ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

わたしのデザイン。

2006年08月18日 | blog

ジャスパー・モリソンには「デザイン・ウイルス」と言われ、
柳宗理には「デザインしたものは醜い」と言われて、
あたまにきてショックをうけて、動揺していました。
真実は、ひとを深く傷つける。

でも、もうだいじょうぶ。

私は、インハウスデザイナーとして、
私にできる、最良のデザインをします。

アノニマスもスーパーノーマルも、
デザイン家電もどうでもいい。


告白しておきます。
なぜ私が、GUI デザイナーになったのか。

いわゆる工業デザインを、「捨てた」のです。

半年に一度、差別化のための差別化で、
無意味なバリエーションを作り続けることに、
耐えられなくなったのです。

そして、そういう
「かっちょいいスタイリングをうみだす」才能も、
持ち合わせていなかった。


GUIデザインは、やってみると思いのほか面白かった。
なぜ、おもしろいとおもったか。

それは、「わかりにくい」ものを「わかりやすく」表現することに、
たまらない面白さを感じたからです。

GUIは、そもそも仕様書の段階では、
恐ろしく作り手都合で、わかりにくいものです。

複雑なGUIを持った製品は、
それだけで「難しい」「使いにくい」という印象を、
ユーザーに与えます。

それを、表現ひとつ、言い回しひとつで、
昇華して視覚化して、わかりやすく伝える。

そんなGUIデザインに、希望を感じたのです。


工業デザインにおける、使い勝手の追求は、
実際のところ、デザイナーの良心ひとつに依存しています。

現場にいるとわかりますが、「使い勝手」や「ユーザーに優しい」ことが、
第一義ではなくなる瞬間があります。

「商品性」などといわれる、商業主義のモンスターは、
「差別化」や「目新しさ」の代償として、
「使い勝手」を犠牲にすることがある。

建前はともかく、事実としてはそうです。

そこで、踏みとどまって、
使う人、触れる人のことを考えられるか。

それは、担当デザイナーの良心以外のなにものでもありません。
それだけが頼りになる瞬間が、あるのです。

わたしは、わかりやすいデザインをしたい。
気の利いたデザインをしたい。
おもてなしのあるデザインをしたい。

わたしは、インハウスデザイナーとして、
じぶんにできるだけのことを、
自分に恥じないように、続けてゆきます。


じゃ、行ってきます。

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5 コメント

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ん~ (MJ2040)
2006-08-18 23:38:11
イイ話ですね。



「かっちょいいスタイリングをうみだす」

その中にも

美しくわかりやすく。

そして

美しく使いやすい。



そうしたモノを創りたいですね。

返信する
GUI (Wataru)
2006-08-19 11:30:23
GUIでしかお金をもらった事がありません。



「コッチの方がユーザーにとって使いやすいでしょ」って言いながら自分のコノミを押し付けてみたりする事もあります。



でも作りやすさ以外の事(使いやすさとか)を考える職種は少ないと思うのでがんばろうと思うのです。



ちなみにどこに行ってくるんですか?
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行き先は、 (本人)
2006-08-19 14:08:39


「デザインの現場」に決まっとるがな!
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いい日記ありがとうございます。 (とおりすがり)
2008-02-06 23:31:19
ふと今年にBOSE M3を検索した時に、こちらのブログを発見して
以来かかさず読ませていただいてます。

ずっと「この人の視線好きやなー」と思ってたんですが
思わずコメントしたくなる日記をありがとうございます。

デザインが好きです。
ちゃんと勉強したわけでも何でもないですが、
ルックスと機能をきちんと備えたデザインには
芸術には出来ない
かといって純粋な機能主義にも出来ない
気配りを感じます。

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Unknown (詩人)
2008-02-07 00:03:05
コメントありがとうございます。
ばんばん通りすがっちゃってください。


ところで、BOSEの音=スタバのコーヒー
と表現された方がいて、けだし名言とおもうわけです。
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