
ベルリン滞在中に一度はお目にかかりたいと思っていた
トラバント(Trabant)、通称 トラビ。
1958年に生産開始された東独の国民車で
黒煙をまき散らす姿は「走る環境汚染」だとか。
ボディが紙で出来ている!とのウワサですが
当時の東独の鉄不足対策による プラスチック製でした。
これが東独時代の終わり頃になると本当に紙パルプを樹脂加工したことから
「紙製」「段ボール製」だと揶揄されたのでしょうか。

↑こんな感じを「東独的」と言うのかな?
注文してから納車されるまで10年とも言われ、何故か
すぐ手に入る中古車の方が高値で取り引きされていたそうです。
なんて悪循環!
ベルリンの壁が崩壊した直後、
たくさんの列を作って西側へ流れ込んでくる映像が
世界中に流れて有名になったトラビ。
その驚くべき「性能」は もはや伝説。
世界で最後の2ストロークエンジン搭載の四輪自動車。
クーラーなんてとんでもない 燃料計も付いていないため
ガソリンの残量はタンクに棒を入れて計ったらしい。
ヘッドライトをハイビームに変える時は
一度車を降りてライトの下のレバーを動かす。
生産されていた91年まで
モデルチェンジらしいモデルチェンジはしなかったというから
自動車業界では化石に近かったのかもしれない。
↓コチラはブランデンブルグ門近く、
お土産物屋さんに展示されていたトラビ。
ベルリンの壁、TV塔、ブランデンブルグ門とならんで
お土産のモチーフになっていました。
Tシャツが何ともかわいくてうっかり買いそうになった私。
東ドイツ終焉の象徴とも言われています。

現在、排ガス規制によってベルリン市内などでは
観光客向けなどの特別に許可された車両しか走れない様ですが
一部 熱烈なファンの手によって
当時はなかったカラーに塗装しなおされたり
改造されてラリー車(!)にもなっているそうです。
トラバント(Trabant)、通称 トラビ。
1958年に生産開始された東独の国民車で
黒煙をまき散らす姿は「走る環境汚染」だとか。
ボディが紙で出来ている!とのウワサですが
当時の東独の鉄不足対策による プラスチック製でした。
これが東独時代の終わり頃になると本当に紙パルプを樹脂加工したことから
「紙製」「段ボール製」だと揶揄されたのでしょうか。

↑こんな感じを「東独的」と言うのかな?
注文してから納車されるまで10年とも言われ、何故か
すぐ手に入る中古車の方が高値で取り引きされていたそうです。
なんて悪循環!
ベルリンの壁が崩壊した直後、
たくさんの列を作って西側へ流れ込んでくる映像が
世界中に流れて有名になったトラビ。
その驚くべき「性能」は もはや伝説。
世界で最後の2ストロークエンジン搭載の四輪自動車。
クーラーなんてとんでもない 燃料計も付いていないため
ガソリンの残量はタンクに棒を入れて計ったらしい。
ヘッドライトをハイビームに変える時は
一度車を降りてライトの下のレバーを動かす。
生産されていた91年まで
モデルチェンジらしいモデルチェンジはしなかったというから
自動車業界では化石に近かったのかもしれない。
↓コチラはブランデンブルグ門近く、
お土産物屋さんに展示されていたトラビ。
ベルリンの壁、TV塔、ブランデンブルグ門とならんで
お土産のモチーフになっていました。
Tシャツが何ともかわいくてうっかり買いそうになった私。
東ドイツ終焉の象徴とも言われています。

現在、排ガス規制によってベルリン市内などでは
観光客向けなどの特別に許可された車両しか走れない様ですが
一部 熱烈なファンの手によって
当時はなかったカラーに塗装しなおされたり
改造されてラリー車(!)にもなっているそうです。