果てのある路

ささやかな想いをエッセイで…

2014年の読書

2014-12-31 07:55:00 | 読書関連
今年は、40冊ほど読んだ。
その中からの、マイ・ベスト10。


 1位「アンのゆりかご――村岡花子の生涯」:村岡恵理

 2位「天の梯」:高田郁
   「美雪晴れ」:高田郁

 4位「下町ロケット」:池井戸潤

 5位「危機の宰相」:沢木耕太郎

 6位「銀二貫」:高田郁

 7位「曲がり角のその先に」:村岡花子

 8位「芙蓉の人」:新田次郎

 9位「出世花」:高田郁

 10位「漱石に学ぶ心の平安を得る生き方」:茂木健一郎


今年のマイブームは、村岡花子と高田郁であった。
村岡花子については、以前掲げたとおりである。
再放送されているアニメ「赤毛のアン」を観るたびに、
(高畑勲演出も見事だが)心洗われるような感動を得るし、
この原書を戦時中、命懸けで守った花子さんの当時の年齢が、
今の私と同じだというのが、何とも感慨深い。

一方、高田郁。
『みをつくし料理帖』が、どのように幕を閉じるのか、ハラハラしながら見守っていたが、ファンの心を決して裏切らず、全く見事としか言いようがない。
同率2位に掲げた「天の梯」「美雪晴れ」は、その最終巻と最終前巻である。
ひとつの手こぼしもなく、伏線を全て回収し、
なおかつ、最後まで胸膨らむような希望と、感動に満ちた話だった。

 どんな人生でも、マイナス0のままプラス100まで積み上げられはしない。
 全ての人に、必ずマイナスはあるのだ。
 マイナス100から、プラス200の努力をして、
 プラス100の結果を得た澪ちゃんの姿は、
 だからこそ人の胸を打ち、温めるのだ。

ひるがえって私たち現代人は、他力でプラス50を与えられておきながら、他人のプラスを妬んで傷付けたり、自らの傲慢と怠惰と狡詐によって、果てしなくマイナスに落ち込んでゆく、冷え冷えするような人生を、送ってはいないだろうか。

様々なマイナスが、人間の心を蝕まないように、
プラスを得るチャンスが、全ての人々の元に、
それぞれに訪れることを、願う。
そして、自分の元に来たささやかなプラスに、
人々がきちんと気付くことを。



2014年も、暮れてゆく。
どうか皆様、良いお年を、お迎えくださいませ。 
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『軍師官兵衛』如水という生き方

2014-12-22 13:07:04 | つぶやき
昨夜、最終回を迎えた大河ドラマ『軍師官兵衛』。

以前にも書いたとおり、
黒田官兵衛も、岡田准一も、双方ともに大好きな私にとっては、
夢のような一年であり、毎週楽しみに観ることができて、幸せだった。

最終話で、まさか「天下は天下の天下にして――」が聞けるとは、意表を突かれた。
家康と如水の、胸襟を割っての対話には、胸を打たれた。

そして、
「子に越えられる親というのは、悪いものではない」
というテーマが、胸に沁みた。

 悪いどころか、親として、最高の幸せではないかと思う。

黒田官兵衛という人物の生涯は、祖父・重隆に始まって、
息子・長政の52万石に収束していった。
日本史にいぶし銀のような輝きを残した黒田家の、忍耐強く賢明な家風に、
一貫して脚本の主軸が置かれてあったなら、
この大河ドラマは、非常に感動的な名作になったはずだ。
そして、ドラマで省略されてしまった官兵衛の晩年は、
権力や政治からは距離遠くとも、夫婦相和し、周囲から慕われ、
心穏やかで、豊穣なものだったという。
人間にとって真の幸せとは何か――普遍的テーマにも肉薄し、
現代人への応援歌になったはずだ。

その意味では、散漫だった脚本(演出?編集?)がつくづく残念だが、今回完成したこのドラマは、これはこれで戦国末期を描いた群像劇として、及第点なのかも知れない。

黒田如水の人生。
苦難の連続により、生来の知性と人間性を、珠玉のように磨き上げていった59年の生涯。

竹中半兵衛、小早川隆景、藤吉郎時代の秀吉など、知己に恵まれ、
家来や領民からの敬慕も厚く、
満ち足りた辞世を残して逝った、その生き方。

『軍師官兵衛』は、人間・如水の魅力の半分も描かれていなかったが、
ラストの岡田准一の姿は、良かった。

まるで如水が降りてきたかのように、透明で、なおかつ豊かな笑顔で・・・・。
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村岡花子という光

2014-12-01 15:42:33 | 読書関連
朝ドラ『花子とアン』は、たまにしか見なかった。

しかし、村岡花子という人の一生には関心を抱いたので、
ドラマの原案となっている、『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』を読んだ。
非常に感動し、引用されていたエッセイにも惹かれ、エッセイ集と童話集も読んでみた。
(『腹心の友たちへ』『曲がり角のその先に』『想像の翼にのって』『たんぽぽの目』)

村岡花子イコール『赤毛のアン』シリーズの翻訳者、
という私のそれまでの認識は、間違いであったことに気付く。



 アンだけでは、なかった。

 ヘレン・ケラーやナイチンゲールなどの伝記も、
 『フランダースの犬』や『小公女』や『若草物語』や
 『幸福の王子』『アンクル・トムの小屋』etc.

 私が小学生の頃、読んで感銘を受けた本のほとんどが、
 この人の翻訳であったとは、迂闊にも知らなかった。

 この人が、
 幼い私の前の道を照らし続けてくれた、
 光だったのだな――



感謝と敬慕の気持ちが、数多のエッセイを読むごとに、募っていった。
明治から昭和半ばまで、関東大震災や東京大空襲を乗り越え、
激動の時代を生きた気骨。
知性と言語感覚、優しさと潔さ、温かい母性。
 
この人の真心に、幼い私の心は育てられたし、
日本中の多くの人々の中にも、きっと花子さんの真心は息づいていることだろう。

『花子とアン』の総集編を観た。
朝ドラとして、最高の名作ではないかと思う。

だが、史実の村岡花子の生涯は、
ドラマよりも、もっと劇的で、
爽やかな豊かさに、満ちていたのだ。
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