poppo徒然画帳

思いつくまま、徒然なるままに、絵や画像とともにつぶやきます。

白か黒かのリスクコミュニケ―ション

2012年01月02日 | Weblog

 12月30日、朝日新聞が「リスク社会を生きる」という連載を始めた。時機を得た取り組みだと思う。3・11後のこの国で、おびえ過ぎず、楽観もせず、リスクと上手に付き合うには、どうすればいいのか。リード部分でそう記事は書いている。

 リスクという言葉は日本語にするのは難しい。一般には「危害度」とか「危険性」とかいう意味合いで使われることが多い。安全性を確保する手段・方法に「リスク分析」というのがある。リスクを評価し、それに基づいてリスクを管理するという方法のことである。そして、その評価・管理をする上で重要なことはリスクコミュニケーションを図ることだとされている。つまり、リスク情報を収集し分析し、その結果を提供することを通じて、リスクに関する情報交流を図ることである。

 リスク社会を生きるという連載は、まさにここで言うリスクコミュニケーションの一端を担うということであろう。記事は”「安全神話」崩壊の時代”について、一人ひとりがリスクと向き合うリスク社会について、どのように生きていくかを連載しようとしている。

 白か黒かという安全かそうでないかという二者択一の理論は分かり易い。しかし、白でもない黒でもない灰色の部分をどのように理解し、あるいは説明するかは簡単ではない。記事は「主観的リスク」と「客観的リスク」の分裂として位置づけ、「正しい」情報を伝えれば不安を解消できるという考え方を紹介している。白でもない黒でもない灰色部分のことを指摘しているものと思われる。

 灰色部分といっても白に限りなく近い灰色もあれば黒に近い灰色もある。それはまるで明度表のようだ。その白から黒に至るグレーゾーンはアナログ的にも表現できるしデジタル的に表示することもできる。ただ、人がその灰色部分を語るとき、どのグレードの濃淡部分で話しているのか、受け止める側と同じ濃淡目線になっているかどうかが、重要だ。リスクコミュニケーションについて、「リスクを生きる」連載の今後の展開に期待する。