15日に続く10月29日(土)、曇り。
前回は、今の千川通りがかつての千川(小石川)という川だった、という発見をし、その跡をたどりました。
ところが、その川の「最後」がどうなっていたか、前回の古地図では、右に直角に曲がってそこで切れています。
この終わり方をどうしても知りたくて、再び小石川に来ました。
ただ流れから見て、現在の神田川に流れていただろうことは容易に想像つきます。
問題は、神田川にどのように合流していたか? 今回はそれがテーマです。
ネットで調べるうちに、ゴール(神田川の合流地点)がわかりました。
それはこちら。
JR水道橋の前にある神田川の一部分にある船着き場が、かつての小石川の合流地点だったそうです。
残念ながら、川が流れてきた跡は現在完全に塞がれています。ここに川の河口があったなど、誰も気づかないでしょう。
その場所は地図上ではこちらです。(赤丸部分)
ということは、地図上で青色にたどっているあたりが、川だったのだろうと想像つきます。
かつてここは後楽園球場。この青色ラインは、まさしく後楽園球場の中を突っ切っていたようです。
(写真右側が後楽園球場、左側は後楽園競輪場)
(国土地理院の1980年上空地図)
ところが、現在の東京ドームシティをみると、
なんと、まさにこの部分は水路になっているではありませんか。
(上の現在地図で青色ペンの下に、水路が見えると思います)
実際をみると、このような階段状の水路になっています。
かつて小石川が流れていたことを設計者は意識したのか? それとも偶然なのか?
設計者に聞いてみないとわかりませんが、結果としてかつての小石川として川が流れていたルートに、
今、形を変えて再び水路が現れたと言えます。
さきほどの「河口」からドーム側を振り返り、ここに川が流れていたことを想像したり。
(終わりに)
かつて河川だったところが今は道路になっていたりするのを暗渠(あんきょ)といい、
(本家本元の)ブラタモリでは暗渠がよく紹介されています。
世の中には「暗渠マニア」という趣味の人もたくさんいるようです。
私の当面のテーマは「江戸の原型を知ること」なのですが、
そのためには、今はない川の跡をたどることが大きなヒントになることがわかりました。