川代・浅間山(あさまやま) 栄行真山(えいぎょうしんざん)
【データ】 川代・浅間山 279メートル(国土地理地図に山名無し。川代集落の南の279標高点)▼最寄駅 JR外房、内房線・安房鴨川駅▼登山口 千葉県鴨川市川代の熊野神社先の籠堂▼石仏 浅間山山頂、地図の赤丸印。青丸は籠堂、緑丸は勝福寺▼地図は国土地理ホームページより
【案内】 栄行真山は、明治8年に108度目の富士登山を達成した鴨川市磯村の富士行者。『富士をめざした安房の人たち』(注)によると、「安房のなかにある浅間宮に観音札所のような番号をつけて、広く知らしめよ」という浅間様のお告げをうけ、108度登山を機に鴨川市磯の浅間宮を1番として改めまつるべく、鴨川、南房総市、館山などの安房地方で実施したという。また「各地の浅間宮には、お伝えの中の拝みうたがあてられ、場所によっては、番号とうたが記された石碑や木札が残されている」という。そのなかの鴨川富士に残された76番と93番の拝みうたはこのブログの鴨川富士で案内した。〝お伝え〟は浅間様への拝み方を記した富士講の経典。
房総の最高峰・愛宕山から東に連なる丘陵には、国土地理院に地図に記載された嶺岡浅間が知られている。ここからさらに東にあるのが川代・浅間山。登山口は川代の集落から丘陵に通じる林道の途中の籠堂。しばらく登ったところにある石祠が石尊権現で、脇に「小御嶽石尊大権現 大天狗 小天狗」銘の石塔が立つ。
急な坂道をジグザグに登ると「冨士山三十三度 大先達慶行弘山碑」「冨士山六十六度 大先達仙行貴山碑」の石碑があり、石段を登って浅間宮の境内となる。ここに立つ石造物には、すべて穐行日穂が講祖の山水講の講印「水」が入る。境内正面の浅間石祠の脇に立つのが栄行真山の石碑で、「第二番 見るに阿かぬ雪 うち加くる 冨士能山 多々白妙尓 心婦加くも 行年七十九歳榮行真山(花押)」のお伝えが刻まれている。栄山真山は明治15年、85歳で亡くなる。
(注)舘山市立博物館『富士をめざした安房に人たち』平成7年
(参照)偏平足ブログ「山の石造物・富士信仰」
【独り言】 12月の25日の昼近く、川代集落の奥に鎮座する熊野神社と隣接する勝福寺では、集落の人たちが出て掃除中でした。年末恒例の顔をだすのが決まりの作業らしいのですが、こんなとき何もしないでタバコをふかしている年寄が必ずいるもので、そんな人に浅間山の様子を聞きました。話によると、この日の早朝には浅間山の参道の掃除をしてきたとか。その登山口には籠堂があって、いまでも8月の1日に祭礼があるそうです。掃除が終わった毘沙門堂に登ってみると、朝から燃やしていたのでしょうか、ホダ木はほとんど灰になり、名残の煙がお堂にただよっていました。石段の先の親柱には石仏が浮き彫りされ、いい風景だなと見とれてしまいました。時代を超越したこの国の風景がここにありました。歳のせいか、ちかごろこういう風景を見ると心が和みます。
籠堂から浅間山の参道の雑草は刈られ、祀り場には注連縄が張られ、石祠には注連飾りが付いて、あとは正月を迎えるだけという風景を見るのも心が引き締まります。