21世紀新訳・仏教経典(抄)

西川隆範編訳・桝田英伸監修

自己について-法句経  その7

2010-12-05 20:24:24 | 経典
「この世」より

“この世は泡沫(うたかた)のようだ”と見なしなさい。
“この世は陽炎(かげろう)のようだ”と見なしなさい。
このように、この世を見つめる人のことを
〈死者の王ヤマ〉は見ることができないのだ。


〈施しの心〉がない者は、神々の世界へと赴くことはない。
愚かな者たちは、人々に分かち与えることをよしとしない。
しかし心ある人は分かち合うことを喜ぶので、のちの世で幸福になることができる。



「覚者」より

正しい覚りを開き
思念を凝らし
瞑想に専心して
〈覚者〉は“世間を離れた静寂”を楽しむ。
―その〈覚者〉の様子を、神々でさえも羨む。


あらゆる悪をなさず
限りなく善を行ない
自らの心を清めてゆく
―これが、もろもろの〈仏(覚者)〉たちに通じる教えである。


「〈辱めに耐え、怒りや劣情を忍ぶこと〉こそが最上の苦行である。
〈涅槃(完全に解き放たれた静寂の境地)〉こそ、こよなきものである」
と、もろもろの〈覚者〉たちは説かれる。
他人を害するのは〈出家をした者〉ではない。
他人を悩ませるのは〈道を行く人(修行者)〉ではない。


〈天上の快楽〉にさえ心奪われることのない〈覚者(=仏)〉の弟子は、
〈妄執〉が消滅してゆくのを楽しむのだ。


〈正しく目覚めたよき人(=仏)〉と、
〈その説き示す真理(=法)〉と、
〈それを遵守する賢者たち(=僧)〉とを信じ敬い従う人は、
とらわれのない智慧の眼でもって〈四つの尊い真理〉を見る。
―すなわち、
“あらゆる存在の苦しみ”と、
“〈存在の苦しみ〉の成り立ち”と、
“〈積み上がった苦しみ〉の滅びゆく姿”と、
“苦しみを終わりにするための〈八つの尊い道(八聖道)〉”である。



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