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2017-07-18 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 18 越前の諸道』★★★

http://publications.asahi.com/kaidou/18/index.shtml

連休を前倒しして帰省+小旅行
もちろん司馬遼太郎持参だけど、19以降がまだ手元にない・・
同時進行読書で長嶋有を挫折・・
他に興味がなく依然司馬ワールド

しかし19も残りわずか・・そこで考えているのは江國香織
むふ!
あまりにも世界観がちがうから新鮮に感じるかなと。
この現状を楽にするためのバイブル(・・死語?)

と旅をする前に記した。

溜まりに溜まった旅の写真を整理して3000枚からスタート☆



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道元の時代の中国では、「倭」は土俗めいた呼称になり、日本という正式なよび方は十分知られていた。たとえば道元より半世紀のちのうまれであるマルコ・ポー
ロが、『東方見聞録』の中で、「日本」(チパング)という呼称を用いている。
しかし一方、どの文献であったかいま思いだせないが、当時、南中国の海岸地方のひとびとは、土俗として、日本人のことを「ワクワク」(倭国倭国?)とよんでいたという。たとえばアラビアの航海者がきて、潮洲あたりの港で月代(さかやき)を剃った異風の者を見て、土地の者に、あれは何人だ、ときく。
「あれは、ワクワク」
と、土地の者が答える。
ともかくも道元の当時、中国にあっては、日本および日本人について、正俗両様のよび方がおこなわれていたのである。



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「泰山娘娘」(たいざんにゃんにゃん)

日本も古代から神南備信仰という古神道的なもののほかに、山岳の神異と霊気に依存する信仰があり、その後、密教化した修験者(山伏)が活躍し、こんにちで
も、大和の大峰山や、出羽三山、あるいは富士山などで、その信仰が生きている。
仮りに、霊山信仰とよぶ。
この霊山信仰には道教の影響があるとする考え方がある。思考法としてむろんまちがいはないかと思われる。しかし証拠があるわけではない。



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わたし連続読みが好きみたい・・
そこにくいついてしまう。
ねぇとんとん?「とんとんはとんぼ帰りだよ」
ぶーぶーそしてぷーぷー
りんりんもいたね。



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古代は、神々は里人に祟りをなすものであった。里人が崇めているかぎり、無言であった。里人が不浄をなせば、崇った。
「崇(あがめる スウ)」
「祟(たたる スイ)」
は、文字として似ていて、古書でさえ、よく混同される。しかし、まったくの別字である。といって、意味は背中あわせでもある。



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一乗谷・・想い出深い場所

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