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マシュー・ボーンの「赤い靴」




「赤い靴」といえば、真っ先に思い出すのが子供の頃に親しんだアンデルセンの童話の本だ。

おどろおどろしい挿絵のその話がわたしが大好きだった。


「カーレンはとてもまずしく、くつがかえませんでした。
カーレンはいつもはだしでした。
カーレンをかわいそうにおもった、くつやのおかみさんが、
あかいはぎれでくつをつくってくれました」


赤い布を縫い合わせて作った靴...なんてすてきなのだろう。
やわらかくて、きっとリボン結びで...

その端切れの靴のイメージは、カーレンがのちに靴屋で買うエナメルだかの赤い靴よりもずっと美しく思えた。
なんせそのエナメルの靴は踊りを止めず、くたくたになったカーレンは墓場の首切り役人のところへ行って、足首から下を切り落としてもらうんですぜ。それでも靴は踊りを止めず、足首とともに墓場の奥の方へ踊り去るのである。


しばらくするとTVシリーズ「赤い靴」が始まった。
バレエのスポ根もの。
健気で要領が悪く、もっさりとしていて、しかし才能に溢れた主人公オダギリミホには全くあこがれなかったが、ひたすらトウシューズにあこがれた。

美しい靴というのはフロイト風に言うとあれだが、女性の心を掴んで離さない何かがあるのだろう。ルブタンの赤いソールを見て、ぐっとくる女は多いに違いない。



マシュー・ボーンの新作The Red Shoes「赤い靴」は40年代の映画を下敷きにしている。

ディアギレフ風の芸術プロデューサーに見出され、音楽家と恋愛をし、芸術と恋愛に引き裂かれ、ついに死によって踊りを止める主人公ヴィッキーを描く。

ディアギレフ風の芸術プロデューサー、ヴィッキー、彼女が結婚する音楽家(そして2人はプロデューサーにバレエ団を追い出される)という三角関係は、実在のディアギレフ、ニジンスキー、彼が結婚するバレリーナ(そして2人はディアギレフに追い出される)にそっくりだ。


ヴィッキーの最後は、ニジンスキーというよりも、あまりにもアンナ・カレーニナ的だったので、アンナのオマージュとしてヴィッキーの死を考えてみたがありきたりなことしか思いつきません。

ヴィッキーはなぜ、アンナのように自ら罰を受けるのだろう...愛と芸術に引き裂かれたから? 欲望に忠実な女は社会的に罰せられるのか。

ニジンスキーもそういえば発狂したのだった...


登場人物も舞台装置も音楽もそして赤い靴を象徴に使ったギミックもすべてとてもとても魅力的でとてもよかった。
大人のバレエ。



数日後に、ナショナル・ポートレイト・ギャラリーで開催中のPicasso Portraits展を見たのだが、ピカソの描いたバレエ・リュスの面々のカリカチュアがあり、にんまりせずにはいられなかったのだった。天才を描いた天才ピカソ。



(写真はthegurdian.comより)
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