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西遊記 第11話(最終回)天竺!愛と勇気と感動の最終回!!未来へ

2006-07-02 | 西遊記
天竺にたどりついた三蔵とお供の三人。しかし妖怪はその「門」を通れないとあって、「三人」と三蔵は、お別れの言葉を交わします。


西遊記 第11巻「天竺!愛と勇気と感動の最終回!!未来へ」
三蔵法師/深津絵里 孫悟空/香取慎吾 沙悟浄/内村光良 猪八戒/伊藤淳史
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天竺「大雷音寺」はすべての「お経の総本山」。ところがそこで働くものたちは、下界の混乱を知ることもなく、不幸をあざ笑い、なんの役に立たない「お経」を朝から晩までよみふける毎日。それでも三蔵は、「天竺のヌシ」の前にひれ伏し、最後の断食修行を試みますが、「あんなやつらのいうことを聞くな」と駆けつけた悟空が、三蔵を救い出し、天竺で大暴れ、「お経は人の心にある。田畑を耕す汗や墓場に見送りにいく親族の瞳に大切なものがある」なのにおまえたちはやみくもにお経を信じ、人の心を見ようとしないと三蔵は、天竺のヌシに三行半を突きつけます。

とほうにくれた三蔵らの前に、ひとりの老人が現れます。ひょうひょうとした動きでなにやら不思議な術を使い……そしてどうやらその人が「釈迦如来(通称、お釈迦さま)につながる人」であることがわかります。

釈迦の化身であるその人は、「文字でかかれたお経はホントウのお経ではない。いままで三蔵が旅をし、感じたこと見たこと悲しんだことの中にある、その『心』と、『文字のお経』、この二つが、一つに重なったものが、ほんとうのお経である」と説き、「天竺の山門を壊して来い」と言い放ちます。

しかしどうやら渡されたお経にはいつのまにか文字が消え(白紙)、天竺をあとにした三蔵は、「現世の旅を続けること」(姿が見えぬお釈迦サマを追いかけること)と「経本を翻訳すること」という、新たな試練を与えられ、旅はまだまだ続くという終わり方。

「お釈迦様がさらわれた」という決着は、いろいろな意味を含み「原作の奥深さ」を象徴するようでも。お経の文字が消えた……というのもなにやらいまの世相を映しているようで含蓄が。全11話、孫悟空の口上と妖怪退治がやや前面に出た感じでしたが、「腐敗した天竺の山門を破壊せよ」と、いいきった最終回「お釈迦サマ」の存在は引き付けるものが。

もちろんこれは原作あってのリメイクですが、孫悟空や三蔵そして最終回のお釈迦サマなどに見られる「言葉の生命力」は、このシリーズが独自で生み出した「オリジナル」であり、信仰にこだわらずとも、素直な気持ちで楽しめた人が多かったのでは。(ドラマの視点)


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