ブログ四方山話

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台風15号襲来時に見る「日本人の頭の固さ」

2011-09-25 13:51:00 | 雑記

以下は記事の「写し」なのですが、日本人が根源的に持っている「頭の固さ」が出てしまったもんだいであります。

高々、数時間だけ時間をずらせばさしたる問題も起こらなかったのですが、「集団心理」も手伝いまして大混雑が起こってしまいました。

 

・・・・・・・・・・以下記事。

先日、中部地方から東日本を襲った台風15号は、極めて広い範囲に様々な影響を及ぼした。特に名古屋では、100万人を超える市民に対して避難勧告があった。(*1)
 私は東京に住んでいるが、川からは離れており、かつ周囲の土地よりも高い場所なので、洪水などの心配はせずに済んだ。それでも風は強く、何かが飛んでくる危険性は、家にいながらも感じていた。
 ニュースでは電車が運行見合わせの情報が次々と報じられ、ツイッターのタイムライン上には、駅ですし詰めになっている人たちの写真が続々投稿されていた。
 そうした中、あるニュース番組でキャスターが、多くの人たちが駅などで足止めをくっている(*2)ことを指して「首都機能の脆弱さがあらわになった」と口にしたことが気になった。

 都市機能のどこが脆弱なのだろうか?
 もし、台風などによって、送電線が切れまくったり、レールが歪むなどして、数日運行ができない状態になるというなら、それは脆弱と言えるだろう。
 しかし、今回の台風でもそうであったように、今回のような強い台風であっても、ピークさえ過ぎれば電車は運転を再開する。復旧の遅い路線もあったが、大半は当日中には運転を再開していた。(*3)
 電車の運転見合わせは、決して予期せぬ事故ではなく、安全性を見込んだ停止である。そして大きな問題やなく運転を回復したのだから、それはむしろ「鉄道会社は、台風という自然災害に対して、しっかりと対応できていた」と評価するべきだろう。

 私が今回の報道を見ていて不思議に感じたのは、そのニュースを見ていた頃がちょうど台風のピークのころであったのだが、どうしてそのピークの時刻に、わざわざ駅にいて、足止めをくっている人がこれほどまでに多いのかということである。
 東日本大震災で首都圏における帰宅困難者が大量発生したことは、決して不思議ではない。あれは予期のできない大地震であり、地震のあとに帰ろうと思っても電車が動いていないという事態はしかたないと言えよう。
 しかし、今回は台風である。しかも前日あれだけ「名古屋で100万人以上に避難命令が出ている」と報じられていた台風である。台風の進路予想でも、15号が首都圏を直撃することは十分に予測できた。
 また直撃した後でも、東京アメッシュ(*4)を始めとする天気情報を調べれば、そこから数時間で、少なくとも雨だけは止むことも予想できたはずだ。
 にも関わらず、どうして一番雨風が強く、電車が動かないことが明らかな時間帯に、あれだけ多くの人が、駅ですし詰めになっていたのだろうか? もっと早く帰宅するか、会社や出先で天候の回復を待つことができた人も少なく無いはずだ。

 そう考えると、キャスターが「都市の脆弱さ」として提示したものの正体は、決して公共交通機関の脆弱さではなく、大きな台風が直撃する当日であるにもかかわらず、いつものように通勤したり、変える時間になれば風雨のピークであっても駅に向かってしまうような、私たちの行動が硬直していることの問題だということが見えてくる。
 実際、早い判断で社員に帰宅を促した企業などもあり、台風の影響がある前に帰宅できた人も少なくなかったようだ。
 だが、それでも私たちは早い時間に帰宅できない。なぜなら、日本人の多くは勤勉であり、台風で早退することに引け目を感じるからだ。取引先のことなどを考えれば、早退などはできないというのが本音だろう。
 しかし、その考え方は実は勤勉ではなく「怠惰」だと私は考える。
 なぜなら、台風に対応できないことは、すごく非効率的だからだ。
 台風で立ち往生をするのを分かって会社に行き、暴風雨という危険の中を帰ろうとして、駅で電車の運転再開まで呆然としている時間があったら、その時間を仕事なり休養なりに使ったほうが効率的だとは思わないだろうか?
 台風が接近しているときに、出退勤に対していちいち上層部の判断を仰ぐより、社員が自ら家から会社までの距離や交通手段から、出勤するか休むか、早めに帰るか否かを判断できたほうが、効率的だとは思わないだろうか?
 日本人が勤勉であるならば、そうした非効率的な状況を放置するのはいかがなものであろうか。
 東京都の石原慎太郎知事は、企業に対して帰宅困難な従業員を留め置けるように、食料の備蓄などを促す条例をつくる方針だという。(*6)
 確かにそれも重要な備えであるが、社員が自らの判断で動くことを支援しながら、かつ出来る限り仕事に支障のでない労働環境を、包括的につくり上げて行くことが、社員にとっても企業にとって重要だと考えている。
 そういう労働環境が保たれた社会であれば、台風が来て電車が数時間止まったところで、大騒ぎする必要など無いはずなのだ。それでこそ「自然災害に強い社会」と言えるのではないだろうか。

 別に私は「効率的なことは素晴らしい」と翼賛するつもりはない。
 台風でもゲリラ豪雨でも自殺者でも、公共交通が動かなかったり、大幅に遅れるような事件があったときに、安易に使われがちな「首都機能の脆弱性」という言葉が、私たち行動の非効率さから目をそらすために使われてしまっており、その結果として社員を暴風雨の中駅に向かわせてしまうような労働環境の改善に意識が向いていないのではないか。そう指摘したいのである。

・・・・・・・・・・・・

幾多の「自然災害」が発生したときに、何故大都市の「駅」では人々で溢れ返っちゃうのかいな・・・?と言う検証です。

都市の機能がダメなのではなくて、日本人の性格による「機能マヒ」が大きな要素を占めております。

日本人て「変に真面目」な部分があり、これを直さないとこれからの「国際競争」には後塵を拝するかもしれませんね。

自分で考える事が必要なのであります。


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