SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

Joao Gilberto 「Desde Que O Samba E Samba」

2011年07月16日 | Guiter
そっと耳をそばだてて聴く。
このジャケットもその聴き方を示唆しており見事な出来映えだ。
これはご存じボサノヴァを生み出した一人であるジョアン・ジルベルトの傑作である。

これをジャズといえるかどうかはわからない。
ボサノヴァはボサノヴァというジャンルであって(或いはサンバの一種であって)ジャズではないはずなのだが、かつてジャズテナーの名手スタン・ゲッツとこのジョアン・ジルベルトが組んで発表した「ゲッツ/ジルベルト」が大ヒットしたために、ボサノヴァはいつしかジャズの一種としても捉えられるようになった。
しかしこのアルバムはジョアン・ジルベルトのギターと囁くような歌声だけのシンプルな構成になっており、ジャズとはかなり縁遠いところに存在している。
だからというわけではないが、これが全てのボサノヴァアルバムの原点だといえるような気がするのである。
少なくともこれを聴かずしてボサノヴァは語れない。


さて話は変わるが、今日もメチャクチャ暑い。
今年は梅雨があっという間に終わってしまったので夏好きな私にとっては嬉しい毎日が続いているのだが、こんな歌を聴いているとそんな盛夏の喜びが倍増してくるようだ。
今も窓から遠くの山並みに入道雲がかかっているのが見える。
私は何を隠そう大の入道雲ファンで、以前は「入道雲マニア」というブログも書いていたことがある。
この時期になると、夏休みの絵日記帳に描きたくなるような風景を見つけるとカメラで撮りまくっている。
先日も近くの礒海岸から遠い島の横に形のいい入道雲を見つけ、夢中でカメラで撮り続けていた。
入道雲の何がそんなにいいのかとよく人に聞かれるが、「夏」そのものの象徴のような気がするから好きなのである。
夏そのものの象徴といえば、ボサノヴァもそうだ。
単純なシンコペーションによるリズムと呟くような歌声は、真っ青な海と夏空によく似合う。
気怠さも暑さと比例して高まるあたりが快感なのだ。

私にとっては入道雲とボサノヴァがある限り、夏はいつまでも終わらない季節なのである。

CARMEN McRAE 「VELVET SOUL」

2011年07月11日 | Vocal

うまい!というのはこういう人を指すのだ。
エラにしてもサラにしてもあんまり大物すぎる?のであまり聴く機会もないのだが、カーメン・マクレエも久々に聴いてみるとやっぱり納得させられてしまう人の代表格だ。
まぁ、貫禄勝ちといった感じである。

クールなレイ・ブラウンのベースに乗って「Nice Work If You Get It」が始まる。その第一声を聴くだけで、こりゃあいいなぁ~、と実感すること請け合いだ。
このくらいのテンポ(ミディアムテンポ)が一番スイング感を感じる。
しかも歌詞の一音一音をはっきり発音しているせいか曖昧なところが一つもない。
そこに単音をくっきり出すジョー・パスのギターが絡むのだから、まるで絵に描いたような出来映えだ。

しかし、何といっても彼女の真骨頂はバラードである。
特に「Inside A Silent Tear」は私のお気に入りだ。
彼女の歌声は、まるで温かい海風が頬を撫でるように通り過ぎていく。
ギターとの絡みも抜群。
極端に感情を出すでもなく、かといって押さえすぎず、聴き手と絶妙な関係性を築いている。
こうしたところが「うまい!」といわせる要因だ。

アルバムも後半になるとずいぶんポップな感じになる。
ズート・シムズも登場し、いつになく爽やかテナーを披露する。
こちらも聴きごたえありだが、私はやはり4ビートの曲に魅力を感じる。
やっぱりこういう大物チームの演奏はど真ん中で聴きたいのだ。




PETE JOLLY 「Sweet September」

2011年07月08日 | Piano/keyboard

先日友人が「これはすごくいいからぜひ聴いてみてくれ」と手渡されたCDがあった。
最近の欧州ピアノトリオで、ロマンチックなジャケットだった。
彼には「わかった」とだけ告げて、家に持ち帰って聴いてみた。

一通り聴いてみたが、どうにもピンと来ない。
まだまだ聴き方が浅いからなんだろうと思い、再度聴いてみた。
彼のいうこともわからないではない。録音がいいためにピアノの音が澄んでいるし、旋律もメロディアスだ。
ベースやドラムスも何か目新しさを加えようと努力していることが窺える。

でも何かが違うのだ。
私は欧州ピアノトリオも好んでよく聴くが、このトリオは魂を揺さぶらない。
少なくとも今日の気分ではないということだ。
私が今聴きたいのは、もっとストレートにスイングするピアノトリオだ。
軽快で心地よく、誰でもジャズを聴いているという喜びを感じられるようなピアノトリオだ。

そう思ってCD棚を漁っていたら、このCDが目にとまった。
ピート・ジョリー63年の録音盤「スウィート・セプテンバー」である。
この人の聴き方は簡単。
レッド・ガーランドを聴く時と同じような姿勢で聴けばいい。
何も難しいことを考えず、ただリズムに身を任せているだけで幸せになれるのだ。
こういうノリが今の時代に欠けているのである。
もっと物事を単純に考えよう。

CHET BAKER 「Stella By Starlight」

2011年07月03日 | Trumpet/Cornett

約1年ぶりにこのブログに新規投稿している。
復活したのはこれで2回目、またいつやめるかわからない。
気が向いたのでちょっと書こうかという気になった。

今夜はチェット・ベイカーを聴いている。
このジャケットはオリジナルではないが、オリジナルよりもいかしているので棚から取り出す機会が多い。
ジャケットとはそういうものなのだ。何でもオリジナルが一番ということではない。

さて何だかんだいっても、ジャズは孤独でアンニュイな世界が似合う。
その代表格がこのチェット・ベイカー。いい方を変えれば彼の生き方そのものがジャズだったともいえる。
まるで昔話を語り出すような「Deep In A Dream」や「Once Upon A Summertime」を聴けば、誰でも納得するはずだ。
この気怠さを感覚的に「よし」とする人でなければ彼のファンにはなれないし、真のジャズファンにはなれないのではないかと思う。
そこには上手下手などという次元では言い表せない彼の特異性が浮かび上がってくる。
ジャズメンはこうでなくてはいけない。

要するにジャズの面白さは、演奏を超えたところにあるヒューマニズムにあるのだ。
そこのところをわかった上でこのアルバムを聴いてもらいたい。
一度はまるとどうしようもないくらい好きになるのがチェット・ベイカーという人なのだ。

LENNIE TRISTANO 「Lennie TRISTANO」

2010年07月07日 | Piano/keyboard

何とも不気味なジャケットだ。
手に入れたのはかなり昔だが、このジャケット故になかなか手を出せなかったのは事実である。
邦題である「鬼才トリスターノ」というタイトルもそれに拍車をかけていた。
どうしようかさんざん迷ったあげく、でもやっぱりこの作品を知らずしてジャズを語れないような気がして、思い切ったのを覚えている。
家に持ち帰って聴いてみて、ああ、何でもっと早く手に入れなかったのだろうかと反省した。

このジャケットや邦題がぴったりくるのは最初の4曲(A面)である。
「Line Up」では、追いかけてくる何か得体の知れないものを振り切るように、彼は全力で疾走してみせる。
どこかマイルスの「死刑台のエレベーター」を思わせる雰囲気が漂っているが、このハードボイルド感は、他のどんなジャズメンにも出せない特異なものだ。
打って変わって「Requiem」では、思わず頭を垂れたくなるような鎮魂歌が厳かに演奏される。
レクイエムとは死者のためのミサのことのようだが、彼は全身全霊を込めてこのテーマと向き合っている。
全てのジャズの源流はこういうものなのかもしれないと思わせるところがすごい。
続く「Turkish Mambo」では不安をあおり立てるような変則的なリフが印象的なナンバーだ。
「Requiem」もこの「Turkish Mambo」もピアノソロ(正確には多重録音)であるにもかかわらず、そのぶ厚いサウンドには目を見張るものがある。
「East Thirty Second」は「Line Up」を彷彿とさせるかのようなアップテンポの曲であるが、硬質なピアノの音が部屋の中に響き渡り、再度緊張感が高まってくる辺りが痺れる所以だ。

以上4曲はこの作品のハイライトであるが、これはテンポを速めてスーパーインポーズしていることばかりが話題になっていて、彼が創造する音世界のすばらしさに関してはあまり取り上げられていないような気がしていて残念に思っている。
私はレニー・トリスターノの独自理論には興味がないが、音のクリエーターとしての彼は高く評価している人間だ。
それはまるで良質なインスタレーションの中にいるようで、全身でその音空間を感じることができるからなのである。

5曲目以降は、最初の4曲とはまるで正反対の寛ぎに満ちている。
最初の4曲があまりに緊迫感があるために、何だか拍子抜けしてしまう感じは否めない。
ただ、これはこれで悪くない。
リー・コニッツの優しいアルトのお陰で、トリスターノのピアノも色気さえ感じでしまうほどに柔らかい。
結局、この作品は多重人格のような形に仕上がってしまった。
でも結果オーライ。
誰にでもこんな二面性があるはずなのである。