩恵が受けれるのは社員でも弁護士だけとのこと。ピア曰く、無料だが実際無料じゃない。血と汗で払っていると。

ピアのオフィスはこれまた、ピアのアパート同様なきれいに片付いている。本棚にはフセイン、サタン、サウスパークの人形が飾られている。ピアのオフィスの外ではまだ、秘書や他の人が働いているがピアの口調は全く変わらず、汚く卑猥な口調で僕に質問を投げかけ、僕は同様な口調で返答する。ドアは開けっ放しで筒抜けだが、秘書は繭ひとつ動かさない。馴れてるのだろう。ちなみに彼は親の前でも全く同じ口調。一体どうやって法廷で話しているんだと思ってしまうが、そうとうのやり手に違いない。

仕事が終わり、彼のパソコンを借りて飛行機を予約した。電車より70ランド高いだけだった。ワールドカップが終わり航空券は急に安くなった。予約している途中、ピアは彼女の一人キャリーに電話していた。キャリーは彼女の犬の様態が悪いということを延々と話していた。ピアは電話を胸まで下ろし、日が暮れた外を窓越しに見つめながら首を振っていた。それでも自称紳士な彼は丁寧に返答する。

翌日の夜、ピアの友達でSABC1でニュースキャスターをしている女性の誕生日パーティへと。ヨハネスブルグは大きいので出かけるにしてもたくさんの選択肢があり、それぞれの住宅街も違う。ピアにつれられいくつかのショッピングモールへ行ったり、郊外の住宅街へいったぐらいなのでヨハネスブルグを知っていると言えないが大きなシティであることはわかったし、確かに皆フレンドリーな気がする。

次の日、サントンで開通したハウトレインに乗って空港に行くつもりだったが、かなりの距離があるのにピアは空港まで送ってくれた。感謝のしるしにもならないが彼に絶対彼が楽しめる本をプレゼントした。すごく喜んでくれた。ピアはその日、また別の友人の誕生日パーティに行くといっていた。しかもそのパーティにはディストリクト9で主演女優のヴァネッサ何とかが来ると。「彼女をものにしたら俺は伝説と化す!」と意気込んでいた。

空港で堅く握手し肩をぶつけ合い別れた。飛行機だとケープタウンまで2時間とかからない。全く疲れを感じず到着。ケープタウンの空港も随分立派に変貌した。ワールドカップ直前に開通したIRTシステムのバスに乗ったがこれまたいい。町まで50ランドと普通のタクシーの200ランド以上と比べると安い。難点は町まで直行するので途中下車できない。信号で止まればその隙に下ろしてくれるかもしれないが町まで信号がない。ミニバスを使えば6ランドほどで町に行くが、捕まえるのが難しいのでやっぱりこのバスシステムは便利である。やっとケープタウンへ戻ると晴天で気持ちよくやっぱりケープタウンはいいなと思った。

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