ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

どっちでもいい/どっちでもよくない。

2008年10月04日 | blog
デザインの現場というのは、すべからく「選択」の連続だったりするのですが。

よくあることなんですが、仕事をしていると、「これはどっちでもいい」という選択肢があります。

どっちでもいいんです。どっちもあり。どっちでも、おかしくはない。どっちを選んでもマチガイはないし、どっちを選んでも問題ないし、どっちでもまぁ、体勢に影響はない。

というような選択が昨日もあったんですが、でもそのとき、わたしは確かな違和感を感じてしまったのです。

「どっちでも、よくない」。

いや、たしかにどっちでもいいんですが、でも、どっちかが選ばれるわけです。

メイカーにいると、よく「その企業らしさ」とか、「アイデンティティー」の話になるのですが、
そういうことって、なにげないふだんの「どっちでもいいけど、どっちを選んできたか’」で決まるのではないか?

だって、自然にどっちかが、選ばれてきたんです。
そういう選択を、幾度となく繰り返してきたんです。
一回ではない。繰り返してきたことに、意味があるんです。

どっちでもいいものの、「どっち」を選ぶか。というのは、まさに「キャラクター」そのものであって、
その繰り返しには、いつのまにか、確かな「方向性」、デシジョンが含まれているのではないか?

一見どんなに「どっちでもいーよ」とおもわれるようなことでも、
じつはものすごく、その選択が大事なのではないか。

まだぼうっとして、うまく仕事に馴染めていないのですが、
なんだかそんなことを感じてしまった秋の空でした。

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4 コメント

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Unknown (りん)
2008-10-05 05:07:54
そうですねー。

ところで
すべからくは、これすべて
の意じゃないですよー。
「ぜひすべき」です。
ごめんなさい。今後への老婆心。
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Unknown (passaby)
2008-10-05 16:50:16
こんにちは、通りすがりです。
最初、「どっちもよくない」と誤読してました。

言葉にはならないけど、その選択にはその企業なりの必然がある、ということですよね。明文化されたデザイン・ポリシーによる選択、方向付けとは異なる……
ミーム(文化的遺伝子)なんて言葉を思い出しました。

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Unknown (詩人)
2008-10-06 21:43:47
すべからく、そうですか。
ずっと誤解していました。

ところでわたしは、こういうマチガイを発見したときは、言いたくなる気持ちを抑えて、意識してぐっとがまんして、言わないことにしています。

ともだちだったら、あとでふたりきりのときに、こっそり教えます。

ちょっとしたまちがいでも、親切心でも、たいしたことでもなくても、皆の前でマチガイを指摘されるのはへこむものです。

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Unknown (りん)
2008-10-07 07:15:18
再びに言いますね。老婆心でしたごめんなさい。

ところでわたしは、こういうマチガイを指摘されたときは、恥ずかしい気持ちを抑えて、意識してぐっとがまんして、笑ってありがとうと言うことにしています。

ともだちだったら、自分のために言ってくれたと思います。

ちょっとしたおせっかいでも、反論でも、照れ隠しでも、皆の前でキモチを拒絶され無神経だと指摘されるのはへこむものです。(笑)


こういったマチガイを誰彼なく伝えるわけではないのでご心配なさらずに。相手のキャパを考えて。
今回は繊細な詩人さんを相手にキャラクターを見誤ってしまいました。私の誤りです。
ごめんなさい。
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